第五話:ルドベキア

 直撃を受けるとキリヤナギが腰を落とした時、その間に滑り込む影があった。革製の鞄でバットを受け止めたのは、黒のジャケットの男性生徒。
 彼は、バットで殴りにきた生徒を蹴り上げて引かせキリヤナギの腕を掴む。

「アステガ!」
「逃げるぞ!!」

 騎士に取り押さえられる生徒を見届け、二人は一目散にその場を立ち去った。数名の騎士がキリヤナギとアステガを追うが、アステガはそれすらも振り切るように中庭へ飛び出し物陰へと隠れる。

「大丈夫か?」
「ありがとう……」
「派手にやってんだろ。気を抜くな」
「ご、ごめん」

 突然走り息が上がる。
 まさか生徒が暴力で止めに来るとは思わず、キリヤナギは驚いて動揺していた。

「少なくとも単独行動はやめとけ、今ので警備がザルなのはわかっただろ」
「……」

 甘く見ていたとキリヤナギへ様々な感情が込み上げてくる。アレックスが気をつけろと言っていた意味をようやく理解した。

「アイツはーー……アゼリアはどうした?」
「回収はじめたら絶交されてさ……」
「チッ、そうかよ。騎士様が聞いて呆れる」

 キリヤナギは返す言葉もない。周辺を伺うアステガを見ているとキリヤナギは何故か安心し普段の冷静さが戻ってくる。

「もう平気そうだな。そろそろ授業だろ。教室にいくか……」
「僕、一限なくて……」
「はぁ? なんで来てんだ?」
「色々あって……」

 騎士とゲームをしているなど言えるわけがない。アステガば度し難い顔を見せ言葉に困っていた。

「テラスに行ったら、先輩もいると思うし……」
「確実か?」
「わ、わかんない……」

 デバイスで確認すると、アレックスはその日の朝からはこれず二限から合流すると連絡が来ていた。
 アステガは呆れて言葉もない。

「安全なとこは?」
「テラス……?」
「二度言わせるんじゃねーよ。信用出来るヤツがいる場所は? 他にねぇのか!」

 酷く心配されていてキリヤナギは言葉に詰まるが、アステガを見て思い出す場所があった。
 大学の隅にある温室。
 ツバメ・ツリフネのいる植物サークルの話を聞いたアステガは、キリヤナギの横へつきそこまで連れて行ってくれた。

 誰もいないかに見えた植物園には、1人ホースを持って水を撒くツバメ・ツリフネがいて、彼はキリヤナギを見ると「おっ」と手を振ってくれる。

「キリヤナギじゃねーか、よく来たな」
「ツバメ先輩。おはようございます」
「じゃあな」
「え? あ、ありがとう」
「?」

 アステガは、ツバメに挨拶もなく校舎へと走って行った。呆然と見送るキリヤナギをツバメは横目で見る。

「なんだアイツ」
「僕のバンド仲間です」
「バンドしてんの? 多彩だな」

 どこから説明すれば分からずにいると、ツバメがスコップを渡してくる。その日もまた新しい植物が仕入れられたらしく、キリヤナギは、咲き終えた苗の回収と植え替えをやることとなった。
 その作業の中で、さっきあった出来事をツバメへ話すと彼は「ふーん」と鼻で相槌を打ってくれる。

「王子って職業も大変だな」
「今日の事は王子って言うか、僕の行動への抗議かな?」
「暴力でしか解決できない時点で、そいつは負けを認めてるよ。方法がそれしかないって事だし、落ちたもんだ」
「僕、話す努力はしてるつもりだけど……」
「あのなぁ、それはお互いに対等って言うのが大前提なんだよ。論破されるのが分かってる対話なんて始めからやる意味ないだろ」
「それは、そうかもだけど……」
「会話ができないなら殴って黙らせるしかない。貴族ならそのぐらい割り切れ」

 キリヤナギは、丁寧に肥料を土へと混ぜる。何も言わずツバメの言葉を受け入れようとするキリヤナギへ彼は続けた。

「ま、俺は俺でそんなのが全部面倒になってここにいるんだけどな」
「え?」
「駆け引きとか、潰し合いとか、そういうのはめんどくさいし? ここにいる植物達のが素直でかわいいだろ」
「……!」
「俺は、こいつらだけ守れたら十分だし、ここの生徒になんて興味もない。王子さまみたいな立派に使命背負ってもいなけりゃ、背負う気もないからな」
「……なら、ツバメ先輩は僕の行動をどう思ってる?」
「知らないな。どうでもいい、俺は俺の言いつけ守って女みてぇに優しく苗を扱う奴は無碍にしねぇよ。それだけだ」
「……ありがとう」
「キリヤナギが植えた苗、蕾つけてたぜ」
「本当に?」
「見に行くか」

 温室の中にある花壇は、すでに咲いている花もあり名札をなくした花はパンジーだった。
 キリヤナギが来ない間も、タツヤやツバメが水やりをして丁寧に育てているらしい。

「僕も水やりに来た方がいいかな?」
「俺は手伝わせただけだよ。義理もない。強いて言うならジンさんを連れてこい。タチバナ習うから」
「え、わ、わかった……」

 ツバメは、美しいガッツを掲げ変なポーズを取っていた。その後キリヤナギは、アレックスと連絡をとり、彼と温室の前で合流する。
 遠くから歩いてくる影は、アレックスだけでなくもう一つあり、彼はキリヤナギを見た瞬間こちらへと駆けてきた。

「殿下! ご無事ですか!」
「……シズル?!」

 まるで血相を変えたように現れたのは、ジンと同じサーマントを下ろしたシズル・シラユキだった。
 アレックスと共に現れた彼は、キリヤナギを頭からつま先までまじまじと見てホッとする。

「ご無事で何よりです」
「騎士が探し回っていたぞ、災難だったな」
「ご、ごめんシズル。ちょっと隠れてて……」
「いえいえ、お気持ちはお察しします。少し連絡を取るのでお待ちくださいね」
「なんだ? ジンさんじゃねーじゃん」
「シズルは、ここの衛兵してて……僕と同い年なんだよね」
「ふーん」

 シズルは、同隊の騎士へ連絡をとりキリヤナギの無事を知らせていた。彼はそのまま護衛として横につく事となったのか、綺麗な礼をしてくれる。

「改めてお久しぶりです。そしてご友人殿はじめまして、私は宮廷騎士団、ミレット隊所属のシズル・シラユキです。お見知り置きを、本日はキリヤナギ殿下のご安全の為、ご同行をさせて頂きたいのですが宜しいでしょうか?」
「え、うん。いいけど……」
「生徒に襲撃されておいて、躊躇う事じゃないぞ」
「つーか、隠れてたのか?」
「う、うん……」
「温室は騎士も中までは入らないからな」
「手伝いを呼んでくれたなら悪いが、今日は終わったぜ。俺は昼寝するし勝手に帰れよ」
「手伝いではないが……」
「わかった、ツバメ先輩。ありがとう」
「次はジンさんで頼むぜ」

 ツバメは、以前のように長椅子へ腰を下ろして、そのまま寝てしまった。
 3人はそんなツバメを残し、一度屋内テラスへ昼食をとりに戻る。

「シズル、異能研修終わったんだ?」
「はい。一月半みっちり仕込まれてまいりました。改めてよろしくお願いします」
「結局どれにしたの?」
「ふふ、殿下ならばそのうちお気づきなられると思いますので、あえて答えずにおきます」
「ケチ」
「『タチバナ』を会得しているなら見破ってみればいい」
「本日はアゼリアさんが見当たりませんが、おやすみですか?」
「……ヴァルは、ちょっと色々あって」
「今は距離を置いている。大学での事を騎士は聞いていないか?」
「異能を回収されているとは伺っております。生徒の反発が大きいともーー….」

 そこまで話して、シズルはピンときたようだった。キリヤナギの複雑な表情で予想は確信に変わる。

「なるほど」
「察しがいいな」

 キリヤナギは聞こえないふりをしていた。ヴァルサスとの問題はすぐに解決できるものでもないからだ。

「そう言えば先輩。僕、『タチバナ軍』のグループで発言ができなくなってて」
「私もだ。おそらく追い出されたのだろう」
「え?」
「気に入らないユーザーを追い出す権限が、ヴァルサスにはあるんだ」
「……」
「来るなと言う事だろうが、全く義理も人情のない奴め」
「そっか……」

 部長はヴァルサスだ。キリヤナギは彼の運営方針に文句言うつもりはなかったが、まさか追い出されるとは思わず言葉もない。

「話をして頂けないのは辛くもありますね」
「どうせ議論は並行線だ。意味はない」
「僕もそう思ってたけど、ツバメ先輩と話して、そうじゃないって思えたかな」
「何かあるのか?」
 
 借りたゲームの事や、昨日のドラマの事、流行りの漫画やアニメ、音楽など娯楽を教えてくれたのは彼だった。
 昨日はあれを見た、これを見たと話せる事は山ほどある。しかし、そのヴァルサスが2人を追い出すと言う形を取ったのならそれはきっと「話したくない」と言う意思表示なのだろう。

「……今はやめとく」
「懸命だ」

 次話せるのはいつだろう。
 そんな事を考えていたら足音が聞こえ、キリヤナギの背筋へ悪寒が走った。恐る恐る振り返った時、美しい銀髪を揺らす彼女が、まるで徒競走の選手のように突っ込んでくる。

「キリ様ーー!!」
「わぁぁぁぁ!!」

 そのあまりに衝撃的な絵図にキリヤナギは逃げるのが遅れ、走り出す前にがっちりと胴体へ抱きつかれる。
 頬擦りから始めたミルトニア・クランリリーは、久しぶりの王子とのハグに満面の笑みを浮かべていた。

「あぁ、キリ様。ご無事で何よりですわ! このミルトニア、キリ様が異能を回収されていると伺い、すぐにでもこうしてお会いしたかったのですが、トラブルが重なり……」
「み、ミント。わかったから、放して」
「ご安心くださいキリ様。私がキリ様のご意志に反する事はあり得ません。さぁ! どうぞ私めに! 異能奪取の儀式をおかけになってくださいませ!!」
「ミントのは取らないから……」
「はい?」
「ミントは返してもらう必要ないかなって……」
「……そ、そんな。キリ様!! 私のキリ様の奪取の儀式ビデオテープはもう擦り切れて見れなくなっているのです!! 再録画の為にもどうか! どうか!」
「そんなに言うなら去年ローズマリーで撮ったの送るから!」
「こ、光学ディスクではないのか….…?」

 どこから突っ込めばいいか分からない。脇には、ミルトニアの執事がビデオカメラを準備していて、彼はキリヤナギに気づかれると早々に片付けて物陰に隠れた。

「ローズマリーでの儀式?! ですか! なんと素晴らしいのでしょう。きっとそれは広大なバラ園の真ん中でさぞ美しく行われたものですね。あー! ぜひこの目で拝見させていただきたかったですわー!」
「……」
「クランリリー嬢、妄想もそのぐらいにしては如何だろうか」

 ミルトニアの言動にはいつもめまいがする。しかし彼女は、キリヤナギの腕を引っ張るように椅子へと座らせ目線を合わせた。

「貴方が何をしようとも、このミルトニアはキリ様の味方です。なんなりとお申し付け下さいませ」
「ありがとう、ミント」
「ふふ、蛇足ではありますがキリ様。私がここへ来る途中、生徒会長らしき平民生徒が私に声をかけて来ました」
「それって、もしかしてダリア先輩?」
「さぁ? 名前まで間は存じませんが、無礼にも私をクランリリーと呼び捨て、王子に会うなら言伝を頼むと、当然貴方のような無知な者と話す気はないと断りましたが」
「は、クランリリー嬢はやはりこちら側か」

 アレックスの言葉に、ミルトニアはポケットから扇を取り出す。
 口元でそれを広げた彼女は、キリヤナギの座る椅子の膝掛けに腰を下ろして話した。

「何を当然の事を、私は会話する相手を選ぶ主義ですの。平民が何を考えているかなど興味もありませんわ」
「……」
「彼らの視野など、所詮見える範囲でしかない。それ以外のものには関心を向けず、権利ばかりを主張し、貴族の権利や栄誉を踏み躙ろうとする。そんな愚民と会話する意味がいったいどこへ?」

 キリヤナギは思わず頬杖をつきため息を落とした。ミルトニアは昔から「こう」だ。
 才女と呼ばれ、美しき貴族として在る彼女は、何も知らない、何も考えない人々を強烈に嫌っている。
 ルーカスを例に挙げるのなら、彼がモラルありきの大学を作ろうとしている中で、その土台を作った貴族の優遇がなく、むしろ「対等」と言う建前で地位を下げようとしていることが許せないのだ。
 彼女はキリヤナギと言う他にはいない絶対服従する相手がいる事で、動かず静観しているが、もしそうでなければホウセンカの様にこの大学を支配するのが想像できる。

「ミント。ダリア先輩の邪魔したらダメだよ」
「ご安心を、キリ様のいない生徒会などに関わる気はございませんわ」

 会話が成り立たない事をミルトニアは割り切っている。同じ公爵家のアレックスは感想や意見を聞くべきであるとする中で、王子たるキリヤナギはどう在ればいいのか、まだ決めかねていた。

 一限の終業チャイムが聞こえ、キリヤナギがミルトニアを剥がそうとしていると、入り口で警護していたシズルが動き、一名の生徒が入ってくる。
 鞄を肩にかけるのは、今朝あったばかりの黒ジャケットを着た彼だった。

「なんだ、騎士がいるじゃねーか」
「アステガ……」
「アステガ……?」

 アレックスが顔を上げて驚き、キリヤナギも呆然としてしまう。
 アステガは、ミルトニアにバックハグされているキリヤナギをみて舌打ちをして身を翻した。

「邪魔したな」
「え? 待って?!」
「何が用があったんじゃないのか??」

 渋々立ち止まったアステガは、もう一度その場を俯瞰して口を開く。

「王子は何限からなんだ?」
「二限、これからだけど……」
「騎士がいねぇなら付き合ってやろうかと思っただけだよ」
「本当に?」
「お前がか??」
「マグノリア……先輩。俺じゃ悪いっすか?」
「いや、私が付き添おうかと考えていたぐらいだ。助かる」
「まぁ、いらねぇなら帰るぜ?」
「えっと……」
「王子、アステガは居た方がいい。騎士は教室の中までは入れないだろう?」
「教授によると思われますが、私も同意ですわ。アゼリア卿の居ないキリ様は大変無防備にも見えます。そこの目つきの悪い方が隣におられるだけでも牽制になるかと」

 ミルトニアの言葉にキリヤナギは反応に困っていた。アレックスだけでなく彼女からの進言は、事態の深刻さを彷彿とさせるからだ。

「王子、今はアステガの好意に甘えておけ」
 
 背中を押され、キリヤナギはアステガとシズルと共に教室へと向かった。彼とは、特に会話もなく席を並べて座り筆記用具の準備をするが、鞄の中へ教科書が見当たらない事に気づく。

「ごめん、ヴァル、教科書がーー…」

 反射的に声が出て、目があった相手にハッとした。隣にいたのはアステガで少し驚いた表情をしている。

「ご、ごめん」
「教科書忘れたのか?」
「うん……」
「しょうがねぇ」

 アステガは、教科書を開き真ん中へ寄せてくれた。
 まだ何も慣れていない。動揺しているのだろうと思いキリヤナギは、ため息をついて授業の開始を待っていた。
 この教室のどこかにヴァルサスは居るのだろう。
 みつけたらまた動揺してしまいそうで、キリヤナギは教授へ意識を集中することで誤魔化していた。

 キリヤナギが授業を受ける同じ頃、ヴァルサスは同じ教室には居なかった。
 どうせいつも寝ている授業で、教授の言葉は理解ができず、行ってもキリヤナギがいて気分も悪くなるからだ。
 誰もいない体育館で、1人ベンチに体を預けぼーっと天井を眺める。
 ただ感情のままに口にした「絶交」に、冷静になってから僅かに後悔も込み上げてきてきた。
 彼との口論の時、ヴァルサスは何故かキリヤナギが強引に異能を奪っている様にも見えた。それは、彼が回収を始めた次の日、生徒達がヴァルサスへ王子を止めて欲しいと懇願した事に始まる。
 十数名の生徒達は、中庭でドッジボールを楽しんでいただけで、それが気に入らないと言う王子に取られたと話したのだ。そして聞けば聞くほどに王子が感情論に任せ行動を起こしている様にも見え、止めずにはいられなかった。
 ヴァルサスの中には、およそ一年間王子と過ごし、自身の言葉になら耳を傾けてくれると言う確信が宿っていた。
 彼のことなら分かると、こう言えば聞いてくれると考えて話をしたつもりだったが、それはまるで殴り返す様に拒絶の言葉で返され、感情の制御が効かなくなった。
 確信が崩れ去り、まるで裏切られた様な気分になったのは久しぶりで、彼の言葉を受け入れることができなかったばかりか、理解もできず、話ができないと「絶交」と言う言葉がでてきた。しかし別れた後、冷静になり兄や父へ話すと宮殿に仕える二人は揃ってヴァルサスが悪いと断じ、「元々は『借り物』であることを学生は分かっていない。王宮では校則が変わってから黙認され続けていたが、王子が回収に乗り出したなら従うべきである」と、父の言葉で叱られた。
 本当にそうなのだろうかと、ヴァルサスは納得できなかった。皆が悲しんで絶望させるのが本当に貴族として正しいのか。納得が出ない。
 王子は今までそんな事は無かったのだ。優しく少し天然で、生徒や学園の平和を願っていたはずなのに、何故彼が皆を悲しませているのかわからない。

「なんでなんだよ……」

 全て回収するならまだ分かるのに彼は生徒を選んでいると噂され、尚更不信が募る。ホウセンカ以上の選民思想を連想して怖くもなった。

「アゼリアだよな?」

 誰もいないはずの声に、ヴァルサスは思わず飛び起きた。脇には数名の初めて見る生徒達がいる。

「誰?」
「ロイド・ロベリア、四回」
「先輩? 何か用すか?」
「俺ら、王子に異能を取られた奴集めてんだ」
「集めてる?」
「そう、だってこのまま王子放置したら力持つ奴集めて派閥つくるだろ、誰も逆らえなくなる。それを阻止したくてさ。仲間集めてんの」
「どう言う……」
「王子の周りに人が少ないうちに叩こうと考えてる。一人なら捕まりそうだが、人数いたら流石に騎士も手が出せなくなるだろ? 王子だし、またちょっと怪我でもすれば大学来なくなりそうだし」
「そんな力尽くでやんのは違うだろ……」
「じゃあどうすんだ? マグノリアの時だって誰も手が出せなくなったじゃねーか。アイツが活動を始めた時にに叩いときゃ、あーはならなかっただろ」
「それは……」
「まぁ、友達やってたやつに言うのも酷か。ならアゼリアから説得してくれよ。取り巻き集めてやるし、王子でも流石に人数いたら気が変わるだろ」

 ヴァルサスはすぐに答えることができなかった。この一年で王子はやると決めた事は最後までやり抜いて行くところを見ているからだ。
 生徒会の活動、体育祭、文化祭、王子としての仕事もこなしていた。ククリールさえも連れ戻し、彼にやれない事はないとすら思えたほどだった。
 そんな彼に、先日と同じ言葉が届くかと言われたら、わからない。

「わからねぇ、でも話さないとどうしようもないよな」
「そうだな。まぁだめなら俺らがどうにかするよ」

 ヴァルサスの中にわずかな不安はあったが、差し出された手を彼は迷わなかった。
 ヴァルサスだけの意見ではなく、多くの生徒の意見ならキリヤナギの気分にも影響があると信じたからだ。
 

 その日全ての授業の終わった大学で、生徒会は緊急招集がかけられていた。それはその日の早朝、この大学に通う王子キリヤナギが生徒による襲撃をうけたと騎士団より報告されたからだ。
 これにより大学の運営部から、騎士団の警備が強化されることになると言う旨と、生徒達が衝動的な行動にうつらないよう働きかけをするよう指示があったのだ。
 
 イツキ・ホウセンカは、その招集がかかった生徒会で、1人生汗をかきながら役員生徒と向き合っていた。
 それはイツキこそが、王子が行動を起こしたと言うきっかけとも言われており、イツキなら王子を止めることができる可能性を期待されているからにある。

「何度も言うが、王子の行動に僕は関与していない」
「あれだけ後継だと言っておきながら今更?」
「確かに言った! でもこれは想定していなかったんだ」

 訴えるように話すイツキだが、役員の皆は半信半疑だ。ほんの数日前まではまるで自慢するように話していた「王子の後継」と言う言葉は、まるで手のひらを返すようにでなくなり、生徒だけでなく役員達にも怪訝な目で見られてしまう。

「とにかくですよ。このままでは力を奪われた平民生徒が、貴族に攻撃されたとみなしてさらに暴力的な行動に出る可能性もあります。王子殿下の後継なら、ほんの少しの間でも止めてもらうことはできませんか?」
「……やろうとした! でも王子の行動には大義名分がある。ハイドランジア元会長の言葉も聞かず、回収を強行した。身内の話も届かない王族に僕の声が届く訳がない……」

 平民の役員達は、イツキの言葉がまるでわかっていない表情をしていて、彼は思わず舌打ちで返してしまう。
 結果論が全ての貴族界において「対話」とは、お互いに信頼のおける相手でしか成立せず、「言う通りに動いてもらう」こと自体が浅ましく受け取られかねないからだ。
 結果が欲しいなら、まず自分で成し遂げ、その実績を誇り始めて「信頼」を得る。
 イツキはこの為に平民を利用し自身の行動を王子のものであるとして「功績」を献上しようとしたが、王子はまるでイツキが対等であるかのように「功績」を突き返し、そこへ付随してくる印象の全てを押し付けてきたのだ。
 外野から見ればさぞ信頼度が高く見えるだろう。お互いに功績を与え足場づくりを惜しまないその様は、まさに理想の関係だが、生徒会と言う立場のあるイツキにとって、平民の敵として認識されつつある王子の後押しは、他ならぬイツキ本人も平民の敵として認識されかねない。

 そしてもし王子が、イツキから平民の信頼を根こそぎ剥がそうとしているなら、イツキが何を話したところで、王子は聞く耳を持たず「対話」になり得ない。
 またこれ以上王子へ関わっても、ホウセンカ家の悪い印象が王家へつくだけでもあり、イツキはこれ以上触りたくはなかった。

「……私の声はもう王子には届かない」
「逃げるんですか? あれだけ新聞をばら撒いておいて本当都合がいいですね」
「お二人とも、今は生徒の不安を取り除く事が最優先では?」
「この副会長、その原因と絡んでたくせに『態度が変わった』っていて全然動こうとしないのよ? ヒーローとか言って生徒会にも貢献するから放置してたけどさ。結局自分の事ばっかりじゃない」
「貴族には貴族の関わり方がある! 私よりもお前達の方が話ができる可能性だってーー」
「私らの『王の力』を差し出せって言うのかよ! 自分が取られなかったくせに!!」

「やめてください!!」

 突然響いた高い声に、その場が再び騒然となる。悲痛にも反響したその声に集まった役員達の目線が集中した。
 その目線の先にいたユキ・シラユキは、まるで止めていた言葉を全て解き放つように口を開いた。

「今は1人の生徒が襲われた事件として見るべきだと、私は思います!」
「シラユキさん……」
「しかしこの事態は王子によって引き起こされたものでーー……」
「自業自得だって言うんですか? この生徒会は自分の大学の生徒すら守れないんですか? それこそ差別です。それは王子を貴族として『やられて当然』と言う価値観が生んだ。ただの偏見です。この生徒会は平民の生徒会長によって運営される、本当の意味で公平な生徒会じゃなかったんですか?!」
「シラユキさんも落ち着いて……」
「……悔しいです。大学の為になりたくて立候補したのに、もうずっと誰が悪いとかどう責任とるとか、自分達のことしか話し合ってない。そんな中で、王子は生徒会から外れてもゴミ拾いをされて、かつての執行部みたいに活動をされている。……恥ずかしくないんですか……? そんな当たり前のことができない生徒会になんの価値あるんですか……」

 ほろほろと溢れてくる水滴にユキは自分で驚いて顔を隠した。声を殺し涙を殺し、歯を食いしばって耐える。
 その様子にイツキ・ホウセンカは、一旦目を逸らして窓の外をみた。口論相手の文化役員の生徒はため息をついて告げる。

「シラユキさんの言うとおりだと思う。王子は元凶かもしれないけど、その行動には正当性があるし無理に止めるべきじゃない」
「文化部長……」
「ならどうする? このまま暴挙をゆるすのか?」

 文化部長の彼女はしばらく考えていた。そして捲し立てようとするイツキを睨みつけて告げる。

「ダリア会長を呼び戻す」
「は……」
「今はそれしかない」
「ちょっと待て、ダリアが今回の件に何の関係がある?」
「本来の生徒会の状態で議決をとる。それでどう働きかけるか決めれば良い」
「生徒会をバラバラにしたダリアを呼び戻すのか?」
「うるさい。アンタは私達がダリア会長の除名に反論したらいつもまとまらない、と言って会議を打ち切る。結局議論とかいいながら思い通りの結果にしたいだけなんだろ」
「そんな事はない。僕は正しい結果になるまで話し合いを繰り返してるだけじゃないか!」
「正しくないから纏まらないんだよ。誰にも責任を取らせるべきじゃない。むしろ今はそんな事話してる場合じゃない」
「……っ!」
「実害がでたなら、まずはそっちからだ。……シラユキさん。ダリア会長を呼んで」
「はい」

 ユキがルーカスへと連絡を取ると彼は大学へ登校しており、すぐに合流できることとなった。
 呆然としていたイツキ・ホウセンカは、皆こちらへ見向きもせずにいることへ背筋が冷える。

 古きホウセンカの血統は、いずれ人々のリーダーとなり正しい道へと導かねばならない。
 これはホウセンカ家が平民から伯爵へと成り上がった際から続く伝統的な信念でもあった。リーダーになるべくして入った生徒会で、場を仕切ることができないなど、ホウセンカ家の貴族としてあってはならず、汚点にすらなり得ると思えた。

「貴族として皆を先導できない僕に、なんの価値がある? 貴族の意味がないじゃないか……僕は何のためにいる?」
「……!」
「僕を無視するな!! 僕はお前たちを正しく導く為にここにいるんだ!! それを理解しないまま好き勝手するな!!」

 感情のままの言葉に、生徒達の足が止まった直後、書記のかかれた三角のプレートが飛び、イツキ・ホウセンカの額へと直撃した。
 イツキはそのまま、後ろへとバランスを崩し黒板の前で腰を落とす。
 
 プレートを投げたのは、メガネを曇らすほどに息が上がったユキ・シラユキだった。

「選挙で決めればいいじゃないですか」
「……!」
「貴方の考えなんてしりません。どんな思いで役員になったのかとか、目的とか、この際どうでもいい」

 ユキは姿勢を正し、息を整えながら続ける。

「私達は選挙で選ばれた。その私達が決められないなら、生徒の皆さんに選んで貰うのが筋だと、思います」

 ユキは、イツキ・ホウセンカの考えも理解できない訳ではなかった。それはシラユキ家も祖父の代より王宮へ使える騎士貴族であり、役目を負いながら平民として暮らす騎士貴族でもあるからだ。よってその使命を今更「必要ない」と言われたらきっと絶望して今のイツキのようになってしまう。
 だが、それを望むことが正しいかどうかは、それを俯瞰する他者の手に委ねられ「望まない人も居る」ことを理解もしなければならない。

「私達貴族の考えは、ずっと正しいとは限りません。貴族を嫌う人もいるこの大学で人を先導することに価値なんてない」
「ーーっ! 貴様、ホウセンカを否定するのこ!!」
「否定はしません!! でもホウセンカ様の価値は、人を先導することだけじゃないと思います」
 
 イツキ・ホウセンカには、考えたことのなかった結論だった。
 多くの人を率いてこそ、その地位と権力を認められる貴族は、その生まれこそ全てであり信頼すらもその家柄が左右する。故に若ければ若いほどにその価値の意味に気づかない。

「価値は自分で作るものです。ホウセンカ様の家も伯爵を介して侯爵まで上り詰めたなら、それはご先祖様が作られたもの。だからきっと貴方にも作れる……」
「……」

 イツキは、まるで探していた宝を見つけたような顔をしていた。ユキは彼のその表情にまるで重い扉が開くような感覚を得る。

「シラユキさん。私も会長に連絡をとるね」
「はい」

 皆が彼を見放し、対策へと動き始める中、誰にも聞こえないような声でホウセンカは口を開いた。

「シラユキ。本当にそれは……私にもできるか?」
「……はい! 貴方が人へ自分の価値を求める限り、きっと」
「なら、何をすればいい」
「今は生徒の為に、協力してください」

 ユキは、イツキの手を引き彼を会議の中へと引き込んでゆく。
 崩壊しかけていた生徒会は、1人の生徒の改革をきっかけにまとまりようやく前へと動き出した。

*215

 日が変わり、水曜日の昼休みに入る学園は、昼食をとる生徒達に溢れ食堂には長蛇の列ができていた。
 ヴァルサスは一人、昼食の席を探して食堂へ現れるが、そのあまりの生徒の多さに断念し、屋外の中庭のベンチへと腰掛ける。

 ここは以前、キリヤナギが一人になりたいと言ってテラスを離れ昼を済ませていた場所だった。
 同じ場所は癪ではあったが、丁度建物の影になって見つかりにくく、場所としては悪くなく悔しさも込み上げてきた。

「あら、アゼリアさん。ごきげんよう」

 高い声に、ヴァルサスはお弁当を広げようとしていた手を止めた。
 屋内テラスに行くため、渡り廊下に出ていたククリール・カレンデュラに思わず「げっ」と声を上げてしまう。

「今日はテラスへは行かれないの?」
「ひ、姫。何でここに気づくんだよ」
「? よく王子がここへ隠れられるので、時々見るだけですよ」
「隠れるって……」
「誰にも見られたくない時はここに避難されますから」

 ヴァルサスは、知らされてはいなかった。しかし大学の履修システムの関係上、常に一緒に行動するわけではなくお互いに空き時間が違っていたりもする。
 そんな時、他の生徒に見つからないよう隠れる場所がもう一つあるとすれば確かにここは見つかりにくい。

「今日はテラスへ行かれないの?」

 繰り返された質問に、ヴァルサスはすぐに言葉が出てこない。ヴァルサスはククリールへ、キリヤナギとの「絶交」はまだ話していなかった。
 四人のテキストグループのみ抜けてそのままとなっている。

「気づけよ。俺はもう王子とは関わんねぇ。グループも抜けただろ」
「あら、見ていませんでしたがそんなことに?」
「み、見ろよ!」
「男性ばかりのグループへ入れられ、肩身ぜまかったので……」

 はぁ? と意味がわからないが、ヴァルサスは理解しようとも思えなかった。ククリールは、確かに四人の中ではメッセージが少なく、キリヤナギとは個人で連絡を取ってそうにも思えたからだ。
 ヴァルサスは、立ち去ろうとしないククリールが少し疎ましくも感じ、目を合わせずに告げる。

「とにかくさ、俺はもう王子なんて知らねぇし、貴族と関わるなんてごめんだ」
「……」

 ククリールの表情が一瞬変わったのを、ヴァルサスは見逃さなかった。どこか冷ややかな、まるで何かを裏切られた様な目を見せたククリールは、「そぅ」とまるで氷の様な冷めた声で続ける。

「貴方にとっての『友人』とは、その程度だったのですね」
「は……」
「王子がどれほど貴方を想い、貴方に合わせてきたか、その気遣いにすら気づかず『もう関わりたくない』と?」
「うるせぇよ!! お前らはいつもそうだろ!! 気づかない間になんかやって、それをやってやったみたいにひけらかしやがる! 分かるわけねーだろ、そっちこそちゃんと説明しろ!!」

 ククリールは一瞬驚いたが、その目は以前冷ややかなままだった。そして何かに気付いた様に続ける。

「その程度ですか?」
「何がだよ!!」
「説明が必要な『友人』なら、貴方も『その程度の友人』であったと言うことですね」

 どくんと、ヴァルサスの胸の鼓動が大きく響く。ククリールの言葉は、説明がなくとも友人なら信じられると言う妄信的なものだ。もしお互いに普通の友人なら、そう思えたかもしれない。だが、

「無理だよ。お前ら『貴族』だろ」
「……今日は夕方から雨が降るそうです。濡れたくなければ中へ入られますよう。ではごきげんよう」

 ククリールは、身を翻すように立ち去っていった。それを見上げると確かに青空は翳り、雨の匂いがする。ヴァルサスは一人残されたベンチでお弁当をかき込んでいた。

 二限が終わったキリヤナギは、教室の外でシズルと合流し、昼を買いにゆくと言うアステガと共に食堂へと向かっていた。
 しかし、想定以上に混んでおり断念して売店へと向かう。そしてアステガが精算するタイミングで、キリヤナギが自身の電子通貨カードを翳して精算を済ませた。

「お前」
「僕の気持ち。付き添いありがとう」
「……」

 じっと睨まれ、思わずみじろいでしまう。

「三限はとってるよな?」
「あるけど……」
「テラスで待ってろ」

 アステガは、何ごともなかったかの様に廊下を歩いて去って行く。しかし、彼と別れた瞬間、シズルの表情が険しくなり嫌な視線を向けられているのがわかった。

「殿下、よく平気でおられますね」
「別に慣れてるし」

 見られる事には慣れている。それがいい視線なのか悪い視線なのかもよく分かるが、どちらにも慣れるとどちらも同じに思えてどうでもよくなる。
 結果的に学生なら無害だと信じきってしまい警戒が出来ていない。

「もう少し危機感をお持ちになった方が……」
「僕が学生を疑ったら終わりかなって」

 シズルは、言葉を失っていた。学生であるキリヤナギが学生への信頼を失えば、この大学の全ての生徒が敵になってしまうからだ。
 疑うべき相手の中へアレックスだけでなくククリールまでも入り、もはや誰も受け入れられなくなる。

「愚問でした。申し訳ございません」
「良いんだけど、あんまり怖がると通わせてもらえなくなりそうだしね」

 大学で何が起これば、それこそ休学は免れない。外部からの敵では無く学生が攻撃してくる可能性があるなら、まずは囲い込んで保護することが最優先となるからだ。

「三限おわったら、また回収に行こうと思ってて」
「本気ですか?」
「うん。シズルか怖いなら待っててもーー」
「い、き、ま、す!! もう少し危機感をお持ちください!!」

 何も言い返せず、キリヤナギはアレックスのいるテラスへの戻り、2人でお昼を済ませていた。
 彼もまた三限終わりの回収には同行してくれることとなり、大学の地図を確認しながら異能を持つ生徒達がいそうな場所を模索する。

「今日もお忙しそうですね」
「クク、おはよう」
「もうお昼ですよ」
「ククリール嬢も三限からか」
「えぇ、必修ですからね。落とせませんもの」

 ククリールは、今日も完全栄養食のパンを広げていた。彼女は、テーブルの学内マップを興味深く眺める。

「この大学、意外と広いですよね」
「今日も異能回収しようかなって見てたんだ。やっぱりサークル棟かなって」
「研究棟にもお持ちの方はかなりおられますよ」
「第一体育館の運動部も【未来視】を使っていると噂されている、あくまで噂だが」
「大会にでてなかった? 反則じゃん」
「証拠が取れないからな。黙認されている」

 聞いているシズルも少し苦い表情をしていた。使っているとも限らないが、持っている限り疑わずにはいられないからだ。

「今日は体育館見に行く」
「わかった」
「応援致しますね」

 その後、キリヤナギは再び教室前でアステガと合流し、席を並べて授業を受けた。教壇に近い席を取ると、やはり目線が集中しアステガが緊張しているのが分かる。

「ーったく、見る相手ちがうだろ」
「ご、ごめん……」
「気にすんな」

 遠くの後ろの席にはヴァルサスもいた。彼は隣にいるアステガに驚いたが、気にしない様、生徒の中へと溶け込む。

 授業の90分は何事もなく終わり、生徒達が解散して行く中でアステガも席を立った。

「今日はありがとう。アステガ」
「すぐ帰るんだよな」
「これから、回収に行こうと思ってて……」

 アステガが度し難い表情を見せると共に、周りの生徒の足が止まる。彼はまたもキリヤナギの腕を掴み、すぐ教室からでて物陰に隠れた。

「テメェ、無駄な心配をかけるのが趣味なのか?」
「か、隠すことでもなくない?!」
「わざわざ大っぴらにすることでもねぇよ」

 大きなため息にキリヤナギは申し訳なく思えてしまう。教室を離れたことで追ってきたシズルと合流し、アステガはしばらくそこで考えていた。

「どこに行くんだよ」
「第一体育館、かな? シズルいるし大丈夫だよ」
「…………いや、そっちの騎士に聞く。保証できるか?」
「一度襲撃を許しておりますのでお答えはしにくく……」
「だそうだが、……ビビってる顔じゃねぇな」
「生命とられるわけじゃないし?」
「……」

 平然としているキリヤナギに、アステガは困っている。キリヤナギの中にある明らかな恐怖のズレにアステガは慎重に口を開いた。

「あのバットを持った馬鹿は怖がるに値しねぇってか?」
「え、まぁ、うん。僕が怖いなって思ったのは、本当の意味で殺されるって思った時とか、殺人させられそうになったりとか、それに比べたら全然?」
「そう言うことか、気を揉むだけ無駄だな」
「何の話?」
「こっちの話だ。……それより言わせた俺が言うのもなんだがそりゃテメェを護ろうって言ってるヤツの前で言えるセリフかよ。情けねぇ」
「それに関しては……言葉もございません……」
「シズルはまだ2年目だから……」

 そう言う問題ではないと、アステガは更に顔を顰める。

「しょうがねぇな、騎士じゃ限界あるなら、その穴埋めしてやるよ」
「穴埋め?」
「本当ですか? それは私も安心です」
「一応学科も同じだからな」
「護衛なら申し訳なーー…」
「俺が勝手にやるだけだ。……それとも何か、仲間とつるもうってのが不満か?」

 アステガの言葉にキリヤナギは意表をつかれた。彼が発した仲間という言葉はヴァルサスに絶交されたキリヤナギにとってとても大きくも聞こえた。

「じゃあ、ジーマンも呼ぶ?」
「あいつはいらねぇ」

 嬉しそうにするキリヤナギを、アステガは訝しげに睨む。
 彼はこの場にキリヤナギの危機感の無さを知る者はいないと判断し、問い詰めることはやめた。

「それで? すぐ行くのか?」
「うん。先輩も呼ぶね」

 ここで公爵家なのかと、アステガは人選にも大きな疑問を持たざる得なかった。

 この大学の第一体育館は、最も広く作られていて人数の多いサークルのみが利用できる特別な場所でもあった。
 また曜日によって利用できるサークルが違い、その日は30名近くいるバスケットボールサークルが声を上げ、靴の音を鳴らす。
 体育館に入った瞬間から伝わってくる熱気と汗の匂いは運動部特有のものでキリヤナギは騎士棟の屋内演習場を思い出していた。

「こんないるのか……」

 体育館の入り口には、数多のトロフィーや盾が飾られ、靴箱から溢れた靴が無造作に散らばっている。
 入り口からは、シュートをする生徒が列をなしているのが見え、更に覗き込むとドリブルや練習試合をする生徒もいた。

「サークルのレベルじゃなくない?」
「何年かに一度プロも輩出しているらしいが、異能の有無がどうなのか楽しみだ」

 キリヤナギが、練習風景を凝視して能力者を探していると見学者に気づいたのか。指導していた生徒が歩み寄ってくる。

「やっぱり王子か、待ってたよ」
「こんにちは……」

 想定外の言葉に困惑してしまう。
 彼はバスケットボールサークルの部長らしく、皆に練習をやめさせ集合させた。

「このバスケサークルの部長。イチョウだ。四回、よろしく」
「イチョウ先輩、はじめまして。待ってたって?」
「あぁ、よく異能を使って勝ってるんじゃないかって言われてるからくると思ってたって意味さ」
「自覚があったのか」
「自覚とは違うな。持ってる奴もいるがうちはこの部にいる限り、異能の使用を禁止にしてるから、むしろ回収をお願いしたかったって意味さ」

 三人は言葉がでなくなった。
 向けられる目線は、悪いものを見る目ではなく真剣な目だからだ。

「イチョウ先輩って、もしかして使ったところは分かる?」
「分かる。【未来視】は慣れた。あと【認識阻害】も。流石に【千里眼】は分からないな」

 彼らは大会に出ては勝つたびに異能の使用を疑われ、出場ができなくなる可能性も出てきていると話してくれた。
 『王の力』の返却は、借りた公爵家の土地へ赴くか王宮へ足を運ぶしかなく、首都で返却する場合、毎月一日だけ設けられている返却日に申し込む必要がある。しかし、返却を希望する人数も多く3ヶ月から半年近く待たされることもあるらしい。

「ごめん。枠増やすようにセオに話す……」
「まぁ、全員回収されるの待ってるうちに大学だと顔が入れ替わるんだよ。異能禁止と知らず入ってくる奴もいるからな」
「今の大学の空気だとそうなるよね……」

 能力者が溢れるこの大学で『王の力』は一種のスクールカーストを作り出していると言っても過言ではなく、前情報を知る平民達が入学前から準備していても不思議ではないからだ。
 しかし、スポーツサークルへと入り異能が禁止と言うことになればその瞬間持っている意味もなくなる。

「そういう事なら回収するよ。今日は全員いるのかな?」
「いや、数人だけどしばらくサークルに来てない奴がいる。幽霊部員だな」
「へぇー……」
「そいつらは『持ってない』って入って来てさ、異能使って来やがったからボコボコにしてやった」
「わざわざ!?」
「偶にいるんだよ。こっちが無能力だと思って舐めてきやがる。ま、もう慣れたもんだ」
「部長すげーんだぜ、異能持ってるか見破ってさ。勝つんだよ」

 スポーツ的な『タチバナ』だと、キリヤナギは感動してしまう。七つの力の中にはスポーツにも流用できる異能は幾つかあり、使用すれば明らかに有利ではあるが、それを看破する能力があるなら彼はジンに近い能力を持ち合わせているのだろう。

「すごい……!」
「王子に言われたら嬉しいな」

 おおらかな部長は、騎士道を知るのか綺麗な礼をしてくれた。スポーツマンシップに則る彼らにとって異能は不要な疑いを生んでしまう。
 なら、回収するしかないとキリヤナギは言霊を唱えた。

「-桜花の王子、キリヤナギの名の下にーー…」

 その声に部員達の意識が集中する。異能を持つ人々は、その言葉に引き寄せられその命令に背くことはできない。

「貴殿らの異能を返却せよ!-」

 その言葉を聞いた生徒達から、異能が回収され帰って行く。まるで流れ星の様な光に拍手も起こっていた。
 彼らに対してキリヤナギは、返却の証拠として写真を撮影し立ち去ろうとするが、体育館の出入り口まで見送りに来てくれた部長は、少し心配そうにキリヤナギを見る。

「王子、ありがとうな」
「こちらこそ助かった。またよろしく」
「おう……、でさ」
「?」
「回収、大変だろうけど何があったら言ってくれ。俺たちは貴族平民関係なく王子を支持してる」
「僕、もう生徒会じゃないんだけど」
「今朝、襲われたんだろ。去年も大学でやられてるの部員が見てる」
「……!」

 驚く中、冷静に考えるとこの第一体育館は授業でも利用されるため、大学の本館から比較的近い場所に建てられている。
 つまり体育の授業を受ける生徒の通り道にテラスがあり、何が起こっていたか遠目で見ることができるのだ。

「あんまり覚えてない、かな?」
「……まぁ、そう言う事だからできることがあれば言ってくれ」
「ありがとう」

 終始黙っていたアステガとシズルは、少し心配そうな面持ちをしていた。他にも、野球部やバレー部などのスポーツサークルを巡ると、やはり皆が口を揃えるように困っていると話し、キリヤナギはスムーズに回収して立ち去ってゆく。

「何の問題も起きなかったな……」
「だが普通に考えれば、ルールの上で対等に戦おうとする彼らにとって『王の力』は余計なトラブルを生むものでしかないな。アステガ、肩透かしで悪かった」
「不満に聞こえたなら謝罪します。マグノリア先輩」
「でも、どこの部も全員いなかったね」
「逃げたのだろう。能力者は王子と対面した時点で負けだからな」

 キリヤナギの言霊は、耳を塞いだだけでは意味がない。それは個人に呼びかけているのではなく、人へ宿る異能へ発される言葉だからだ。
 持ち主の意思に沿い、それは個人の身体から離れ王家の元へ戻る。それがどう言うメカニズムで行われているのかは教えられたこともなく、ただそう言うものだとして理解していた。

 運動部は一通り回り終え、次はどこへ行くべきか話していると、シズルが耳のイヤホンへ着信を受ける。

「殿下、ジンさんが玄関に来られたそうです。場所をお伝えして構いませんか?」
「はやくない?」
「襲撃された事を忘れてないか??」

 時間割を探りに来ているとキリヤナギは考えていた。同行している騎士に連絡をとれるなら、ある程度目星がつく。

「まだ回りたいんだけど……」
「見ねえうちに我が強くなってねぇか?」
「こうだぞ。付き合うなら骨が折れるな」

 キリヤナギはアステガに引っ張られる様に、屋内テラスでジンと合流させられた。シズルとは違った雰囲気をもつジンへ、アステガは何故か納得している。

「アステガさん。お久しぶりです」
「どうも。確か、タチバナさん」
「はい、ジン・タチバナです。付き添って頂いているみたいで、ありがとうございます。さっき親衛隊で対策会議してーー」
「また勝手に……」
「心配してるんすよ……」

 衛兵のミレット隊の連絡を受けたセシル・ストレリチアは、状況を重く見てジンとグランジに王子へ提案する様に持ちかけていた。
 リビングに常駐するジンとグランジ、そして学園の衛兵シズルのうち3名の誰か一名を学内のキリヤナギの護衛につけて欲しいと言う。

「妥当だな」
「えぇー……」
「もうゲームどころじゃないですよ。俺もグランジさんも負けでいいので……」
「ゲーム?」

 ジンは、キリヤナギに腰をつねられて黙らされた。なんでもないと誤魔化す中でアレックスは半ば呆れている。

「タチバナ、王子の危機感が無さすぎる。どうにかならないのか?」
「それは俺らが悪いんで……どうにかします」
「ヤなんだけど……」
「じゃあ俺、ツリフネさんとこに通うんで連れてってくれません? 場所分からないんで」

 キリヤナギは意表をつかれたような表情をしていた。アレックスは「ほぅ」と感心しつつ静観する。

「それなら良いけど……」
「いいのか……?」
「なんだかんだで、王子の扱いはタチバナが長けてるな……」

 キリヤナギは人が絡むと弱い。
 それは彼が誰よりも誰かのためにありたいと願ったことがあるからだ。

「じゃあ、これからサークル棟に行くから来て」
「帰らないんすね」
「貴族らしくねぇと思ってたが、勘違いか」
「タチバナの前では、かなり我が儘な所がある」

 改革には必ず反発がある。
 貴族達は自身の信念を認められ、積み上げた信頼を背負って権力を得るが、全ての人々が賛同するわけもなくその反発は時折生命すらも奪いにくる。
 騎士はその反発から主君を守るために存在し、主君の意思をとめるものであってはならないのだ。

*216

 ジンを交えた5名は、早々に大学のサークルの部室があるサークル棟へと向かう。その道中で生徒の気配があまりにもなくアレックスは不審に感じていた。

「普段のこの時間はサークルへ行き来する生徒とよくすれ違うが……」
「みんな帰ったのかな?」
「ねえな。どう考えても早すぎる」

 本来大学は18時を境に閉門し本館には立ち入ることができなくなる。
 それ以降は警備兵のいる裏門からしか出入りができなくなるため、帰宅する生徒は皆18時までに下校する筈だが、その日はまだ閉門まで余裕があり異様な雰囲気が漂っていた。

「今日は休みとか?」
「__いや、そりゃ呑気に構えすぎだ」

 アステガがそう言った直後。アレックスの表情が険しくなり、キリヤナギは足を止めた。彼の視線の先にいたのは、サークル棟の入り口に座る生徒の影。
 黒髪に険しい表情を見せる彼は、まるでキリヤナギを待っていたようにも見えた。

「待ってたぜ。王子」

 立ち上がり、こちらに歩み寄ってきたのは数十名の生徒を連れたヴァルサス・アゼリア。彼はキリヤナギの知らない生徒を連れ、気が立っているようにも見える。

「ヴァル……」
「護衛連れていいご身分じゃねーか。そんなに生徒が怖いかよ」
「ヴァルサス、貴様……」

 殺気立つアレックスを、キリヤナギが止める。

「別に怖がってる訳じゃない。皆僕に気を遣ってるだけだ」
「ふーん。ならなんでそんな無力な平民からわざわざ『王の力』を取り返すんだよ。その行動自体が、俺らを全く信頼してないって事じゃねーか」
「違う。僕はこの大学に異能は必要ないと思った。それだけだ」
「必要だから持ってんだよ! お前ら貴族から身を守るために持ってんだ!! 強権使って虐げてくるのはお前らだろ!!」
「……ならヴァルは、今まで先輩や僕が君を騎士として侍らせていたとでも言うのかい?」
「……っ!」
「僕はずっと、君に友達として対等に接してきたつもりだった。友達が騎士や貴族しかいなかった僕の初めての『平民』の友達として……。以前までの僕は、君と知識で知る『友達』にしかなれていなかった」
「……」
「心から信頼してたといえば嘘になる。でも僕は君を信頼したいと思った。僕の中にある『友達』の像とは違う、本来の僕の在り方を君に受け入れてもらいたかった」
「……王子」
「ヴァル、僕はこの大学で異能を持つ人物を選んでゆく。その人が本当に持つべき志を持っているのか、正しく運用してくれるのか、この異能の所持者として責任を果たす」
「……」
「この1年間で見てきた僕を信じてほしい。この行動の結果が、必ず沢山の生徒を救うから」

 ヴァルサスは絶句し、言葉が何も出てこない。その言葉は、まごうとなきククリールから話された言葉と同じものだったからだ。
 「説明はしない、ただ信じろ」と言われた傲慢な言葉に思わず信じたいとすら思ってしまう。が、ヴァルサスの中にはその気持ちに大きくブレーキをかける出来事があった。
 高等学校時代の思い出が過ぎった直後、後ろから舌打ちが聞こえる。

「使えねぇな」
「っ!」

 ヴァルサスの横から出てきたのは、キリヤナギが初めて見る生徒だった。その彼に、アレックスが顔を顰める。

「ロベリア……貴様」
「よぅ、マグノリア。話すのは久しぶりだな」

 キリヤナギが、思わずアレックスを見るが彼は何も答えない。
 ヴァルサスの後ろの生徒はロイド・ロベリア。抗争をこよなく愛し、火種があれば人を集め両者を煽り立てた事で、貴族達に『正義屋』と皮肉られる存在だった。
 アレックスと同期であり、ツバサ主権の時代から平民を煽っていたが、アレックスの立ち回りによって力を失い、以降は音沙汰がなかった。

「ヴァルサス、そいつの話に耳を傾けるな。そいつは喧嘩をさせたいだけのただのチンピラだ」
「おっと、相変わらず俺には厳しいね。この騎士貴族様には超優しかったのに」
「私はその騎士貴族を高く買っている。優遇して当然だろう?」
「あーぁ、俺が何したって言うんだ? この騎士さんに説得力をもたせてあげただけなのにさ」
「なんだと……」

 ロイド・ロベリアの言葉に合わせ、隠れていた生徒達がぞろぞろと現れる。サークル棟からも現れ、窓から顔を出す新聞部もいた。

「王子、こんな事やめてくれー!」
「みんなこの力が大切なんだー!」
「お願いー!」

 響いてくる声はどんどん重なり、中庭へ雄叫びのように響いてゆく。また校舎側からも聞こえてきて、全方位の生徒が声を上げているのがわかった。

「……ロベリア」
「王子さん。ここにいる生徒の皆がアンタの行動に抗議してる。どうする?」

 この中で、最も楽しそうに話すロベリアにアレックスは唇を噛む。王子を囲う騎士は2名、アステガとアレックスを含めても4名しかいない。
 ここで奪取を強行すればいくら生徒であっても騎士は多勢に無勢だからだ。

「おい! 何が起こってる!!」

 新たな声が響き、一同は後ろへ注意を持ってゆく。バスケットボールのユニフォームを着た彼らは、5名の後ろを守る様に立った。

「イチョウ先輩……!」
「生徒が見えないから、嫌な予感がしたんだ。大丈夫か?」
「まだ何もなくて……」
「ロベリア、お前か……」

 現れた新たな生徒にロベリアは嬉しそうだった。バスケットボールサークルの彼らは、部員だけでなく他のスポーツサークルの部員も呼び寄せてくる。

「イチョウ先輩も知り合い?」
「アイツが今朝、王子が襲撃された事を伝えにきたんだ」
「貴族ばっか大会にだしてるバスケ部の部長さんじゃないすか。久しぶりですねぇ」
「それは言いがかりだと何度言わせれば気が済むんだ。俺は平民だぞ、いい加減にしろ!」
「イチョウ部長は騎士の家なの。でもあの人は、貴族だって言ったり忖度してるって噂を流してみんなを疑心暗鬼にさせて……」

 キリヤナギは、ようやくアレックスがロイド・ロベリアを敵視する訳を理解する。そして、その場を一度俯瞰した。
 向かいにはヴァルサスと異能の返還を拒む生徒達の集団。キリヤナギの後ろにはキリヤナギを守ると言わんばかりのスポーツサークルの集団がいる。
 そしてこの構図は、ロイド・ロベリアが、平民を『正義』だとして作り上げた一つの抗争なのだ。
 アレックスとアステガが生汗をかいて周りを見渡す中、キリヤナギは聞いたことの無いような、低いトーンで告げる。

「いいね」
「……っ!」
「手間が省ける」

 その場の全員の肝が冷えた。
 言葉を聴かせようとするキリヤナギの仕草にヴァルサスの周りにいた生徒達が動く。また合わせるように、ジンとシズルが盾になるように前にでた。

「「待て!!」」

 直後、まるでキリヤナギの声を掻き消す様に新たな声が反響する。
 キリヤナギには聞き覚えがあり、意表をつかれて思わず手が止まった。人を掻き分けキリヤナギの肩を掴もうとしたルーカスは、ジンに胴体から抱えられる。

「王子、冷静になれ!」
「そちらもだ、ロベリア!」

 もう一つの声はイツキ・ホウセンカだった。さらに後ろから、ユキ・シラユキや他の生徒会の役員達が現れその場が騒然となる。

「ダリア先輩……」
「くっ、た、タチバナ殿は優秀だ」
「ジン、ダリア先輩を放して」

 ジンは何も言わず。ルーカス・ダリアを解く様に解放する。ズレたメガネを直したルーカスは、一旦は手を止めたキリヤナギへほっとしていた。

「すまない、王子。邪魔をさせてもらった」
「早く回収したいんだけど、何の用?」
「生徒会からのお願いだ、今ここでの回収は、生徒同士の抗争が発生し血が流れる可能性がある。よってお互いの安全のためにも引いてくれないだろうか」
「こんな人が集まる機会ないのに……?」
「すまない。でもだからこそだ。ここで死傷者がでるのは王子も望まないだろう? 騎士もいる。だから頼む」

 深く、深く頭を下げたルーカスにキリヤナギは酷く嫌そうな顔をしていた。
 イツキ・ホウセンカの方を見ると、彼もヴァルサスやロベリア、平民生徒の説得に当たっている。

「生徒会の不甲斐なさによって、信頼を失っているのも承知の上だがーー…」
「生徒会はどうでもいいよ。でも今日は先輩の顔に免じて今日はやめておこうかな」
「……! いいのか。王子」
「だってバンドでお世話になったし。ダリア先輩が言うなら聞かないとね」

 場が騒然となっているのをキリヤナギは気にも留めていなかった。ヴァルサスはそのキリヤナギの言葉に、ルーカスとダリアが話していた様子が頭を過ぎり、衝撃が込み上げてきた。
 あれ程までに言葉を聞かず押し通して「絶交」までした王子が、ルーカスの言葉に耳を傾けたことに、まるで心へ穴が開くような感覚を得る。

「なんでだよ……!」

 その絶望感に塗れた言葉はキリヤナギには届かない。彼は床へ手をつくヴァルサスには目もくれず立ち去って行った。
 王子はもはや、生徒会長のルーカス・ダリアの言葉にしか耳を傾けない。誰も止めることができなかった王子の改革は、ルーカス・ダリアによって止められ、その日起こりかけた生徒同士の抗争は始まる事はなく終わりを告げた。

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