第六話:再選挙

 本格的な梅雨入りが予報された首都クランリリーは、どんよりとした雨雲に覆われて湿った空気のまま朝を迎えていた。
 その日も一限から登校したキリヤナギは、正門に入る前からアレックスと待ち合わせ、常駐となったジンと共にツバメ・ツリフネのいる温室へと向かう。

「まるで僕がダリア先輩に負けたみたいに書かれてる……」
「メディアとはそう言うものだろう?」
「唯のサークルなのに……?」

 正門付近で配布していた号外には、昨日の抗争の事を一面へと描き、元生徒会長のルーカス・ダリアが王子を止め、王子の改革は区切りがついたと締められている。また、ルーカス・ダリアの予算着服疑惑がある中で、もし彼が会長を辞めた場合、誰が王子を止めるのかと深刻な文体で書かれていた。

「完成度高いっすね」
「タチバナもそう思うか?」

 読み終わった号外を渡され、ジンも感心して中身を読んでいた。捨てておいてほしいと頼まれそれをジンは綺麗に折り畳んで懐へしまう。

「そう言えば、ダリア先輩から連絡きてて」
「何か言っていたか?」
「今度の土曜日に、講堂で生徒会の進退を決める再選挙をするからきてほしいってさ」
「結局やるのか? これだけ引き伸ばしておいて今更だな」
「生徒会でも意見が割れて話し合いが進まなかったんだって、ダリア先輩が当事者だから参加させてもらえなかったみたいだし」
「まぁ大学で王子が襲われたとあれば、悠長に責任問題を話し合っている場合ではなくなるな」
「再選挙は、集まった生徒にその場で投票してもらって会長だけ選び直すんだってさ。僕が来れるなら登壇させてくれるって」
「何故王子がでる?」
「ホウセンカ君の後ろ盾だから? 彼が呼んでほしいって懇願したらしいよ」
「は、なるほど、当然といえば当然か」

 アレックスとキリヤナギが、二人揃えて笑いを堪えている。イツキ・ホウセンカは、「自分はキリヤナギの後継となる為に推薦してほしい」と頼んできたのに、つい先日、必死にキリヤナギの後継説を否定していたからだ。

「面白そうだ。私も行こう」
「来て来て」

 ウキウキしている貴族二人を、ジンはよく分からないままに静観していた。
 
 大学の隅にある人気のない花壇は、今日も美しく花が咲き誇り優しい空気にあふれている。
 ホースへ水を通し、丁寧に植物達へ水を撒くのは変わらず泥だらけのジャージを着たツバメ・ツリフネだった。

「よーぅ、キリヤナギ」
「おはようございます」
「ジンさん! ようこそ、ぜひ見てってくださいね!!」
「ツリフネさん。おはようございます」
「私は無視か?」
「ちゃんと見えてるから、安心しろってマグノリア」

 キリヤナギが周りを見渡すと付近の木の後ろに隠れる3人がいる。彼らはツバメと同じく花壇の手入れをしていたのか、スコップが床へ散らばっていて、その場から逃げ出した形跡があった。

「お前らも挨拶ぐらいしろよ」
「つ、ツバメさん。大丈夫なんすか? 王子すよ!」
「『王の力』とられますって!!」
「取るのか?」
「取らないけど……」

 本当に? と疑心暗鬼に見てくる三人を、キリヤナギは気にしないことにした。ツバメと雑談しながら、花壇の雑草を抜いてゆくキリヤナギとアレックスに三人も恐る恐る顔を出す。

「どう言う基準で回収してるんすか……?」
「気分かな」
「怖っ!!」
「はぁ? ルール決められる方が怖いわ。つーか、アレだろキリヤナギ。自分に害がないかだろ? 基準」
「流石ツバメ先輩。でもまだうまく言葉にできないんだよね。感性で判断してる」
「まぁ、そう言うもんだよなぁ」
「私も初耳だが、そうなのか?」
「だって僕に使われたらジン呼ばないとだし?」
「え??」

 ぎょっとするジンにキリヤナギは気づかないふりをしている。

「確かに学生が王子へ『異能』使えば、タチバナは呼ばれるだろうが……」
「呼んだらゲームに負けそうだったからね」
「前も言っていたが、ゲームとは?」

 時間割推理ゲームについてキリヤナギが渋々話すとアレックスは呆れていた。
 このゲームへ参加するジンを学内へ呼び寄せないよう、異能対策が必要な能力者の排除を始めたと言うキリヤナギへ、その場にいる全員が衝撃を受ける。

「前々からやった方がいいとって思ってたからただのきっかけだけど」
「生徒が聞いたら卒倒するだろうな」

 ツバメを除いたタツヤ、チアキ、テツヤはすでに卒倒していた。しかし、学生の反発はキリヤナギも想定外でヴァルサスにも絶交されるとは思わなかった。

「みんな異能に困ってると思ってたのにさ……」
「平民などそう言うものだ。スポーツを嗜む生徒は筋を通していて好感がもてる」
「つーか、キリヤナギの気分だろうが無かろうがメリットしかねぇって、これを否定する奴は、結局自分の事しか考えてねぇよ」
「タチバナはどう思う?」

 アレックスに振られジンは意表をつかれた。彼は黙々と雑草をむしるキリヤナギを見てつぶやく。

「3割ぐらいじゃないっすか……?」
「ジンは黙っててよ」
「やはりそうか」
「まぁそう言っときゃ、シンプルだしなぁ」
「ツバメさんはなんで会話についていけてんすか……」

 ジンはそもそもゲームは建前でしかない可能性を話している。キリヤナギが改革活動を始めたのは他に理由があり、それに必要な手段をとっているに過ぎないと言う話だ。
 これはジンが、キリヤナギがこの改革活動を始める前からゲームに参加していたからこそ推察したが、キリヤナギはジンを睨んでは踵返してしまう。

「理由など些細なことだ」
「あれ? ツリフネ先輩、この雑草深くない?」
「掘ってみろよ」

 キリヤナギが丁寧に掘っていくと、ゴロゴロとした根が現れて驚く。丁寧に掘り出してゆくと大きな芋が沢山でてきた。

「ジャガイモ??」
「あぁ、それ冬に植えた奴だわ。収穫しきったと思ってたけどまだ残ってたんだなぁ」
「大学の花壇で何を作ってるんだ??」
「うひゃー! でっけージャガイモじゃんか! ポテトチップにしようぜー!」
「油とガスコンロとってきます!」
「俺は鍋ー!」

 三人組が息を合わせるように散会してゆき、調理道具が次々と用意されてゆく。その間にツバメは掘り出した芋を洗って皮を剥き、折りたたみのテーブルを出しては、ガスコンロに火をつけて油を熱してゆく。
 スライサーからそのまま投入されてゆくジャガイモをチアキ、タツヤ、テツヤは嬉しそうに観察していた。

「朝からよくやる……」
「普段世話してるご褒美だって」
「大地の恵みすね!」
「マグノリア卿もどうっすか?」

 塩をかけて食べると食感が爽快で美味だった。揚げたてのそれは普段食べるチップとは違い、芋らしい風味も残っている。

「美味しい……!」
「でしょー! 王子わかってますね!」
「菜園花壇でトマトも育ててるぜ。摘んでくるか」

 菜園花壇にはトマトやきゅうり、レタスもあって詰んでくると簡単なサラダも完成していた。
 市販のものとほぼ遜色のない野菜達にアレックスとキリヤナギも驚いてしまう。

「普段面倒みてるし、これぐらいはいいだろ」
「楽しいね……!」
「私もいいのか?」
「手伝いにきてんだから気にすんな。ジンさんもどうぞ……!」
「お、俺は遠慮します……仕事中なので」

 ツバメが泣きそうな顔になるのを見て、ジンはトマトを一切れだけ口にしていた。
 和気藹々としたサークルの雰囲気に皆が癒される中、キリヤナギが週末のイベントについて思い出す。

「ツバメ先輩。今度の土曜日、僕が登壇する生徒会の再選挙があるんだけど、よかったら来てよ」
「生徒会? まだ絡んでるのか?」
「ホウセンカ君が僕の後継なんだよね。応援してるから呼ばれたんだ」
「へー、アイツ支持してんか? 意外だ」
「支持?? 王子マジ??」
「うん」
「めちゃくちゃ敵対してそうだったのに」

 苦笑するキリヤナギをツバメが不思議そうに見ていた。またキリヤナギの言動に表情を変えないアレックスも見て「ふーん」と鼻を鳴らす。

「土曜日はまぁ、午後からならいつも来てるし覚えてたら行くか。ジンさんは来んの?」
「ジンは僕が呼んだら来るよ。連れて来ようか?」
「やった! それならジンさん。土曜終わったら『タチバナ』教えてくれません?」
「よ、余裕あったらで……」

 ジンが出勤日を確認すると、土曜日は午前のみで午後からの半休だった。メンテナンスに出している武器の受け取り日でもあり、グランジに付き添ってもらえれば支障はない。

「うぉー! 楽しみにしてますねー!!」

 ツバメ・ツリフネは、シャドウボクシングをして喜んでいる。それからしばらくすると雨雲が見え始め、三人は片付けをしてサークル部員の四人と別れ、学内へと戻った。
 
 一限目を終えて屋内テラスへと向かうとデバイスを触るアステガが待っている。

「アステガ、今日もありがとう」
「気にすんな……。あれからアゼリアからの連絡はなかったのか?」
「……無いよ。でも僕の言いたい事は言えたから、あとはヴァル次第かな」
「そうか……」

 ヴァルサスにどの程度信頼されていたのかキリヤナギにはわからない。それはそもそも、キリヤナギが理想の「友人」を演じていたことにあり、ある意味で騙していたとも受け取れるからだ。

「昨日言ってた。演じてたって結局どう言う意味なんだ?」
「僕さ。ここに通うまでは騎士と貴族しか友達いなくて、本当の意味で平民の友達ってどう接すればいいか分からなかったんだ。だから、僕の思う『友達』をヴァルの前で作ってたと言うか」
「……へえ」
「マグノリア先輩には、最初から気づかれてたけど一年一緒にいて本来の僕も受け入れてほしくなった」
「心境の変化か……」
「本当は単純に申し訳なくなったからかな。ヴァルが友達と思ってくれてるなら、作るって失礼だし」
「……」

 その結果はもう明らかとなり、彼は今ここには居ない。
 黙っているアステガに対し、キリヤナギは反応に困っているのか誤魔化すように続けた。

「アステガは、僕の印象かわった?」
「どうでもいい。人の印象なんざいつまでも変わらない方が不気味だ。重要なのは今までにそいつが何を成したか。そいつと何をしてきたかだろ?」

 ツバメと同じ言葉に目の前の靄が晴れるようだった。今彼がこうして目の前にいる事が去年の成果である事に嬉しく思い感動もしてしまう。
 そんな空気の中で、アレックスは昨日現れた一人の生徒について口を開いた。

「ヴァルサスはいいが、私はロベリアの方が厄介だと思う。奴は無知な平民へ付け入るのが上手い。感情寄りのヴァルサスが口車に乗せられないか不安がある」
「ロベリア先輩ってマグノリア先輩と同じ四回生だよね。彼は結局何がしたいの?」
「アイツに目的など何も無い。貴族と平民が歪み合い結果的に衝突する現場を見たいだけだ。まるで神のように、人が憎しみ合い貶め合うのを楽しんでいる。そこで発生する負傷者や学業のリスクなど知らないと言わんばかりにな」
「安全圏から煽るだけの愉快犯か。面倒な奴」
「立場が弱く権利が踏み躙られていることを主張すれば、必ず誰か一人は同調する者が現れる。一昨年に私が無力化したが、機会を伺っていたのだろう」

 お互いを煽り喧嘩を煽動する者は、喧嘩する者同士に共通の敵ができると目的が果たせなくなる。またその『共通の敵』が、相手を寄せ付けない強者であれば、いくら片方を煽っても争いは発生せず無力化される。
 
「貴族同士の潰し合いではよくあることだ。抗争は『勝てるかもしれない』と言う目測があってこそ発生する。隙を見せず『勝てるわけがない』と思わせれば、いくら煽られようとも戦おうとも思わないだろう?」
「僕が能力者に負けると思ってる? そもそも回収したいだけだよ」
「勝ち負けの問題ではない。ロベリアは、辞めさせると言う名目で王子が誰も寄せ付けない強者になり得る前にヴァルサスをぶつけ抗争を発生させようとした」

 アレックスの時と同じくキリヤナギが覇者になると推測したロベリアは、未だキリヤナギ側の勢力が小さなうちに潰そうとしてきたのだ。

「勝ち負けは二の次で、戦争がしてぇだけか。いい趣味してるぜ」
「そうだ。まぁ、異能が無くなれば揉め事も減る、ロベリアにとって面白くは無い。だから人数をあつめてきた。大人数での学生の抗議なら、平民寄りの活動をしてきた王子なら折れると踏んだのだろうな」
「そんなわけ無いじゃん」
「即答は意外だな」
「僕は、自分が正しいと思った行動をしてるだけだよ。去年はシルフィを支えてただけ」
「生徒会長の理想の王子をやっていただけか。確かに無難だ」

 シルフィの生徒会での方針は、参加する前から多くの問題があり、アレックスだけでなくククリールも不安があると話していた。
 結果的にその懸念は当たり、皺寄せの全てをキリヤナギが背負うことになったが、やり切った後の達成感が今でも強く印象に残っている。

「でも今思うと、やっぱりマグノリア先輩が当選した方がよかったよね」
「心配しなくとも、今と同じになっていた筈だ。私はいずれ王子を使って異能を全て回収していただろう。そして、拡大した派閥票を使い、王子へ生徒会長の役を移せば完成だ」
「か、完璧……」
「今となればただの理想だよ」

 ほぼ全校生徒を掌握した生徒会長は、そのまま運営委員会へ掛け合い、異能を禁止にできると言うシナリオだ。王子と言う肩書きがあれば、その影響力は計り知れず短期間でのルール改正を期待できる。
 美しいとも思える筋書きに、キリヤナギは絶望して項垂れてた。

「か、勝てない……」
「もう少し俯瞰して学内を観察すべきだったな」

 マグノリア家とハイドランジア家は、古くからオウカの土地を収める大貴族だ。それは王家と歴史を共にしていたと言っても過言ではなく、政治論においては時に王家すら上回ることもある。

「……まぁでも、僕はロベリア先輩はそこまで気にしなくていいと思うな」
「そうか?」
「今季の生徒会長は、平民のルーカス・ダリア先輩だしね」

 意表を突かれたアレックスの表情に、思わず笑みが溢れる。彼は頭を抱え悔しそうにしていた。

「私としたことが、そこに目がいかないとは」
「今度の再選挙で決まるんじゃないかな。ホウセンカ君が勝っても会計と会長の掛け持ちになって面白そうだけどね」
「無茶苦茶だが、そうなれば王子も呼ばれそうだな。『忙しくて手に負えない』と」
「……っ!」
「それなら手伝うしかないなぁ」

 まるでここまでの筋書きがわかっていたかのようなやり取りに、それまで無関心だったアステガも一瞬顔をしかめる。人の心さえも謀の一部に組み込んでしまうような思慮深さに彼らの「貴族」としての本質を見た。

「……全部わかってやってんのか?」
「わかってはないよ。思い通りに転ぶとは思ってないし」
「……」
「でも、僕の行動に対して社会がどう動くのか実験するにはいい場所だよね。ここ」
「は、楽しそうで何よりだ」

 まるでこの大学を箱庭の様に表現した王子へ、アステガは改めて見ているもののスケールが違うことを思い知らされる。
 その物事の柔らかさや見た目から、誰もが憧れる庶民派の王子とされて来たキリヤナギだが、その本質は市民をただの集団としてしか捉えていない。
 個々の価値観などどうでもよく、ただ全体の動きで判断するのは、紛れもなく貴族そのものの考えでもある。

「アステガ、もしかして引いた?」
「あぁ、引いてはいる」
「直球すぎて傷つくんだけど……」
「まぁ、今回の王子の行動で裏切られたと感じる生徒は多いだろうが、それも所詮彼ら勝手な期待に過ぎないからな」
「頼まれたらやるけど、頼まれた事しかやらないわけじゃないし。むしろ僕の方が裏切られてない?」
「はは、確かに」

 話していたら、後ろで何かが動く音がした。入り口付近にある観葉植物の鉢が蹴られた鈍い音に3人が振り返ると録音機器を持っている新聞部がメモをとりながら顔を真っ青にしている。

「お、お、おじゃましましたーー!!」
「なんで逃げるのー!!」
「いや、逃げるだろ」

 思わず壁にぶつかりそうな勢いで、新聞部は屋内テラスから走り去っていった。アレックスはその様子に噴き出したように笑う。

「はっはっは!! これは記事に書かれるな」
「えぇー、まぁ、全然良いんだけど……」
「いいのか……?」
「何か問題ある?」
「……ないな」

 彼がどこまで測っているのか、アステガは想像もつかなかった。

 王子派の貴族が集まる屋内テラスでの会話に新聞部は恐怖を感じ、その日記事にすべきか意見か纏まることはなかった。
 その記事はもう一度会議を重ね、週末の今日に印刷されて販売される。
 朝からアレックスとアステガの2人と待ち合わせしたキリヤナギは、グランジを連れて歩きながらアレックスの朗読する記事を聞く。

「『王子は本音として、去年大学へと貢献したにも関わらず生徒に裏切られたと友人へこぼしていた』」
「そっち?? それだけ?」
「案外、度胸ないんだな……」
「結構楽しみにしてたのに……」
「……?」

 首を傾げるグランジへ、キリヤナギがことのあらましを説明すると彼は意味深な表情を見せる。

「忖度」
「友達だけど、記事に文句言ったことないよ?」
「そうだぞ、シャープブルーム」
「圧力」
「ないって!」

 グランジの目は明らかに疑っている。しかしグランジは、キリヤナギと新聞部が繋がっていることをかなり前から知っていて、更に普段から報道機関を巧みに操作しているのも見ている。
 ここで否定しても、二つ返事なのはわかっていた。

「そんな疑うなら新聞部に直接聞きにいってもいいよ?」
「本気か? 再選挙日まで大人しくするのでは?」
「そんな約束したっけ?」
「また意地張んのか……?」
「ダリア先輩との約束があるし、回収はしないけど……?」
「……」

 グランジは曇っている空を気にしていた。今日、グランジはキリヤナギの傘は持ち出したが、自分の分を忘れていたからだ。
 眉間に皺を寄せるアステガに構わず、キリヤナギは続ける。

「3限まで時間あるし、話に行く」
「はぁー……」
「アステガには苦労をかけるな」

 キリヤナギは聞こえない振りをしていた。
 呆れる2人をキリヤナギは気に留めないまま4人はサークル棟へと向かう。

 まだ一限が始まったばかりの時間は、生徒数が少なく妨害もないかと思われたが、建物の入り口に、2名のガタイのいい男性が二人立っていて歪な空気が立ち込めていた。

「来たな。通さないぜ」
「誰だろ」
「用心棒の空手愛好会だ」
「愛好会……?」
「主に三人以下のサークルが愛好会と呼ばれるが、サークルとは違い部室が与えられないんだ」
「おぅ、俺らここのラーメン研究部の部室を使わせてもらってんだ。だからここで恩義を果たす!!」
「そんなサークルあるんだ」
「運動部ですよね? ラーメンとは相性悪くないすか?」
「動けば問題はない!!」
「空手の運動量を舐めるな」
「そもそも空手ってなんだろ……?」
「東国発祥の武道らしいが、私もよくはしらない」

 空手部の2人は、がっしりとした体格で白い衣服へ黒い紐を腰に括っていた。よくわからないままアレックスがデバイスで調べると、彼らの腰の黒い紐を注視する。

「空手の強さは帯で判別できるそうだ。黒は強いらしい」
「へぇー」

 キリヤナギは、後ろのグランジが興味深く見ていて思わずジト目で睨んでしまう。

「グランジはだめだよ」
「……」

 しょんぼりされてもキリヤナギは困ってしまう。大学内で騎士が戦ったとなればそれはそれで問題になるからだ。

「は、タチバナでもない騎士に手加減されるほど落ちぶれてないぜ」
「そう言う問題ではない」
「俺らが負けるつってんのか、マグノリア! 舐めんじゃねぇぞ!!」
「無理だって……」
「これはどう言う押し問答なんだ??」

 1から説明する時間が惜しいとキリヤナギは頭を抱えた。建物の前で仰ぐと声を聞きつけた部員たちが顔を出し、こちらの行動を見ている。

「僕の親衛隊の時点で察せない?」
「上等じゃねぇか」
「王子、もうこれは無理なんじゃないか?」
「そう言う壁なんだろ?」

 アステガの言葉は正しく、これは文字通り人の壁だ。単純に人が居れば強く出れないことを逆手に取っている。
 押し入るには無理どかすしかないが、今、前に出れるのはグランジしかおらず、彼はキリヤナギの指示を待つ様に立っていて動かない。

「ジンにも来て貰えば良かった……」
「まぁ、タチバナの方が手加減はできるか……」
「はは、今更『タチバナ』が良いとか、おせーんだよ!」
「言動が小物すぎねぇか?」
「愛好会はピンキリだからな」

 空手愛好会の彼らは動く気配が無い。
 話していたら、ここに来た目的もどうでも良くなり変わりに騎士が舐められている事へ苛立ちを覚えていた。

「君達は、僕の親衛隊と戦えると言う自負があるのかい?」
「は、当たり前だろうが」
「空手をしらねぇのか? 一撃必殺だぜ」
「体育大会もみてない……?」
「そんなお遊びに興味はないね」
「なら、その勇気を讃えて今日は帰るよ。そろそろ授業だし」
「ほ……」
「代わりに『僕は見てない』から遊んであげて、グランジ」
「遊ぶ?」

 キリヤナギは、身を翻すようにアレックスと立ち去ってゆく。
 残された空手サークルは、1人残った騎士を見た時、ゾッとするものが背筋を伝った。後ろに控え、蝶を目で追ったり空を気にしていた騎士は、戦えると分かった瞬間、とても嬉しそうな笑みを浮かべているからだ。

「……殿下は見ていない」
「……っ!」
「愉しもう」

 キリヤナギの見ていない場所で全て行われた。
 グランジは、ジンよりも明らかな狂気を宿し他の騎士すら圧倒する。またグランジは、強い敵への好奇心が顕著で初めて見るものにはスイッチが入りやすい。
 
 ものの数分で追いついてきたグランジは、がっかりした顔をしていてキリヤナギは呆れていた。

「シャープブルーム、今度うちのタイラーと遊んでみるか?」
「つーか、王子が見なければ戦っていいのか?」
「グランジが、僕の知らないところで勝手に遊んだだけだよ。戦ってない。はぁー、来なきゃよかった」
「だから言ったものを……」

 キリヤナギは、騎士の強さが周知されていないのも想定外だった。しかし、普段無防備に1人で歩いていたのを考えると当然でもあり気分がげんなりする。

「土曜日まで大人しくする」
「初めからそうしろ」
「厳しくされてんな。王子」

 アステガの確認するような言葉に、キリヤナギは返す言葉もない。それはアレックスはキリヤナギの想像以上に言いたい事が沢山あるはずだからだ。

 しとしとと雨が降り出した桜花大学は、傘を指す生徒が登校し、走って雨をやり過ごそうとする生徒達も駆け抜けてゆく。
 その日三限からのヴァルサスは、ショルダーバッグを雨除けしながら校舎内へと駆け込んでいた。
 早々に聞こえてきたのは、「王子がまたサークル棟へ現れたが空手部の犠牲によってやり過ごされた」と言う生徒の雑談だ。
 まだやってるのかと言う呆れと、どこにいても何をしているのかが伝わってくる環境に苛立ちが蓄積して舌打ちが出る。
 昨日の抗争騒ぎの件をロイド・ロベリアへ連絡しても無視され、都合よく利用されたようで気分が悪い。また、あれだけやっても回収を強行しようとした王子の動きにも納得がいかず、更にヴァルサスではなくルーカスの話へ耳を貸したのも気に入らなかった。
 先日まで普通に話していたはずなのに、今は噂を聞けば聞く程に憎しみが蓄積してゆき、ヴァルサスは冷静になれずにいる。

「なんなんだよ……」

 上手く言葉にもならない。
 何がしたいのだろうと自問自答すれば、「異能を取られたくないと言う同期の悲痛な叫びを聞きたくない」それだけだった。
 しかし話をしようとしても王子が止まることはなく、どう話せば聞いてもらえるのか想像もつかなくなっている。言葉が届かないとはまさにこの事だろうとすら思い、絶望感と裏切られたような気分が心を支配していた。そして更に心に引っかかる強烈言葉がある。

-僕の本来のあり方を受け入れてほしい-

 つまりこの一年の彼は全てが嘘だったのだ。ククリールの話した通り王子は、ずっとヴァルサスに『合わせて』いた。
 目線を揃え、良識的な学生としてヴァルサスの横へ座っていた彼は、確かに親しみやすい友達だったが、そうではない新たな彼を改めて信頼しろと言われてもどう受け取ればいいか分からない。

 思わず大きなため息がでて、掲示板を見上げる。様々な張り紙の中で一際大きく張り出されているのは、土曜日の学生集会の予告だった。生徒会長再選挙とかかれた紙は、横からふらりと現れた生徒に、サインペンで「王子登壇予定」と追記されて驚く。

「あの、王子来るんすか?」
「あ、はい。先程、お返事が来たので追記に来ました。宜しければご参加下さい」

 メガネの彼女は、目を合わせず俯き顔がよく見えない。生徒会の関係者なのか、「書記」と言う腕章だけつけている。

「生徒会の集会になんで王子が?」
「副会長の希望で……」

 ヴァルサスは、掲示板の横に張り出されている生徒会役員のリストを眺める。
 副会長イツキ・ホウセンカの顔写真をみて、思わず大学内のコミュニケーションツール彼の事を検索した。するとトップに出てきたのは王子推薦のイツキ・ホウセンカと言う見出しで衝撃をうける。
 続くホウセンカの記事ではイツキ本人は、王子との関連性を強く否定していてヴァルサスかなり混乱した。記憶にあるのは、タチバナ軍へ足を運びキリヤナギへ後継になることを宣言していたイツキだ。
 いずれ認めさせようと名前までだし情報誌の取材を受けていた彼が、今になって掌を返すように否定しているのは無理がある。また王子もイツキの正当性を疑い、その態度を「気に入らない」と話していたのに、こちらも支持すると宣言していて絶句した。
 完全に真逆となっている立ち位置に理解が追いつかず、言葉にならない感情が沸々と湧き上がってくる。

「なんだよ。嘘ばっかりじゃねーか……」
「……!」
「こんなんが、本来のあり方なのかよ……」

 何が本当かもわからず、ヴァルサスにはまるでその存在の全てが嘘のように見えた。王子と言うその高貴な地位は、憧れるにはあまりにも程遠く理解しがたいものであると、

「あの、大丈夫ですか?」

 書記の彼女の言葉に思わずハッとする。ようやく見えた彼女の顔はとても心配そうにしていて冷静になれた。

「書記さん。悪い、ちょっと動揺してた」
「いえ、すみません。生徒会が不甲斐ないばっかりに生徒さんを不安にさせてますよね。この土曜日の会でなんとか決着をつけますから、それまでは待っていて下さい」
「そ、そう言う意味じゃないっすよ。生徒会に言った訳じゃないし、悪いのは引っ掻き回してる貴族だし?」
「貴族さんも悪くないです。私は、誰かが悪いとは思いたいない」
「……!」
「……ごめんなさい。もっと皆で仲良く協力できればいいのですが、上手くいかなくて、それでも去年はなんとかやれたのですが難しいです」
「……」

 ふと、ヴァルサスの脳裏にキリヤナギが生徒会でやった事を嬉々として話していたのを思い出す。
 執行部としての活動やポスターを作ったり、体育大会の企画、文化祭の手助けなど、キリヤナギが語ったことは一通り覚えている中で、ヴァルサスはその活動の上で、「困難があった事」は聞かされてはいなかった。
 悩んでも話されないまま解決だけして戻ってきて、ヴァルサスは「それならいい」とだけ考えていた。

「あの、もしかしてアゼリアさんですか? 王子のご友人の……、去年、執行部を手伝って頂いたって言う」
「そうだけど、もう友達じゃねぇんだ」
「えーー……」
「あいつ、嘘ばっかりついててさ。もうどこから信じたらいいかわからねぇし、ついてけねぇよ……」
「あの、私。ユキ・シラユキと言います。騎士貴族です」
「……シラユキってシズルさんの?」
「はい。妹です。王子は確かに嘘をついているかもしれません。でもその嘘はきっと誰かの為でーー……」
「……っ!」
「人を信頼してるから、ついてる嘘だって私は思ってます……!」

 意味がわからずヴァルサスは目の前のユキ・シラユキを見る。その瞳に疑いはなく、まるでヴァルサスを説得するような気迫を感じたが、その熱意をヴァルサスはどう受け取ればいいか分からない。

「書記さんがそうなら、それでいいんじゃね……」
「アゼリアさん……」
「じゃ、俺、授業だから……」

 立ち去ろうとするヴァルサスに、ユキはさらに続ける。

「王子の行動があったから今の生徒会はまとまったんです! 平民の皆さんは大変かもしれないけど、あの人が行動してくれたから私達は協力できた。だから、きっとーー」
「誰かを悲しませる政治なんて、誰も望んでないだろ!!」

 思わず叫び返し、周りの生徒がざわつく。口論となった事で2人とも我に帰った。

「悪い。再選挙頑張って……」

 ユキはそれ以上、何もいえなかった。
 それはどちらも間違ってはおらず、何が正しいかは個人の価値観でしかないからだ。

 午後の授業を終えた3人はグランジを連れ、雑談をしながら屋内テラスへと戻ってゆく。
 来月初旬からテスト期間にも入る事から勉強も必要だと話していたら、普段人が少なかったその場所に人の気配がある。
 教室からは距離があり移動に不便なその場所は、昼に場所に困った生徒ぐらいしか見かけなかったが、その日の屋内テラスの席は全て埋まっていた。
 隅のソファ席も知らない生徒が寛ぎ、話し声で賑わっている。

「王子一派の皆さん。ご機嫌よう」
「こんにちは」
「貴公はたしか、コンパサークルの……」
「マグノリア公はよくご存知で、今日からここはうちのサークルの部室にしたんだ」
「部室??」
「ここ、ただの休憩所だろ」
「今の部室じゃ狭くてさぁ、前から狙ってたんだ。そう言う事だから悪いな」
「学内の施設としてここはコミュニティスペースに該当する。誰のものにもならないはずだが?」
「よくご存知で。でも顧問が通したんだ。文句はそっちに言ってくれよ」

 キリヤナギは、部長らしき彼とアレックスの会話には目もくれず、生徒たちが騒ぐテラス内を観察していた。
 奥へ入ろうとすると付近の男性に止められ、グランジが歩み寄る。

「何だよ。勝手に入るなって……」
「ごめん。異能持ってる人、居るかなって」
「まだやってたのか……」
「持ってないなら別にいいんだけど……」
「王子……」
「生憎、うちに『王の力』持ちは居ないよ。だから気にすんなって」
「見て回っていい?」
「……いいぜ」

 手を放され、キリヤナギはグランジと共に屋内テラスの内周を回っていた。コンパサークルと名乗った彼らは、お昼を済ませている生徒もいれば、課題をする生徒、トランプゲームをする生徒もいる。
 キリヤナギは、トランプを広げる彼らのテーブルへ近づいた時、足を止めた。そして、1人の女性生徒へ問う。

「君、【千里眼】持ってる?」
「ひっ……」

 思わず横へ倒れた彼女を、キリヤナギは助け起こしていた。彼女は横に来ていた王子に気づかなかったようにも見え、ざわつく周りに動揺している。

「わ、わかるんですか?」
「うん。返して」

 逃げ出した彼女へ言霊を唱えようとすると周りにいた男子生徒がキリヤナギを止める為に飛び交ってきた。
 グランジが前に出て庇い、キリヤナギはそれを傘にしてすり抜ける。

「おい!」
「-オウカの王子。キリヤナギの名の下に……」

 皆が王子を追い捕まえようと走る中、生徒をやり過ごしては、テーブルの下に隠れたり、後ろに引くかと思えば前へとすり抜ける。誰にも捕まることのないまま、椅子を土台に生徒達を飛び越えて、女子生徒の行先を塞いだ。

「貴殿らの異能を返却せよ!-」

 言い切られた直後、数十名の生徒から光が抜けて空へと帰ってゆく。想定よりも多くて驚いていると、部長の彼が震え出しまるで鬼のような顔をしていた。

「やりやがったな」
「え?」
「……ゆるさねぇぞ。王子ーー!!」
「ぇぇえー!?」

 部長は、まるで何かが切れたように暴れ出しキリヤナギに拳を振るっては、当たらないとわかると近くの椅子を持ち上げて投げる。
 グランジは間に合わないと判断したアステガが、彼の腕を引いて回避させると、飛んできた椅子が空調機器に激突した。
 
「逃げるぞ!!」
「消えろぉ!!」

 部長は、テラスに設置してあるあらゆる物を投げつけ、ガラスを粉々に砕いては、観葉植物を自販機へ投げつけて破壊する。
 照明までも砕け、グランジはその暴れ方に危機を感じ銃へ触れるがーー…。

「グランジ、逃げるよ!!」

 キリヤナギの声に反応し、飛んできたテーブルを交わして速やかに合流した。

「何だあいつ……!」
「コンパサークルの部長は癇癪持ちだと聞いていたが、これほどとは」
「騎士、王子を頼む」

 キリヤナギはアステガに投げられ、何故かグランジに渡された。思わず足がもつれそうになる中、体制を立て直す。

「アステガ……!?」

 アレックスの声にキリヤナギが振り返ると、アステガが1人立ち止まりテーブルを抱えて追ってくる相手と向き合っていた。アステガは近場にあるベンチへ手をかけ、それをゆっくりと地面から持ち上げる。

「鎮静剤だ。くらいやがれ!」

 投げた。
 我を失っていた部長は、宙へ浮いたベンチに驚き、さらに目の前の地面に刺さった事で足を止める。
 アステガを含めた4人は、その隙にスピードを上げて振り切った。

「すっご……」
「何だあれは『王の力』か?!」
「そんなん持ってねぇ」
「……」

 息が切れてくるキリヤナギは、グランジに雑に抱えられ、4人は校舎の陰になる場所へと逃げ込んだ。
 学内の隅から隅へ走る形となり、グランジ意外の3人が座り込んでしまう。

「とんだ化け物だな」
「うるせぇよ」
「アステガの事じゃない」
「ごめん。なんか楽しい……」
「王子はもう黙っていろ……!」

 一人だけウキウキしたように笑うキリヤナギに、アステガとアレックスは言葉もなかった。唯一グランジのみが警戒し、いつでも銃を抜けるよう動向を伺っている。

「奴はこの大学でも有名な危険人物だ」
「道理で……」
「この大学、あんな人達が居たんだ。すごい」
「あんなんでも停学にならねえのか?」
「なっているぞ。揉める度に停学になり、4年ほど卒業できていないらしい。そろそろ退学だろうな」

 グランジは、追ってきていない事を用心深く確認し、屋内テラスが破壊された事を内線で騎士へ伝えていた。

「こう言う大学生活もいいね」
「良くねぇよ」
「完全にお尋ね者だな。だが確かに悪くない」
「随分と胆が座ってることで」

 鬼ごっこは日常茶飯事だが、生命の危機がない鬼ごっこは楽しい物だ。しかし、先程のサークル部長はグランジが警戒していてキリヤナギは意識を改める。

「昼どうする? もうここで食うか」
「ここでか? せめて椅子が欲しいが….」

 手元にはお弁当と売店で買った食品があるが、ここは校舎の壁際で本当の意味で何も無い。雑草は除去され、地面に座れなくもないが、せめてベンチはないかと周辺を見回した。

「あ、」

 戯けた声を出す王子の目線の先には、温室と花壇があり、3人は少し重い足取りでそこへと向かう。

「なんだ、ジンさんじゃねーのかよ」
「ごめん。ツバメ先輩。今日は来るつもりなかったんだけど……」

 今日もまた温室内で昼寝をしていたツバメは、現れたキリヤナギへ一瞬喜ぶも連れている騎士がジンではないことへがっかりしていた。
 足を運んだ手前、今日も作業を手伝おうと植物を探すが、いつも置かれているワゴンが見当たらない。

「今日は入荷日じゃないんだ。だから俺もおサボり昼寝だな」
「実はお昼食べれてなくて、場所借りてもいいですか?」
「キリヤナギなら全然いいぜ」
「ありがとう。水遣りとかはしなくていい?」
「んー、助かるが、水やっちゃダメな奴もいるんだ。だから気にすんな」
「へぇー……」
「んじゃ、俺は寝るぜ。別に起こさなくていいし勝手に帰れよ」

 ツバメは、そう言い残すと再びベンチへ体を預けていた。温室には売り場のないカフェテラスのようにテーブルと椅子もいくつかあり、4人はそこで昼を広げる。

「水やったらダメってどの子だろ」
「観葉植物とかだろ、水を吸いすぎて根が腐るんだよ」
「え、アステガ詳しい……」
「バイト先に置いてあるからな」
「私も幼い頃に毎日水をやって枯らしたことがある。育てやすいと言われてもらったが、子供ながらにやりすぎてしまった」

 雑談をしながら過ごす温室は、植物のための空調が機能していてとても心地が良い。しかしその環境は全て植物の為に用意された物であり、ここでの人間はただの『世話役』にしかなり得ないのだ。
 美しく整えられた室内をグランジは興味津々に歩き回っている。キリヤナギが足を止めたグランジを観察していると、ハンカチを取り出し、植物についていた毛虫を取り除いていた。キリヤナギは感心していたが、彼は何も言わずそれをこちらへと持ってくる。

「もってくるな! シャープブルーム!」
「そ、外に逃して!」
「小学生か?」

 グランジは、3人が温室を出た後、花壇からかなり離れた場所へ毛虫を逃がしていた。
 昼食を終え、その日全ての授業を終えたキリヤナギは、研究室へ行くというアレックスとも別れ早々に帰路へと着く。

「明日もくるんだよな?」
「うん。土曜日だけど講堂によばれてるんだよね」
「なら、また正門でまってるぜ?」
「え、うん。ありがとう……」

 アステガは、迎えにきたジンも入れ違うように大学を去ってゆく。その背中をジンは不思議そうに見送っていた。

「アステガさんって、意外と優しいすね」
「僕もびっくりしてる」
「……?」

 最近の帰りは、グランジとジンの2人がいる。2人はまだしも3人は目立つため、キリヤナギは少し息苦しくも感じていた。

「2人いないといけないのいつまでだっけ?」
「グランジさん、期限聞いてます?」

 グランジは首を振り思わずため息が出てしまう。

「せめて私服で来れない?」
「それは……」
「無理」

 グランジの即答にジンはギョッとしていた。私服が無理と話すグランジは、付き添う2人が『騎士』として存在感を示さなければならないと言っている。
 騎士が見ている事を示す事で、危害を加えようとする者を牽制する為だ。

「たかが学生に?」
「危ない」
「お気に入りの場所が破壊されたっていう?」
「何その言い方……」

 ジンは睨まれ更にたじろぐ。

「別にテーブルとか椅子を投げてきただけだよ。刃物とか銃じゃないし?」
「マジで言ってます??」
「……」

 グランジの目がこの上なく真剣で、ジンは焦っていた。幼い頃から大人の本気の襲撃に慣れすぎたキリヤナギは、たかが学生の『反抗』ぐらいでは可愛いとしか思わない。

「工夫して頑張ってるから、むしろ次どうくるのか楽しみなぐらい」
「だから朝から行ってるんすね……」

 呆れを通り越して、ジンは騎士として情けなくも思えてくる。誰も経験しないような怖い思いを幾度となく乗り越えたキリヤナギだが、そこに至った事で平凡な恐怖が抜け落ちてしまっているのだ。
 それは彼が、襲撃された次の日には何ごともなかったかのように振舞っている事にも繋がり項垂れたくなる。

「俺たちがしっかりしてれば……」
「シズルにも言われたんだけど、2人のせいじゃなくない?」
「なら俺らに守らせてくれないっすか?」
「学生相手に必要とは思えないんだけど……」

 ジンとグランジに戦う気はない。彼らは国内の学生であり「戦ってはいけない人々」に該当する。よって何かが起こっても止めて注意ぐらいしかできず、無意味だと断じられれば返す言葉もない。

「ジン、明日は来てね」
「……はい。午後からグランジさんと変わりますね」
「ジンだけでいいのにさ……」
「心配なんすよ」

 連日、何が起こるか分からず騎士達は対応に追われている。とくに大学に常駐しているミレット隊は、キリヤナギに見つからないよう細心の注意を払いながら、周辺にを監視していた。
 テラスを破壊した生徒も瞬時に捉えて注意したが、暴れ出した為に一旦は管轄所へ送られたらしい。

「でも、明日次第で治るんじゃないかな? 僕は残念だけど」

 生徒会主催の再選挙は何が起こるか分からないと言われ、報告を受けた騎士は既に人数を増員していて、警戒の仕方が学生相手ではなくなっている。
 この選挙で事態が動かないのなら、大学へ圧力がかかると見越される中、王子はそれすら楽しんでいるようにも見えた。

「楽しみだね」

 様々な意味が込められたその言葉に、ジンは何も言わなかった。言いたい事はあるが、これが王子のやりたい事なら騎士はその遂行を見守り、妨害を防ぐ為に存在するからだ。

*220

 迎えた土曜日の朝は、正門は空いておらず、生徒達は裏門から学生証を通して中へと入ってゆく。
 講堂を目指す生徒で溢れる裏門だが、そんな生徒達とは別にキリヤナギはあえて正門の方へと足を運んでいた。
 スライド式の門の前で待っていたアステガとアレックスは、ジンとグランジと現れたキリヤナギに顔を上げる。

「2人ともおはよう」
「叔父に掛け合ってみたが開けてくれるそうだ」

 アレックスが目をやると、傍の小さな守衛室に騎士がおり、数名分通れそうな幅を開けてくれる。
 大学の衛兵として巡回するミレット隊は、アレックスの叔父であるセドリック・マグノリアが所属しており、彼はアレックスと同じ邸宅で暮らしている。

「ありがとう」
「公爵家の権限は強いな」
「正確には騎士の権限だがな。裏門は狭い、王子が身を隠して通るのは無理があるだろう」
「隠す必要ある?」
「もういい死ぬまで考えていろ」

 アレックスは静かに怒っている。
 事の発端は、アステガに土曜日は正門が開かない事を言い忘れてしまった事にあった。裏門にゆく前にアステガと合流したいとアレックスへ相談すると、彼はそのまま正門に居ろとだけ言って現在に至る。

「本来騎士が行う配慮だと思うが……」
「す、すいません」

 アレックスは、叔父のセドリック・マグノリアがタチバナ家とストレリチア隊に相性が悪い事をよく分かっていた。
 それは過去にセドリックが妻に不倫され、女性への信頼を失った事で王妃のヒイラギ・ハイドランジアへ憧れを持ってしまったからにある。つまり、彼にとって王を慕うのタチバナとストレリチアは、王妃の意思に仇なす者たちであると言ってもいい。

「セドリックって僕の母さん好きだよね? ジンとかセシルが言うよりも母さんが言った方が聞いてくれそう」
「大の大人が、王の妃に憧れるなど子供じみていると思うが、決して結ばれぬ相手だからこそ、そこに心の拠り所を得たんだ。マグノリア家としては何も言えん。憎むべきは裏切った夫人の方だな」
「僕はもう少しほっといて欲しいんだけど……」
「妃に心酔する騎士が、妃の宝とも言える王子を放っておくわけないだろう?」
「どうにかできない?」
「できたらやっている」
「親の代の内情までよくもまあ」
「アステガさん。色々あるんです……」

 キリヤナギの父たるシダレ王も、セドリックの心酔ぶりはある程度認知しており、彼を親王派のクラーク・ミレットの下へおくことで距離を保っているが、クラークは間も無く引退してもいい年齢で頭を悩ませている。
 主従関係において、従者が主君を慕う事は珍しくないが、セドリックはどうみても歪んでいてキリヤナギはずっと気に入らなかった。

「言いたい事がありそうだな」
「あり過ぎて頭痛がする」
「悪いが微塵も共感できねぇ」

 セドリックは言わば過干渉で、キリヤナギに苦手意識を持たれている事を理解しつつ、間接的に人を使い思い通りに動かそうとしてくる。それは日頃の注意だけにとどまらず、外出させないためにスケジュールを滑り込ませたり、抜け出さないよう武器を取りあげたりなど、あらゆる妨害を自分が関与していない様に工作するため、キリヤナギは気づくのにかなり時間がかかってしまった。
 気づく前に病んでどうでも良くなったが、冷静に俯瞰すると陰湿でタチが悪く、その上で見ているものがキリヤナギではなく「王妃のため」なのだから「王妃の意思」だと言って会話も成り立たない。

「再婚したらいいのに……」
「無理だな」

 王室と宮廷騎士の関係性は、闇が深くため息しか出ないが、大学はシンプルでまだ分かり易い。

 異能を持ち合う事で牽制しあい平穏を保っていた大学は、キリヤナギが回収に乗り出した事でその均衡が崩れたのだ。
 生徒はその均衡が脅かされた事に恐怖し、また異能が限られた物しか持てなくなった事に怒っている。
 異能を持つ事は権利だと主張する彼らは、元の環境を取り戻すため圧力をかけたり、居場所を占領、破壊したりと辞めさせようとするが、生徒達の中には王子へ同調する者も多くいて二分されている。
 誰が立ち塞がっても止まらなかったキリヤナギを唯一止めたのが生徒会会長のルーカス・ダリアだが、その彼の進退が今日の再選挙で決まる。

「選挙はどうなるだろうな、楽しみだ」
「アステガはどっちに入れる?」
「興味ない」

 コインで決めようかと思うほどにアステガは何もそそられない。キリヤナギはそれがわかっていたかのように続ける。

「どちらが勝っても悪くはならないしね」
「なら本当にどうでもいいな」

 アレックスはアステガの意識の低さにも呆れていた。
 

 桜花大学の講堂は、扇形の空間へ階段状に座席が据えられたホールとなっており、全ての座席からステージがよく見えるよう設計されている。
 再選挙の告知を見て集まった生徒達は、入り口にて役員達から投票用紙をわたされ、
候補者の演説を聞きながら投票先をえらぶが、生徒によっては渡されるなり早々に書き込んで退出してゆく生徒もおり、席に座る者は足を運んだうちの7割ほどに止まっていた。しかしそれでも、開演間近になると席も埋まり、座れなかった生徒は出入り口付近に設けられた踊り場にも溢れてゆく。

 登壇することを約束していたキリヤナギは、講堂に入る前に書記のユキ・シラユキと合流し、アレックスとアステガと別れて、ジンと共に控室へと通された。
 キリヤナギが講堂へくるのは、入学式や特別授業の時以来だが、登壇のために控室に来るのは初めてで思わず興味津々に眺めてしまう。

「広いすね」
「思ったより豪華ですごい」

 大人数向けのテーブル。鏡やライトもあれば、応接ソファセットもある。壁には秋に公演する劇団のポスターが貼られていて、興味もそそられた。

「ユキ、ホウセンカ君はここに来る?」
「副会長や私達は、向かいの控室に……」
「別に一緒でもよかったのに」
「すみません。私達も話したい事が沢山あって始まる前から収集がつかなくなると考えたのです。一生徒の王子にそんな事をしたら尋問みたいになりそうだったので……」
「……」

 ポカンとしているキリヤナギに、ユキは焦っていた。まずい事を言ってしまったと言う動揺から、顔を隠してしまう。

「ごめんなさい! その、決して悪い意味ではなくて」
「ううん。ユキのそういう所信頼してる。聞きたい事があるなら、聞いてくれても良いけど」
「いえ、みんなで決めたんです。王子への質問はステージでやろうって、時間あるかわからないですけど」
「……わかった。そう言うのは得意だから、なんでも聞いてね」
「ありがとうございます」

 深く頭を下げたユキにへキリヤナギは笑みで返す中、ジンは講堂の見取り図から脱出経路を確認する。
 ジンは公演中に舞台袖へ待機し、異常があればステージへ上がると話をつけていた。

「……間も無く時間です。行きましょう」

 ユキに連れられるようにキリヤナギとジンは控室をでてステージを目指す。
 廊下へ出るともうそこには生徒会の面々、ルーカスとイツキもおり、キリヤナギは笑みで彼らを迎えた。

「おはよう、よろしくね」
「王子、きてくれて助かる」
「ダリア先輩。選挙はホウセンカ君が勝つだろうけど、健闘を祈ってるよ」
「余計な事を言わないでくれ!」
「ホウセンカ君、僕の応援がそんなに疎ましい? 後継になると言ったのは君なのに?」
「確かに言った! 言ったが……」
「僕を裏切るの?」

 冷ややかなその言葉に場が凍りついた。キリヤナギはそれに笑いつつ続ける。

「まぁ君が、僕の事をどう思うかなんて勝手だよね。別に何を言われても僕はホウセンカ君を応援してるよ」

 寛大に見える言葉は、もはや皮肉にしかなり得ない。絶句しているイツキをルーカスは静観しつつ口を開く。

「続きはステージに立ってからだ。そこで全て話せばいい」

 冷静なルーカスの言葉にイツキは更に動揺しているようだった。

 生徒会の役員達が集結したステージは、
ユキ・シラユキの冒頭の挨拶から始まり、今回の生徒会再選挙の実施理由の説明がされる。
 事の発端は、先月行われた生徒会選挙においてルーカス・ダリアが会長として当選したが、その数週間後。彼が生徒会の予算を着服したと言う疑いがかかり、生徒会会計兼副会長のイツキ・ホウセンカが、退任を迫っていた事からはじまる。
 生徒会の中では前例がなく、ルーカス・ダリアの処遇については意見が分かれ、生徒会のみでは結論が纏まらなかった事から、選挙へ感心のある生徒のみで再び選挙を行う事となったのだ。

「それでは、再選挙を行うにあたり今回の再立候補した会長候補のマニフェストを表明していただきます。では、ルーカス・ダリア現生徒会長から、どうぞ」

 中央にある演台からユキが後ろの席へと下がると入れ替わるようにルーカスが前に出る。
 彼は講堂へ集結した生徒達を見据え、口を開いた。

「まずは生徒の諸君。この度は生徒会が不祥事を起こしてしまった事を深く謝罪する。皆に支持された立場でありながら例年通りの運用ができずここまでの期間が掛かってしまったのは全て私の責任だ。だが今回、事件は起こったが、私はこれの実行犯ではない。確かに私は金庫の鍵を開けることができたが、会長として金銭の管理をホウセンカと共に任されているからにある。その上で私は決してこの様な愚行を行っていない事を誓う。また私は犯人を探すことも望まない」

 一瞬、会場がざわつき生徒達が顔を見合わせる。犯人を探す気はないと言う事は、解決もする気がない。と言う意味にも取れるからだ。

「犯人の動機はわからない。だが、この大学は宮廷騎士による警備の強化により部外者とは考えにくく、生徒会の権力では生徒の中からの特定も難しい。また大前提として、私が犯人ではないと言って副会長のホウセンカを疑うことは、彼が正に今の私と同じ状況となりどちらにせよ解決しない。それを踏まえ、生徒の皆が消えた予算をどうするのかと疑問をもたれるなら、もう一度私を会長へ当選させて欲しい。この私が自費でこの予算を補填する」

 会場全体がざわつき、キリヤナギもまた驚いていた。貴族からみると少額な予算だが、平民の学生にはかなり大きな額だからだ。

「私、ルーカス・ダリアは、この再選挙の結果持って生徒会が分裂した責任を取る。そして……」

 高らかに話すルーカスは、後ろの席に座るキリヤナギの方を見る。それに合わせるように講堂へ集った生徒達もキリヤナギを見た。

「王子は、私の言う事は聞くと言ったな?」

 ルーカスに話しかけられた事でキリヤナギの元へマイクを持ったユキが来てくれる。
 持っていて欲しいと渡されたそれに、キリヤナギは口を開いた。

「言ったね」
「なら、現在行っている異能回収を休止して欲しい。王子の考えは理解している。学生達がまるで玩具のように私利私欲で異能を使うのは、持ち主としての見逃せないだろう。だが今この大学でそれを感情論のみで行うことはあまりにも危険だ。生徒の反発を呼び手段を選ばない者も出てくる」
「まぁ、暴力沙汰になるのは僕も望まないね。でも回収をやめたところで僕になんのメリットがあるの? 異能回収は僕の自衛手段にもなっている。君がそうやって感情論を述べた所で、異能を使って僕を攻撃してくる生徒はいなくならないし解決にはならない」
「それは承知している。だからこそ『辞めてくれ』ではなく、あくまで『休止』だ」

 静まり返る会場を、ジンは舞台袖で興味深く見守っていた。貴族と平民は、本来話などできない言われる中で、ルーカスは王子と会話しようとしているからだ。
 これは対等な、相手の目的を理解した取引にも近い。

「生徒会にて、『王の力』を持つべき生徒の基準を設け、それに準ずるようなルール作りを行う。できるだけ数を減らし、かつてマグノリア卿が目指していた異能禁止のルール改定に尽力しよう」
「君にそこまでの事ができる保証がどこに? 横領の疑いをかけられた君の信頼は、もう地へ落ちているよ」
「あぁ、だからこそその信頼を『バンドでの借り』で買ってくれ。この一年で成し遂げられなければ、どちらにせよ私は卒業だ。あとは自由にすればいい」
「……」

 キリヤナギは、真剣なルーカスの顔を見てしばらく黙っていた。
 彼は去年の体育大会の頃からアレックスの支持者であり、意図や目的もブレていないのは納得ができる。その崇高なアレックスの目標を壊したキリヤナギは、正に真逆の思想を持つ『敵』だったが、ここに来て目標を同じにするのは新鮮でもあった。

「……わかった。ダリア先輩が再戦したら最大で一年、この活動を休止しよう。ただし例外は設けて欲しい。この数日間で僕は何度か異能を持つ生徒に攻撃を受けた。これらの牽制のためにも、危害を加えてくる生徒には容赦はしない」
「なるほど、身を守る為ならば私も文句は言わない」
「……持っていたいなら僕の見える所で精々使わない事だね。探す事はしない、これは約束する」
「十分だ」

 静まり返った会場をキリヤナギは1人で笑っていた。
 アレックスはアステガと共に、聴衆席へと座り王子の発言を分析する。
 わかりやすいがキリヤナギは「異能が見えた時点で奪取」すると公言したのだ。あくまで回収の為の「行動は起こさない」と言っただけであり「回収をやめる」とは言っていない。
 つまりいつ何処で王子が現れるか分からない中、学内で異能を使う事自体がリスクとなりほぼ禁止に近いルールが誕生する。

「意味なくねぇすか?」
「十分ある。探す事はしないんだ。バレない内は自由に使える」

 貴族らしい言い回しにルーカスがついてゆけてるのか、アレックスに確信はなかった。
 今回の生徒会の一件のようにルーカスのカリスマ性は人を信頼する事にあり、ホウセンカのような巧みに人を操る貴族には足元を掬われやすくもある。しかし、ここで票が動きルーカスが会長となれば、彼は唯一「王子を止める事のできる会長」として、生徒から絶大な信頼を得る事が出来る。
 用意していたマニフェストを全て読み終えたルーカスは、一礼をして演台から後ろへと下がっていった。

「ルーカス・ダリア生徒会長。ありがとうございました。では次に、元生徒会長代理兼会計のイツキ・ホウセンカ副会長。よろしくお願いします」

 イツキ・ホウセンカは、既に顔が引き攣り若干体が震えていた。しかし、演台の前へ立った瞬間、彼の目つきが変わる。

「生徒の皆。ここへ集まってくれて心から感謝する。私はイツキ・ホウセンカ。新たに生徒会の会長となるべくしてここへ立った候補者の1人だ」

 先程の彼には考えられない高らかな言葉の並びに、キリヤナギは安心する。

「まずは今回の問題について、私は起こるべくして起こったとも考えている。それはこの大学のヒエラルキーの混在による嫉妬妬み僻み、人間がもちうるドロドロした感情。それはいつの時代もトラブルを起こす感情であり、私はもう避けられないと考えている。そして避けられないからこそ、愚者は罰され、愚者であることを知らしめなければならない。何故か? それはそれこそがトラブルの抑制になりうるからだ」

 圧力のあるホウセンカの言葉に聴衆は釘付けとなっている。彼の言葉は正しく、ルーカス・ダリアとは真逆の言葉だからだ。

「愚者の放置は新たな愚者を呼び、それはいづれ集団となって善良な市民を脅かしてゆく。この大学は未だ善良な生徒達ばかりだ。私はそんなあなた方を守りたいと考えている。そしてこの生徒会こそその手本となるべきであると」

 上手いと、アレックスは響いてくるホウセンカの声に感心する。
 出てくる言葉は、悪を悪として決めつけて断ずる極端な言葉であるが、この大学の生徒を「善良な生徒」と断言することで、聴衆へ「自分たちは悪ではない」と安心感を植え付けている。
 しかしその真意は、ホウセンカの中にある「正義の裁量」によって行われるものであり、誰しも悪になりえ、それがいつ自分に向くかも分からない王政にも近い思想だ。

 かなり危険な思想だがアレックスは悪くはないと考える。
 それはこの思想が正常に働くと人々は「善良な生徒」として善良に振る舞い、そのプライドから規律が正されることも期待ができ、また悪とされるものが徹底的に排除され、思想も統一されることから治安も確実安定する。

「会長、責任は行動を持って取るべきだ。私は貴方より会長を代わりこの大学の規律を正す!」

 言い切ったホウセンカの演説に聴衆からの拍手が起こる。生徒達が立ち上がって行く中、アレックスは呆れてため息すらついていた。
 平民など所詮この程度のものだ。
 貴族の巧みな言葉のあやへ騙され、それを信じ、自身の立場を持って判断する。
 目の前の政治家が利益になるか、平穏を手に入れられるかで判断し、その過程には目を向けず、差別的な言葉の真意に気づかない。
 立ち上がってゆく生徒達に囲まれる中、微動だにしないアレックスとアステガは、周りの生徒達から奇異な目を向けられていた。

「流石、ホウセンカ君。感動したよ」

 響いた声に拍手が一瞬で止まった。
 後ろで座っていた王子は、演説を終わろうとしたイツキの後に続くように口を開く。

「なら君が目指す治世の為、僕は悪を働く生徒を異能を持つ生徒達で粛正しよう。僕の認めた能力者の生徒達を集め、この大学の治安を異能を持って守って行く。2回生の時みたいな生半可な事はやめて、君が悪と判断した物事の全てを確実に滅ぼそう」
「は……」

 会場は氷水をかけられたかのように静まり、聴衆が真っ青になる。包み隠された言葉の真意を剥がしたと同時にまるで生徒を管理するような物言いは、正に『悪の王』その物で、アレックスは思わず吹き出しそうになってしまった。

 突然の王子の言葉に、ホウセンカの表情へ動揺が戻ってくる。

「王子、そんな事しなくていい!」
「これは君を支持する僕の意思だ。元々人を選んでいたし、異能を僕に向けて使われるのは困るからね。君が悪と断じる敵を僕は徹底的に排除するよ。いいね。これこそ正しい使い方だ。善良な彼らは必ず守られるよ」

 生徒達がまるで尻込みするように席について行く。恐怖する彼らを見たイツキはマイクを掴んで叫んだ。

「私は、王子とは関係はない! 平民も貴族も必ず平穏な学生生活を約束する!! 粛正集団なんかつくらない!!」
「ならどうやって治安守るんだい? ホウセンカ君だけじゃ現実的じゃないと思うけど」
「くっ……」
 
 キリヤナギは、ホウセンカの言葉へ丁寧に返す。その終始楽しそうな態度に舞台袖のジンは戦慄していた。

「実行力なら、僕は信頼があると自負している。春の執行部活動、体育大会の企画、アステガが誘ってくれた文化祭のバンド……。これは趣味かな?」

 アステガは、一人「何いってんだ?」と顔を顰めていた。

「言ったことは必ずやり切る。ホウセンカ君は間違いなく僕の後継だ。僕は彼を支持し、彼の活動を全力で支援する。きっといい大学になるよ」

 なるわけがないと講堂は静まり返っていた。ホウセンカの演説の全てはキリヤナギに全て成り替わられたに等しく皆が震えてステージを見ている。
 拍手がまるでなかったかのような空気の中で、一人だけ小さく響く拍手があった。
 キリヤナギが思わず目を向けると、両手を上げて手を叩くツバメ・ツリフネ。

「よっ、キリヤナギ! なかなかすげぇこと言うな流石王子だ!」
「ツバメ先輩?! きてくれてたんですね」
「ツリフネだと……」
「よぅ、ホウセンカ。今日お前に渡す物あってさぁー! 面倒だし今でいいか」

 ツバメ・ツリフネは、堂々と席を立ち、ホウセンカの方へ歩いて行く。その手には茶の細長い封筒があり、彼はそれをひらひらとはためかせていた。

「これ、うちの部員が『お前から渡された五万』だってよ。生徒会、予算消えて大変なんだってな。まぁ、頑張れよ」

 ツバメ・ツリフネは、ステージの隅にそれを置き、何ごともなかったかのように講堂から出て行った。
 え? とざわついてゆく会場にイツキは衝撃を受けて固まっている。

「五万って確か」
「無くなった予算と同じ額….」

 話し声がステージまで響いていて、役員達すら絶句してその場を見守っている。

 封筒に誰もがざわつく中、次第に動揺してくる講堂にルーカスが渋々口を開く。

「ホウセンカ、一体どう言う……」

 イツキ・ホウセンカは、封筒を取ることもせずただ固まっている。ざわざわと聴衆が騒ぐ中、次に叫んだのはユキだった。

「ホウセンカ副会長! 演説ありがとうございました! それでは投票に移らせていただきます!!」

 ステージに置かれたお金は、ルーカスによって一旦回収され、ホウセンカは動かないまま後方の座席へと運ばれた。顔を両手で多いげっそりとする彼はキリヤナギの隣でつぶやく。

「王子、君は僕になんの恨みがあったんだ……?」
「恨み……? 僕が君の敵である事があったかい?」
「ない! ないないない! でも、僕はーー…」
「……選挙の結果はちゃんと受け入れないとダメだよ」

 イツキは、確信をつかれたように脱力していた。
 講堂への入場時に配られた投票用紙へ生徒が名前を書きステージ上にある投票箱へ入れて行く。
 ルーカス・ダリアへ握手を求めに行くものがかなりいる中、キリヤナギは目を合わせただけで驚かれ、何故か遠慮されるような態度を取られていた。
 項垂れるイツキにも、「応援しています」と声をかけてくれる生徒もいたが、彼は対応する余裕が無く反応も薄いまま、再選挙の行程が全て終了する。
 即日開票ではあるが、時間を要す為にその日の講演は終了となり、結果は残った生徒にのみに告知がされることとなった。

 キリヤナギと立候補者たる二人をステージに残し、他の役員が開票へ追われる中、まばらになった会場でイツキが立ち上がる。
 演台に置かれた封筒の金銭を持ち、ルーカスの前でガクンと膝をついた。

「ダリア……。すまない」
「ホウセンカどうした?」
「全ては、僕の行いだ。僕は、ダリアを貶めたくて、ツリフネの取り巻きを……」

 ルーカスは、ホウセンカの差し出した金銭を突っぱねるように弾き返した。そして、彼を睨むように述べる。

「私はついさっき堂々と話した事を早々に破る気はない」
「……!」
「お前が会長になればそれは受け取ろう。……貴族とは、見栄がなければ生きていけないのだろう? その覚悟を持て」

 イツキは、その場で泣き崩れていた。雄叫びのような声は講堂全体へとこだまして、残った生徒達へも真実を告げる。

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