第五十四話:ツツジとタチバナ

 最後に会ったのは数年前の春だろう。
 桜が咲き、皆が再会と別れを経験する季節に、私は久しぶりに「彼」と再会した。
 親同士が勝手に決めた婚約は、まだ成人しない私達にとって早すぎて、時々道で顔を合わせては挨拶をしていた記憶しかない。
 あの時、お互いがどう思っていたかも知らないまま、気がつくと私は成人し、彼もまた念願の騎士となっていた。

 ツツジ家は、実のところ伯爵家としてはそこまで歴史も古くない。曽祖父の世代に先代の地主が存続できないと競売へと出されたが、タチバナ家が門戸を構えている事で買い控えが起き価値は地の底へと落ちていた。
 異能を使う貴族達にとってタチバナ家は、王家と密接に関わっている事で、その家の道徳的な配慮が必要と噂され、長く買い手がつかなかったのだ。
 これによりおよそ数年間、宙に浮いた土地は、領主による管理が杜撰になってゆき、それに同情したスイレンの曽祖父が私財の大半を投げ打って購入した。
 無名だったツツジ家は、資産も殆どないままに伯爵家となり、経験のない曽祖父は大変な苦労をしたと聞かされるが、異能使いが寄り付かない土地は、異能を畏怖する人々を集め、また都市部に近いながらも土地が広く使える事から人口に困ることはなかったと言う。
 タチバナ家の畏怖によって価値の下がっていた土地は、異能の畏怖によって人を集めて運営されている。これによってツツジ家は、彼らへの敬意を払うように長く持ちつ持たれつの関係を続けてきたのだ。
 そんな伯爵家へと生まれたスイレン・ツツジは、父が学生時代に知り合ったと言う母の元で生まれた。
 平凡な女性らしい女性の母は、スイレンを絵に描いたような撫子へと育てたと話される。
 だが反対に、タチバナ家の「彼」は、家を継ぐために騎士になると豪語しながら、学生時代に喧嘩が絶えなかった。しかしそれでもスイレンは、「彼」をよく知っていた。
 彼の拳は、決して善の者へ振るわれる事はない。それは「彼」がどんな心境であれど、確固たる正義感を持って動いているとわかっていたからだ。
 スイレンと「彼」の間に偏見がない事を知った二人の両親は、本人達の確認を取らないまま婚約の話し合いをすすめ、見守る事となる。
 そこでの第一印象は「お互いに満更でもなかった」。
 それは二人が貴族の家に生まれ「きっとこうなる」と想定もできていたからだろう。貴族として決められた人生のレールを歩く事へなんの疑問も持たなかったのは、ある意味相性が良かったのだ。
 そして「彼」は、当たり前のように騎士となり、スイレンもまた流されるように地元の学校から大学へと進学する。しかし当時、将来の夢もなかったスイレンは、淡々とこなす日々の中で新たな男性と出会った。
 彼はヤマト・サザンカ。首都クランリリーで知らぬものはいない、大企業の御曹司だ。
 大学のOBとして懇親会へと現れた彼は、学生よりも年齢は上であり、一際目を引く貴族でもあったと覚えている。聞いた事のない世界を語り、あらゆる貴族達に対して謙遜する態度は、学生を惹きつけて皆の中心となっていた。
 憧れて、もっと話を聞きたいと彼が来る会へ顔を出していると、いつのまにか名前と顔を覚えられていてとても嬉しかった記憶がある。
 沢山話を聞いて、沢山話を聞いてもらい。
その関係は、いつの間にか先輩と後輩だけではなくなっていた。御曹司と地主の娘の交際に、周りはお似合いだと持ち上げ、あの頃こそ幸せの絶頂だったのだろう。
 両親にその事を話した時、反対されるのではと不安だった。しかし許嫁であるにも関わらず関係性が進展しない「彼」の事に父は理解を示しており、また相手が宮殿を追放された身でありながらも愚直に働き、信頼を回復させたサザンカ家である事を踏まえ、現行の婚約の破棄し、新たな婚約として認めてもらえる事となったのだ。

 そして、その日が来た。
 別れの日でも、出会いの日でもない。婚約者から、ただの知り合いへと戻るその日。
 あまり表情の起伏を見せない彼が、珍しく驚いたのをよく覚えている。
 質問をされたのも婚約した時以来で、嬉しかった。また彼の中に、少しでも自分がいた事へ申し訳なさも感じた。
 「ごめんなさい」とだけ告げ、私は彼の側を去った。

 着々と婚約の準備が進められ、婿養子として迎えると話が纏まった時、ツツジ家に勤める使用人が、ヤマトに女がいるかもしれないと言う噂を立てる。
 スイレンは寝耳に水でとても信じられなかったが、ある日、帰ってゆくヤマトを使用人と共につけてゆくと彼は見知らぬ女性と会い、そのまま近くのホテルへと入ってゆくのを目撃する。
 信じられず、受け入れられず、それ以上のことは覚えていない。
 報告を聞いた父は、探偵を雇い数ヶ月をかけて証拠を集め、婚約を破棄すると伝えていた。
 父の独断で行われた事へついてゆけず、悔しさと絶望と、どうにもならない気持ちが弾け、大学にゆく気力も無くなったスイレンは、大学の休学を余儀なくされる。しかし、一年経っても気力は戻らず数年目に入ろうとしていたある日。
 クランリリー騎士団から、ツツジ家の偽名を使ったとしてヤマト・サザンカとの関係性を聞かせて欲しいと連絡がきた。傷心状態の娘に何をさせるのだと父は激怒し、騎士団も引かず困り果てていた時、「彼」が現れた。
 クランリリー騎士団の迎えの自動車で現れたのは、宮廷騎士団の制服を纏う「彼」
で、スイレンは、背が伸び凛々しく立ち尽くす彼を見違えてしまう。

「宮廷騎士団。ストレリチア隊嘱託のジン・タチバナです。我が家タチバナ本家が構える土地、ツツジ家の御令嬢の付き添いに参りました」

 その綺麗な礼にスイレンは、しばらく釘付けとなっていた。後ろにはクランリリー騎士団の騎士が数名いて、僅かに空気も緊張している。
 しかしスイレンは、差し出された手に吸い込まれるように歩を進めた。何も言わず自動車へと乗りこみ、隣に座った彼にほっと方を撫で下ろす。

「ジン、様」
「はい」
「ありがとうございます……」
「……当然です」

 運転手と助手席に座る彼らは、ジンと着用する制服が違う。彼はあくまで付き添いと言う立場なのだろう。スイレンは空っぽだった心へまるで水が入ってゆくような感覚を得ていた。

スイレン・ツツジへと行われた聞き取りは、滞りなく進み、ジンはクランリリー騎士団の彼らへ気を遣いつつ、スイレンが邪険にされないよう堂々としていた。
 それは、騎士団にとって被疑者は、関与した言質を取るために誘導を行うことも少なくはなく、ジンはスイレンに余計な疑いをかけられる事をなんとしても避けたいと考えていたからだ。
 クランリリー騎士団に何度か足を運んだことのあるジンは、王子に同行していた事で、彼らにその密接な関係を知られている。つまりスイレンに何があれば、それは王子へと伝わる事を示し、ジンが現れた時点で邪険に扱うことはできなくなる。

 スイレンが聴取されている間、ジンはクランリリー騎士団の本部の休憩スペースにて飲み物を買っていた。
 宮殿のように綺麗な建物では無いが、掃除はされていて居心地は悪くは無い。時々廊下を通る職員に挨拶を返していると、白のクロークの男性が顔を見せる。

「ご機嫌よう、タチバナ卿」
「カーティス閣下、お邪魔してます……」

 クレイドル・カーティスは、ジンが来た事を聞きつけ顔を見せてくれたようだった。
ジンがここへ来たのはクランリリー騎士団への牽制もそうだが、ツツジ家への聴取が何度も断られており、穏便に済ませるために協力してほしいと提案されたからにもある。
 ヤマト・サザンカの名が出た時点で、ツツジ家はもう関わりたくはないとし、スイレンの心身を考えると断られるのは目に見えていたからだ。

「聞き取りは順調なようです。ご協力ありがとうございます」
「こちらこそ、俺もスイレン嬢が心配だったので……」
「私としては、貴方にもお断りされると思っておりましたが……」
「え、なんでです?」
「噂のみでしたが……御婚約されていたのですよね?」
「あ、はい。その、破談、してますけど……」
「こ、これは大変失礼……」

 頭を抱え恥ずかしくなってしまう。要約すれば元許嫁を連れ出して欲しいと頼まれたのだ。確かに普通なら断る内容だとジンは反省する。

「では、サザンカの件は……?」
「察して下さい……」
「なるほど、苦労されましたね」
「同情はいいっす。その、俺としては、地主様なんでって感じで……」
「そうでしたか。ご安心を、彼らがツツジ家を語り、貶めようとしたのは明らかです。こちらとしては、事実確認のみですよ」

 ほっとしていると、後ろから職員が現れクレイドルへ言伝が入る。

「間も無く聴取は終わるようです。タチバナ卿、本日は助かりました。それでは私はこれにて」
「お疲れ様です。ありがとうございました」

 クレイドルが軽く礼をして去ってゆく中、現れた職員が小声で「ありがとうございました」と頭を下げて去って行った。
 己の実績を奪い合う宮廷とは違い、クランリリー騎士団は話ができるとジンは新鮮さを感じる。

 廊下にて合流したスイレンは、ツツジ家で顔を合わせてから、まだ一度も目を合わせてくれない。少し後ろめたいような照れ混じりの目は、ジンもまたどう声をかけていいか分からず、騎士として丁寧に彼女を誘導していた。

「あの……」
「はい」
「お元気、でしたか?」

 帰りのタクシーにて、小声で話された言葉にジンは運転手が聞いていない事を確認しつつ答える。

「はい。スイレン嬢は……」

 「お元気そう」とは返せず、言葉に詰まった。彼女は苦笑し、ようやくこちらを見てくれる。

「今日は、ありがとうございました」
「お役に立てたなら……」
「あの、また、連絡しても、いいですか?」

 破談してから、一度もちゃんとは話していなかった。彼女はきっとジンの知らない場所で幸せになるだろうと考えていた。その邪魔をしてはいけないと無意識に距離をとっていたのは間違いはない。

「はい……」

 ジンは、その時の嬉しそうな笑みにまるで心が締め付けられるように痛みを感じた。
 それは出会った頃から感じる罪悪感で、彼女を喜ばせる自分が、まるで彼女を騙しているようにも感じてしまうからだ。
 嘘などないはずなのに、発した言葉へ喜ぶ彼女を見ると心が抉られるように痛む。

 スイレンの柔らかな笑顔に、ジンもまた笑みを作る。今日はこれで良いと言い聞かせ、ジンは彼女を自宅へ送り届けた。

*188

「はぁー……」
「ため息とは珍しいな」

 久しぶりのタチバナの実家での夕食は、両親と祖父母が揃って賑やかだった。母の味噌汁の味も変わらず、隣の父アカツキが酒を飲んで顔を赤く染めている。

「ツツジ家はどうだった?」
「別に普通だけど、スイレン嬢は元気なかった」
「そうか。まぁ大学も休学されているらしいからな」
「マジ? 桜花大?」
「違う。楠木大らしい」

 幾つかある首都の大学のうち桜花大学院と並ぶ楠木大学は、東国寄りの文化や地政を学ぶ大学で、人々の仁義を重んじた忠義の歴史と政治を学ぶ、桜花大学とは毛色の違う大学だった。
 
「ツツジ家とタチバナって今どうなってんの?」
「何も変わらん。スイレン嬢に関しては、向こうから破棄を提案したんだ。同情ぐらいしかできん。ツツジ家も伯爵家として筋を通すだろう」
「ふーん」
「今更興味を持ったか?」
「そ、そんなんじゃねーし!」

 アカツキが吹き出して笑うが、ジンはやはり複雑だった。素直で優しく、人を許す事のできる彼女は、きっと理想の相手を見つけ、幸せになるのだろうと思っていたからだ。

「スイレン嬢はまだお若い。嫁入りなら引く手は数多だろうが……」
「婿養子が良いんだっけ?」
「当主の希望はそうだな。土地を存続したいそうで、看板を下ろしたタチバナとは都合が良かったんだ」
「……」
「だがどこの家も男児は余らん。我が家を除いては」
「うるせぇ」

 ジンとスイレンが結婚し、ジンがツツジ家に婿に入れば、少なくともタチバナの名がツツジ家と共に地主として存続する筈だった。武道は継がれなくとも、名だけでも残せれば、文化は継続できるからだ。
 いかにも貴族らしい政略結婚に頭が重くなるが、今はもう終わった話でもある。

「それで、目の方はどうなんだ?」
「眼科行ったけど。何ともないって、眼精疲労の目薬だけ処方された」

 カレンデュラにて、フュリクスと戦った時、視界に現れた不可解な現象があった。高速で動き回るフュリクスを捉える為、その視界は本来よりも『遅く』みえたのだ。
 これによってジンは彼に競り勝ったが、後に強烈な頭痛が起こって立つことすらままならなくなり、首都に戻ってから改めて医師に罹っていた。

「相手が遅くなった訳ではないのか?」
「わざわざ遅くしてくれる相手じゃねーよ。父ちゃんはなったことねぇの?」
「……」

 ない。と即答するかに見えたアカツキは、おちょこを持ったまま動きを止めている。
 それは答えに迷うような、話すべきか悩んでいるような態度だった。

「『私は』、ない」
「え??」

 私は、と言う限定的な言い回しに、ジンは意表を突かれた。それはまるでこの事象を知っていたかのようにも思えるからだ。

「タチバナの起源を知っているか?」
「確か、東国? 殿下が調べてた」
「そうだ。東国は八百万、あらゆる神が存在すると言われている。それは元素の神だけにとどまらず、商売の神、政治の神、縁結びの神など人を模した神々もいて、国民はそれぞれの神を信仰しながら力を得ていた」
「信仰?」
「神は人に願われる事で形を成し、力を得る。古の東国はこの『神』の力を使いオウカへと抗った」
「漫画みてぇ……」
「本当に神の力だったのかは知らん。そう言われているだけだからな。そんな国のタチバナの先祖もまた神を信仰していた」
「へぇー」
「具体的な事はわからん。だが我らの先祖は、あらゆる武器を持つ敵に対し怯まず、立ち向かった。その動きは弾丸すらも回避し、かわせぬ攻撃はなかったと伝えられる」
「どっかの漫画??」
「興味がないなら、もういいか?」
「ご、ごめん……」
「まぁ、結論はだ。タチバナの先祖によって願われた神がジンに宿り『高速なものを遅くを見せた』と言う可能性の話だ」
「んなことある??」
「母さんは、この東国の話が大好きだぞ。名前でわからないか?」

 神(ジン)。と気づいて、ジンは目が点になった。

「か、関係なくね??」
「私の名前も、元は東国の太陽神から連想されたものだ。東国では、神を連想させる名前が好まれ、神もそれを好むと言う。神を宿したい者に神の名前をつけ、権能を引き継いでゆく文化だ。私やカツラ父さんには宿らなかったが……」
「……まぁ、あれ以来遅く見えることねぇし」
「興味深いのなら、カツラ父さんに聞けばいい。漢文を読める貴重なお方だからな」

 祖父カツラは、今風呂に立っていて居なかった。祖母のハズキは、寝る準備をするために母ツキハと布団を敷きに行っている。

「タチバナって意外とすごいの?」
「この国に置いては、汚点とも言える歴史を作り、それは語られることはないが、東国においては、数多ある武道の家の中で、それなりの地位があったのだろう。でなければ今はなかった」

 東国人のタチバナが内戦を起こしたが、それは敗北したのだ。それからは東国との争いがほぼ無くなり現在へと落ち着いている。つまりこれは、この敗北によってタチバナが完全に降伏したとも言えるからだ。

「本家って東国にまだある?」
「タチバナ本家はここだ。この流派自体は、オウカとの内戦をきっかけに生まれた物で他はない。元となった武道はあるが、それはすでになくなっている」
「なくなったんだ?」
「私の学生時代か、ジンにとっての曽祖父の訃報を伝える為、一度だけカツラ父さんと東国へ行った事がある。が、聞いていた元流派の一族は皆、亡くなったり行方不明となっていた」
「は?」
「曽祖父は元々、ある時から手紙の返信が無くなったと話していて、連絡がないのは息災であると信じてはいたが、まさか一族全員が消えていたなど想像もしなかっただろう」
「ヤバくね?」
「外国の話だ。何もわからん」

 アカツキは、手元の酒を飲み干し、座椅子へと体重を預ける。彼の言う通りタチバナ家はオウカへと帰化もしていて今更東国の事には関与はできないからだ。

「暗殺?」
「しらん。深く考えなくていい。何も来ていないのは、おそらくこちらは関係がないからだ。怖がる必要もない」
「別に怖くねぇけどさ……」

 少しゾッとしてしまったことをジンは黙っていた。しかし、確かにジンが生まれる何十年も前に起こった事なら時間も経ちすぎていて、今更消す意味もないと判断されているのだろう。

「その神のせい?」
「しらん。この話は終わりだ。もう寝ろ」

 アカツキはそう言って酔いを覚ますために縁側へと歩いて行った。特に興味が持てなかった家の事だが、突然消えたと言われれば、何も考えずには居られない。
 ジンはキリヤナギにメッセージを送り、彼の調べたと言うタチバナ家系図を送ってもらった。
 タチバナ家が東国から派生したのは、ジンの生まれる何世代も前であり、そもそも分家となったのも、嫡女の嫁入りから始まっている。
 つまり、タチバナには元の血は入っていない。タチバナ家はタチバナ家として始まり、本流の花嫁を迎えただけなのだ。

 確かに関係はない。が、フュリクスとの戦いは確かに『遅く見えた』。そしてアカツキに仄めかされた『神』の話も加え、考えているうちにジンはいつのまにか布団で眠りにおちる。

「今更興味もったの……?」
「え、まぁ……」

 午後。早朝から誕生祭の練習に臨むキリヤナギへ差し入れを持ってきたジンは、不満そうに睨んでくる王子へ身じろぐ。

「あれから、研究すすみました……?」
「特には? だけど、東国にはもう情報は無さそうだから、詰まってる」
「そこまで知ってるんすね」
「カツラおじいちゃんに聞いたけど……」
「俺も昨日、父ちゃんから聞きました」
「……」

 睨まれてぎょっとする。

「自分の家の事なのになんで僕に聞くの……」
「く、詳しそうだし……」
「僕がジンの知らないこと知ってるわけないじゃん」
「知ってる範囲でいいので……」
「……じゃあ何が知りたいの?」
「そもそもどう言う家だったんです?」
「当主が武士? 東国版の騎士みたいな立場で、戦う心得がある家かな? あの家系図の嫁入りした女性は、確かに東国の名門流派みたいな記述はあったけど、多分政略だったんだと思う。こう接待で相手の家の武道を学ぶみたいな」
「接待?」
「タチバナって、流派としてはかなり特殊なんだよ。オウカ限定っていうかそもそも役に立たないしさ。元はあるって言うけど、参考にしたにしてはコンセプト違いすぎるからね」

 ジンは相槌が打てないほど感心し、驚いていた。武道と一括りにして考えていたが、確かにタチバナは、「王の力」を相手にしか役に立たず、本来なら生まれないもので、それが原点の流派にあったとは考えにくいからだ。

「つまり武道だと東国は無関係?」
「僕はもう切り離して考えてる。それに東国まで範囲を広げたら、神道も考えないとだし……」
「しんとう?」
「東国の宗教? 沢山の神様がいるって話。授業でちょっとやったけど、僕は概念的すぎていまいちよくわかんなくて……この辺はククの方が詳しいかも」
「ククちゃんと、話せません?」
「そこまで? 珍しくない?」

 寝耳に水のようなキリヤナギの態度に、ジンは返事に詰まる。東国の神々におけることは、昨日アカツキが話していたことへ直結するからだ。
 キリヤナギはしばらくジンを睨んだあと、ジンの持ってきたおにぎりを頬張りつつ続ける。

「そのうち会うだろうし、自分で聞いて」

 以前非協力的な態度をとった自分に、ジンは大後悔していた。

「タチバナの実家帰ったんだよね。みんな元気だった?」
「はい。ツツジ家にもーー…」

 キリヤナギが唐突にむせ込み、ジンがお茶を渡す。その絶句した表情にジンは困惑しかできない。

「ツツジ家って、あのツツジ家??」
「そうっすけど……カーティス閣下に聞き取りするから連れてきて欲しいって頼まれて……」
「……」
「なんすか?」
「ジンってそう言う事するんだ……」
「え??」

 キリヤナギは目を合わせてくれなくなり、そのまま午後の練習へ参加して行った。

 手の空いたジンもまた騎士大会の練習があり、予選が行われている演習場へと足を運ぶ。
 式典用のステージの組み立てが行われている中庭には、更地にされた場所へ小規模な演習場が整備されており、そこで騎士大会・個人戦の予選が行われていた。
 脇のホワイトボードには、簡単なレギュレーションも書かれていて、18歳以上30歳以下(参加前に年齢確認)。銃は禁止(決勝での使用は可)。場外でアウト。ダウン5秒で負け。と箇条書きにされている。ジンはそれを見て二年前と同じ感想を抱いていた。
 大会だが、想像よりも『雑』だと、

「ジンさーん! おっつかれ様でーす!!」

 遠くから聞こえた声に振り返ると、青の男性副隊長騎士服を着る彼が手を振っている。名簿のようなものを持つ彼、セスナ・ベルガモットは、ニコニコとこちらへと歩いてきた。

「副隊長、ど、どうも……」
「ごきげんよう。わざわざありがとうございます。あ、予選気になります?」
「特には……? これから開会式の練習ですよね?」
「ですです。でもごめんなさい。まだステージの組み立てができてなくて、もうしばらくお待ちください。予選にメンバー取られてて人手が足りなくて……」
「これってストレリチア隊がやってるんすね」
「はい。まぁ、こう言うのはうちの隊の役みたいなところあるんで……」

 よく見ると組み立てている人材は、見覚えのある顔が多く、使用人達も混じって準備が進められている。王子の専属護衛を行う隊の仕事とはギャップがあるが、去年の集団戦の前夜祭を思えば、「そう言う隊」と言うのもわかってきていた。

「俺も手伝いますよ?」
「ぜ、前回優勝者に手伝わせるなどとは……」
「邪魔です?」
「めちゃくちゃ嬉しいです!! 僕これから予選を勝ち抜いた人をリスト化して、決勝トーナメントのくじ引きの準備をしないとだし、現場指揮もやってて……」
「た、大変っすね……」
「メインは騎士大会の準備なのですが、機材の組み立てはやっぱり騎士のが早いので、手伝ってる感じですね」
「もしかして……集団戦も?」
「集団戦は違います。あっちは宮殿外の演習場をつかうので、こう言う準備は使用人さんの役目なんです。搬入は手伝いましたけど」

 結局手伝っていた。
 昼休憩も重なっていたこの時間は、作業できる人材も限られ、現場はほぼ停滞状態となっている。ジンはセスナに、救護テントの組み立てを任され作業に参加する事にした。

「ジンさん。ありがとうございます……」
「ラグドールさん。どうも」

 救護テントにて再会したラグドールは、手に大きな救急箱をもち、それをテーブルへと並べてゆく。衛生環境が整えられる救護テントにて、消毒液や包帯などを確認していたラグドールは、持ち込んだ救急箱の一つが空だときづいて悲鳴をあげていた。

「ラグドールさん??」
「すいません! ちょっと間違えて新品のケースをもってきました。中身とってきます!!」

 椅子の足に引っかかりながら飛び出してゆくラグドールをジンは呆然と見送った。
 周りが着々と準備を進めてゆく中で、人だかりのある予選会場から「おぉー」と大きな歓声が上がる。
 テントの組み立てがほぼ完了したことを確認し、ジンは人の隙間を縫って予選会場を覗いた。するとそこには尻餅をついた他領地の騎士と無表情のグランジが立ち尽くしている。間に立ち、ストップウォッチを見る宮廷騎士が間に入り5秒数えたあたりで手を上げた。

「グランジ・シャープブルーム卿。Eブロック通過、決勝進出です」

 拍手が上がりジンもつられていた。息が上がっている気配も無く。礼だけして立ち去ろうとするグランジに、残された彼は叫ぶ。

「宮廷は対策しってんだろ!! こんなの出来レースだ!!」

 ダサいと、ジンは何も言わず眺めていたが、ギャラリーが騒ついているのがわかる。確かに宮廷は、異能盗難に対応する立場でもあり「王の力」への対策は、ある程度心得がある。しかし、その対策は皆【素人】に向けたもので、【プロ】にはとても通じない。よって「タチバナ」が存在するが、この大会で能力者がそれを言い放つのは、あまりにも滑稽すぎる。
 グランジは無視するだろうと思い静観していると、彼は珍しく笑っていた。その嘲笑う表情をジンは数年ぶりに見る。

「対策、したかったな。次回はさせてくれ」
 
 は? と言う相手騎士の表情に、場は騒然となっていた。グランジは、そもそもジンのような対策はしない。どんな時も正面から自身の実力を持って勝とうとする為、ジンでも時々押し負ける。
 その強さの根源は、より享楽的な戦闘を求める探究心と、追い込まれれば追い込まれるほどに興奮してゆく本能にある。
 よってこの言葉は間違いなく本心で、言い換えれば「対策の必要がなかった。もっと強くなれ」だろう。応援の意味もあるが、おそらくこの場では強烈な煽りになる。

 敗北した騎士は、大地を殴りつけ悪態をつきながら人混みへ消えた。
 ジンもまた持ち場へ戻ろうとした時、後ろから声が響く。

「タチバナ君じゃないか」

 その独特な呼び方に、ジンは驚いた。声をかけてきたのは、長い青い髪を下ろすオッドアイの女性で、とても久しぶりに感じる。

「ツルバキア閣下……」
「少し久しぶりだね。君も見学かい?」
「いえ、俺は、練習に参加する予定で……」
「なるほど、前回の優勝者なら当然か。懐かしい、私も10年前に取っていてとても誉れ高かった」
「そうなんですね」

 リーリエ・ツルバキアは、宮廷騎士団ツルバキア隊の大隊長で、ジンもまた何度か顔を合わせたことがある。
 大勢のギャラリーが集まる予選会場だが、予選を見ていた騎士が大きめの声で話すリーリエにざわつく中、話し相手のジンにも目線がきていた。

「この個人戦は、毎年新進気鋭の異能使いが多く参加していて、私も興味深い。『タチバナ家』である君にとっても参考になるだろうと思うが……」
「あ、あの、すいません。俺、そろそろグランジさんを迎えに、行きたいなって……」

 長くなりそうな話にジンが思わずこじつけるとリーリエは「ふむ」と、少し残念そうに肩を落とす。

「そうか。なら、良ければ今夜にでも、焼肉など、どうだろうか? 何か相談などに乗れればと思っているが……」

 焼肉と言う限定的な誘いに戸惑うが、ジンはリーリエの誘いをすでに2度も断っていて判断に迷ってしまう。
 その上で、何度も声をかけてくれるリーリエの気持ちを無碍にすべきではないとも思えた。

「じゃあ、今夜。開けておきます……」
「本当か! 楽しみにしている、ありがとう!」

 想像以上喜ばれ、周りで聞いていた騎士も更にざわついていた。
 ジンは逃げるようにその場を去り、グランジがいるであろう待機テントへと向かう。決勝トーナメントへ駒を進めた彼は、ジンの拳へ拳をぶつけた。

「お疲れ様です。楽しかったすか?」

 うーん。とグランジが困っている。その表情は「遊び足りない」ようにも見えた。

「グランジさん。ストレリチア隊の人が、準備頑張ってくれてるんですけど、手を貸してもらえませんか?」

 グランジは、頷いて了承してくれる。試合後の彼は疲れた様子もなく、本当の意味で「普段通り」だった。

「殿下は?」
「練習にいきました。俺もこっちに呼ばれてて……」
「そうか」
「殿下にツツジ家に行った事を話したら、軽く擦られたんですけど、何が理由かわかります?」
「……ツツジ家」

 何故? と言う雰囲気にジンは続ける。

「クランリリー騎士団のカーティス閣下に、スイレン嬢を連れてきて欲しいって頼まれたんです」
「ジンである必要あったか?」
「え?? そりゃ、実家の、領主さんだし……」

 キリヤナギと同じく少し不満そうな表情の彼は、きっと同じ感情を持っているのだろう。しばらく黙った後、グランジは言葉を口にした。

「………… 女たらし」
「え”?!」

 ジンは意表をつかれ、フリーズしていた。グランジはその反応をみつめつつ続ける。

「ツルバキア嬢と仲が良いと聞いた」
「リーシュさん? それは、カレンデュラで、訓練に付き合ってもらって……」
「八方美人は良くない」
「そ、そんな、つもりは、無かったんすけど……」

 言われればそう思われても仕方がない。リーシュは事故もあったが、気を使わせてしまったのは事実だからだ。

「ケジメはつけた方がいい」
「……気をつけます」

 スイレンもリーシュも堅実で素直な女性だ。ジンはどちらにも気はなく、憧れても本気にはなってはならないと気持ちへブレーキがかかってしまう。
 
「どっちが本命?」
「そんな資格ないっすよ……」

 目線を落とすジンにグランジはため息をついていた。「選べない」とは言わず「資格が無い」と言う言葉は、ジンのこれまでの対人関係を象徴しているとも言える。

「グランジさんは、そう言うのないんすか?」
「ヒナギク」
「え???」

 彼は首を振っている。それはジンの思ったような感情では無いと言う意味だ。

「意外すぎません?」

 グランジが目線をやると、その先には堂々と演習場に立つヒナギクがいる。美しく立つ彼女の相手は、同じく宮廷騎士の女性だった。
 背中に吊るされた二刀の模造刀を抜き、まるでダンスをするように踏み込んでゆく彼女は、同じ異能【認識阻害】を持つ相手へ的確に攻撃を当てにゆく。
 ギャラリーは、どちらの【認識阻害】が決勝にゆくか話され、決着はものの数分で決まった。
 フィールドギリギリに追い込んだ相手を更に一歩後ろへと引かせ、場外へと追い込やったヒナギクは、綺麗に礼をしてギャラリーを沸かせる。決勝への進出が決まり、満足そうに髪をすかせていた。
 グランジは無表情だが、感想を聞いてから静観すると釘付けのように見える。

「好きって事ですよね……?」
「惹かれている」

 どう違うのか、ジンは分からなかった。

 その後二人は、ステージの組み立てを手伝い、グランジは優勝者の役となって練習を行う。
 ステージの上から会場を見下ろすと、ちょうどリュウドも予選を突破している所で思わず見入ってしまった。

「タチバナさん、すいません。もう一度お願いします」
「あ、はい」

 気がつくとキリヤナギもベランダへ現れていて場を静観していた。今回も前夜祭が行われ歓迎ムードの騎士大会で、ジンもまた新たな優勝者を楽しみに待つ。

 誕生祭が数日前に迫り、キリヤナギも過密なスケジュールを終えてようやくリビングへと戻ってくる。去年よりも負担は少ないが、それでも大会や儀式が詰め込まれ休憩もなかなか取れない。
 気が抜けたのは、夕食を終えてリビングに戻ってからだった。

「疲れた……」
「お疲れ様でした」

 セオのお茶は美味しいが、リビングのテーブルへ積まれている写真にキリヤナギは苦い顔をする。何も言わずとも送られてくるお見合いの写真に、ため息が絶えない。

「これさ、何回も送ってくる人いる?」
「はい、お写真と見た目が違ってはなりませんので、撮影一年以内だと決まりがあります」
「……なんでこのタイミング?」
「選ばれたご令嬢を夜会へご招待しようと考えております。見合いではなく夜会であれば、抵抗はないのではと……」

 セオの最大限の気遣いに、キリヤナギはかなり悩んだ。キリヤナギが「見合いを断りたい」と話していて、せめて会ってみてはどうか? と言う提案ともいえる。
 一対一で行う見合いではなく、夜会は他に多くの人がおり、最悪挨拶だけでも済むからだ。

 知恵を凝らした気遣いに、キリヤナギは折れる。無言で喜ぶセオの横で、渋々開いてゆくと最大限に着飾った女性の写真がでてきて気圧された。
 化粧が濃く本来の顔がわからなくなっている女性は、胸の谷間やヒップラインを強調した衣服の写真があって、キリヤナギは見なかった事にする。ただ顔を見せるだけの写真に女の武器を見せられても困る。

 すでに一枚目で項垂れるキリヤナギに、セオはどうすればいいか分からない。

「……この付箋がついてるのは?」
「それは、私が独断で選んだご令嬢です。ご家庭の評判も良い方々ですよ」

 つまり「誰にも文句が言われない相手」だ。それらの写真は、確かにとても育ちが良さそうな貴族らしい女性達が並ぶ。私服写真なども挟まれていて、写真の印象とギャップがあった。

「……もうこの人たちでいいんじゃないかな」
「投げないでください」

 選びたくない。気のない女性達へキリヤナギの名前で招待状をだすなど、ククリールに誤解を生みかねないからだ。

「僕が呼んだ事になるよね……?」
「今回は伏せるつもりですが……」

 結局は誕生祭なのだ。自分が主役のパーティであり、招待そのものにリスクもある。

「誤解は生まないよう最大限に配慮します」

 セオの言葉は半信半疑だが、努力を見ると断るのは忍びない。キリヤナギは一度セオの選んだものを分けて、残ったものを一枚一枚見ていった。
 写真は個性豊かで、水着写真が入っていたり、何故かウエディングドレスも着ていて見るのを辞めたくなるが、飾らない笑顔の写真や、ドレスをきて少し照れた表情をしている女性もいて庶民派なのだろうと安心ができる。
 見るだけで疲れてくる中、一枚のお見合い写真の中から、ヒラリと封筒が落ちた。これまで挟まれていたプライベート写真とは違う封筒は、開けると手書きで「たすけて」と、書かれている。

「如何されました?」
「……何でもない」

 封筒は隠し、キリヤナギが挟まれていたお見合い写真をみた。
 特に違和感のない普通の写真で、女性も無理をしている様子もない。

「その方が気になりましたか?」
「……少し?」
「よかったです。ではご招待致しますね」

 他の写真には同じようなメッセージは入ってはいなかった。
 一般家庭とは違い、貴族の家庭は規律が厳しく、過剰なストレスに耐えかねている場合も少なくはないが、それでも最近では福祉系の窓口もあり、減ってきたとも聞いている。

「このプライベート写真って、セオが挟んだの?」
「いえ、元々挟まれて送られてきておりました。おそらくお相手のご両親の配慮でしょう。お写真が苦手な方もおられますから」

 付箋が付けられている時点でセオは一度目を通している。もしこんな手紙をセオがみれば何かしらの対処はするはずで、手紙はセオの気づかないタイミングで挟まれたものだと推測できた。

「殿下?」
「これだけでいい……?」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあちょっと部屋で勉強してくるね」
「畏まりました。お疲れ様です」

 キリヤナギは自室へ戻り、封筒を開ける。よく見ると場所と日付も書かれていてそこは人が集まりにくい住宅街だった。
 本来なら無視でいいのだろうが、もし真実なら怖いとすら思う。
 あの女性が、何かしらの事件に巻き込まれている可能性もあるのなら、それはきっと騎士団に頼れないからだと思うからだ。

 騎士大会の練習が終了し、騎士達は野外へ設置された備品へ雨除けのカバーをかけてゆく。これに手間がかかり、終わる頃には夜になっていた。
 皆が揃って残業している中、騎士棟で差し入れの飲料が配られ、グランジとジンもそこに混ざって一息つく。

「そろそろ宮殿に戻る」
「はい。俺はこの後まだ用事があるので……」

 首を傾げられ、ジンがリーリエとの焼肉について話すとグランジは眉間に皺を寄せていた。

「もう2回、断ってるんすよ……」
「……多い」

 グランジが珍しく難しい表情をしている。アリかナシかを熟考しているのか、間を置いてジンを見直した。

「深い話をしないなら、いい」
「は、はい」

 ある意味同情的にもみえる反応に、ジンはそれ以上言葉を返せなかった。
 休憩していた騎士達が徐々に解散してゆく騎士棟で、道を開けられて現れる長髪の女性がいた。彼女は、ジンをみつけぱぁっと顔を明るくして、声をかけてくれる。

「タチバナ君。よかったまだいてくれたか」
「はい。ここの方が合流しやすいと思って」
「先程聞き損ねてしまったが、今日、王子殿下の方はいいのかい?」
「宮殿だと、実はあんまり縛りがないんです。衛兵もいるので」
「そうだったか。親衛隊の業務に疎くてすまない。そちらは友人かな?」
「タチバナ隊。グランジ・シャープブルームです。ツルバキア閣下」
「ほぅ、君がシャープブルーム卿のご子息か。今季の優勝候補だと聞いている。隻眼でありながら、集団戦でも飛び抜けた戦績をのこしていたな」
「グランジさんが有名人?」
「それなりだな。タチバナ君ほどではないが」
「か,勘弁して下さい」
「はは、グランジ君も良ければ焼肉でもどうだい? 忙しいかな」

 グランジの目が少し輝いて、ジンは迷った。大食いのグランジは、この場で同行すると何が起こるかわからないからだ。
 本人もそれはわかっていて、ジンをみて本当に行っても問題ないか確認してくる。

「グランジさんは大食いなので、迷惑かからないかなって……」
「おや、素晴らしいじゃないか。ならば私がよく行く定額の店へ行こう。好きなだけ食べると良い」

 不安は募るがグランジは少し嬉しそうで、ジンは断る気持ちもなくなってしまった。
 その後2人は。一度私服へと着替え、リーリエと待ち合わせをする。
 私用車で現れた彼女は、2人を後部座席へと乗せてとある店へ連れていってくれた。
 決まった種類から定額でいくら食べても構わない店に、グランジは楽しそうにメニューを眺めている。

「お酒はいいのかい?」
「俺飲めないので、グランジさんだけで」
「遠慮しなくて構わないが……」
「ジンは飲めません」
「そうか……?」

 寡黙なグランジの言葉は、重要なことが強調されてありがたい。一通り注文をとり、皿で埋められてゆくテーブルへ、心なしかリーリエも楽しそうに見えた。

「先程少し話しだが、実は私はシャープブルーム卿には頭が上がらないんだ」
「そうなんですか?」
「私はもともとカモミール隊にいてね」
「カモミール……隊?」
「はは、たしかに宮廷騎士12隊の中では、影が薄いか。私はミドリ・カモミール閣下の元で、下積みをしていたんだが、周りの仲間と合わずなかなかうまくやれなくてね。シャープブルーム卿に相談したら、引き抜いてくれたんだよ」
「へぇー」
「当時はまだ、カツラ・タチバナ殿が騎士長だったかな。引き抜いてもらってから好転して、大会でも殿堂入りができた」
「強いですね」
「ふふ、何度でも言うぞ。私を大隊長へ推薦してくれたのも、アカツキ殿とシャープブルーム卿だった。彼らに恥じないよう私も騎士として最善を尽くすのさ」
「良いですね。そう言うの」
「君達二人は、とても親密に見えるが、親友なのかい?」
「幼馴染です。なんだかんだで付き合ってもらってると言うか」
「良いコンビだな。お互いに切磋琢磨しているのは素晴らしい」

 思いの外、普通に会話ができていてジンの緊張もほぐれてきていた。横のグランジも気にせず、黙々と網の上の肉へ手をつけ、焦げそうなものからジンの皿へ勝手に置いてゆく。

「ところで、タチバナ君は、彼女は……いるのかな?」

 水をむせそうになるが、どうにか平静を保った。あまりにも想定外の質問に、言葉に詰まってしまう。

「いや、この質問は失礼だったな。タチバナと言う名家なら、既に婚約していたりとか……」
「それは、もう破談してて……」
「破談?」
「いえその、特にトラブルってわけじゃなくて、円満破談と言うか」
「珍しいケースだな。興味深い」
「ご令嬢に、俺とは違う好きな人が出来たんです。でも、そっちも破談になって」
「ふむ、宙に浮いてしまったのか。女性側に問題がなかったのなら不憫だな……」

 グランジは、横目でジンを見ている。半端なことはできないと、ジンは言葉を選んでいた。

「この前、数年ぶりに会ったんですけど、やっぱり元気がなくて、何て声をかけたら良いか分からなかったです」
「はは、タチバナ君は優しいな」
「俺、そう言うのは自己満足なんです。困ってたら何かできるかなって思うけど、その人の詳しい事情には、そこまで興味はないと言うか……ただやれる事をやれたら、それで満足するんです。偽善っぽいですけど」
「そうかい? それは極限的な騎士向きの性格だと私は思うかな」
「騎士向き?」
「例えば、目の前に老人が居たとする。迷惑な御仁だ、大声で話し、若い者を奴隷のように使おうとする。嫌われていて周りはそれに耐えかねている」
「……」
「そんな老人がある日、道路で倒れ、歩けない怪我を負ってしまった。嫌われていて、周りは誰も助けない。このまま居なくなれとすら思うだろう。こんな時、タチバナ君はどうする?」
「助けます。救急車を呼んで、病院へ連れてゆく」
「それは周りに止められてもかな?」
「はい」
「それを堂々とやれる騎士は意外と少ない。我々は騎士であり貴族であり、立場を維持するためには、必ず後ろ盾が必要だからだ。しかし君は、人に興味がないからこそ、周りの感情と自身の行動を切り分けて考えることができる。確かに非情だと、無責任だと罵られることもあるだろう。でも私は、民を守ってこその騎士だと思う。立場を投げ打っての行動は時に必要だ」

 少しだけ酒が入り、熱っているリーリエの笑みをジンは呆然と眺めていた。そして、ジン自身がキリヤナギから気に入られている側面を僅かに理解できたようにも感じる。
 キリヤナギは、自身へ不利益が伴う人々だけでなく、生命を狙う敵にも同情し救おうとする所がある。ジンとは違い、それは正当な理由があってこその行動だが、周りが糾弾すべきと言う相手を「救いたい」と決めた時、そこで頼ることができるのは必然と人に興味のない「ジン」になるからだ。

「ありがとうございます……」
「ふふ、これでも君より10年以上長く生きていて、人も沢山見ている。相談があればなんでも話すと良い」

 楽しそうに話すリーリエを、ジンはしばらく見ていた。とても若く見える彼女は、ジンが想像していた以上に年上だったからだ。

「あの、ツルバキア閣下って、ご結婚されてるんですよね?」
「んぐっ!」

 リーリエは大きくむせ、しばらく咳をしていた。

「……実はまだ独身なんだ。結婚とは、人生のパートナーでもある。慎重に選ばなければならない」
「た、たしかに……」
「誤解しないでほしい。これでも数人と付き合った事はある。皆、私に勝てなかったが」
「勝てなかった……?」
「いやこれは、こちらの話だ。例外枠も考えているので、安心してほしい!」

 突然の熱弁に、ジンはついて行けなかった。グランジは、雑炊をたべながら、「勝てなかった」と言う言葉に反応している。

「タチバナ君も色んな人と付き合うと良い。友人以上の踏み込んだ関係となれば、自ずと考え方にも影響がでるはずだ」
「……俺、そう言うのは向いてないとは、思ってて……」
「向いてない?」
「殿下の横で、いつ死ぬかわかんないのに無責任かなって思うんです。どうなるかわからない。悲しませるなら、このままがいいかなって」
「年齢の割に達観しているじゃないか」
「もう何回か死にかけてるから、どうしても……」
「だがそれはストレリチア卿のミスだ。全く、若い騎士を危険に晒すなど大隊長失格だな」
「でも俺がやりたかった事でもあってーー」
「本人に意思があろうとも、それを束ねる者がそれを前提にしてはならない。兵を減らす策は愚策だ。私はそれを躊躇わないストレリチア卿とは馬が合わない。タチバナ君には確かに相性が良さそうだが」
「……」
「グランジ君は、ストレリチア卿をどう思う?」
「……何も言われない。気が楽です」
「そうか。私が想像していた以上に君は危険だな」

 「何も言われない」は、何をしても文句はないとも言え、それは無茶苦茶に戦うグランジの制約を外していることと同義する。
 戦闘を行う上での大前提は、まず生きて帰る事が重視され、騎士は当然生き残る為の手段や戦い方を学ぶが、グランジにそんな考えは毛頭なく、好奇心のままに相手へと突っ込む特攻戦闘員にも近い。
 グランジは、自身の安全に興味はない。
 リーリエや、アカツキならグランジに必ず制約をかけるだろう。
 被弾は避けろ、生命を守れ、必ず戻って来いと言う。だが、セシル・ストレリチアは「何も言わない」。それを「楽」と称すのは、グランジらしいとも言える。

「君達は個性の塊だな。話していてとても楽しい」
「俺ばっかり話してる気はするんですけど……」
「グランジ君はわかりやすいが、タチバナ君は意外とナイーブだな。イメージとは真逆で面白い」
「逆……?」

 グランジは隻眼と言う見た目から、クールな印象を持たれやすく、その実績から「ちゃんと考えている」と思われる事がよくある。しかし実際は、感情的に気ままにやりたい事をやるマイペースさを持っている。
 対してジンは、その飄々とした態度に似合わず、タチバナとしての立場を理解していて、その上で他者とのコミュニケーションにも悩んでいるからだ。

「人の事情に興味はないが、人を気にしている。複雑だな」
「前は、本当にどうでも良かったんです。でもそれだと殿下を守りきれないと思ったら、どうにかしないとって思いました」
「何、世の中には『気にしてほしくない』人々もいる。我が道を行く方が生きやすいぞ」
「我が道……」
「グランジ君と言う『友人』がいるなら、それで十分じゃないか」

 「友人」と言われて、ジンがグランジをみた。リーリエとジンが手を止めている間に、さらに残っていた肉を全て焼いた彼は、ジンと目を合わせトングをもってカチカチと鳴らす。

「友達?」

 グランジは頷いていた。

 その後も、酒が回ったリーリエから副隊長のソウジが先に結婚した話とか、仲のいいヴィクター・バイオレットが最近付き合いが悪いなどの愚痴を聞かされる。
 そこから、バレンタインのチョコレートの話にうつり、ジンは三つもらったが最後の一つが分からず困っている事を打ち明けると、リーリエはそう気にかけてくれる事が渡してくれた人の本望だろうと、なぜか照れたように返答を濁していた。

「今日は楽しかった。運転ありがとう」
「いえ、このぐらいは平気です」

 夕食を奢ってもらう代わりに、ジンはリーリエの自動車を運転し、彼女の自宅車庫へ自動車を格納する。
 リーリエの自宅はオウカ町にあり、ジンとグランジは徒歩で宮殿に帰ることもできるからだ。

「また、誘ってもいいかな……?」
「え、は、はい。行けたら……」
「ありがとう! また声をかける」

 リーリエは嬉しそうに表情を緩め、自宅へと帰っていった。徒歩での帰り道では、案の定グランジに睨まれてしまう。

「グランジさんは断れます??」
「……」

 断れないと、グランジは目を背けていた。

 二人が宮殿へと戻る頃には、既にリビングも消灯し、セオも退勤した記録が残っている。
 お互いに自室へ戻り、ジンもラフな服装に着替えて寛いでいると、父アカツキからツツジ家へ招待を受けているとメッセージが届いていた。
 ツツジ家の当主、カセン・ツツジが、タチバナ家のジンへ勲章を授与したいと言う内容で、ジンは「うっ」と息が詰まる感覚を得る。
 ジンは即座に、アカツキへと返信を送った。

(何回目?)
(5回目だ)

 ツツジ家からは、既に祖父カツラが2回、父アカツキが2回の称号を受け取っている。
 名称は違うもので、多いに越したことはないが、このタイミングでそれが行われていることは、恐らく遠回しなタチバナ家とツツジ家の「関係性の回復」を意図し、ツツジ家が「こちらは問題はない。再婚約をしたいならいつでもいい」と言うメッセージに思える。

 またアカツキのメッセージに続きがあり、領主からの招集命令とされ、急遽有給を取ることも許されたとも連絡されていた。
 これは位の話で、タチバナ家は宮殿へと仕えているが、同時にツツジ家の領民でもあり、緊急性が無ければ領主たるツツジ家の命令には従わなければならないと言う階級の話でもある。
 つまり宮殿は、王家に支えていようとも、伯爵よりうける栄誉や名誉授与の機会を取り上げることはない、また騎士ならば、地元の土地を守る権利はあると言う話でもある。

 アカツキは、ツツジ家から連絡を受けた時点でそれを通したのだろう。明日実家に戻れというメッセージで終わっていて、ジンは言葉にならない気持ちに項垂れた。
 断れないのだろうかとアカツキが聞くと、「そんな権利はない」と帰ってきて諦めた。結局は自分で蒔いた種でもあり、ケジメはつけろと言うことだろう。
 ジンは、仕方なく。セオへメッセージだけを送って、その日は休む。

「あれ、ジンは?」

 起きて自室から出てきたキリヤナギは、セオしか居ないリビングでキョトンとする。その日は、グランジも目の定期検診と義眼のメンテナンスがある為、休日をとっていると聞いていた。

「ジンでしたら、ツツジ家より勲章を授与されるらしく本日は休みだそうです」
「ふーん……」
「何かありましたか?」
「破談したって聞いてたから、どうなんだろうって思っただけ」
「破談と勲章の授与を結びつけるのは早計だと思いますが……ジンは今回、初めての授与ですよ?」
「アカツキも貰ってた記憶があるけど……いつだっけ?」
「うろ覚えですが……確か、騎士長に就任された時だったと思います」
「20代で称号って珍しくない?」
「私は、ジンの功績的に妥当だと思うのですが……」
「僕とか父さんが贈るなら分かるんだけど……」

 ジンがキリヤナギを命がけで守ってきた功績は、もはや讃えられてもおかしくはないほどに積み上がっているが、やはり若すぎる事に加え、学生時代での態度が響いていて何度も見送られている。
 つまりキリヤナギを守った事への栄誉ではなく、破談を介して距離を置いていた伯爵家から授与されるのは、少し違和感があった。

「なんて称号だろ……」
「カツラ騎士長もお持ちだった『ツツジ栄誉騎士』では?」
「僕の騎士なのに……?」
「殿下、タチバナ家の事情もお分かりでしょう?」

 タチバナ家は既に廃れ、アカツキの兄弟は独立し、その本家の血はジンの代で途絶えると言われている。そんな彼らが『名門』と言われる栄誉を維持する為、少しでも多くの称号を得ようとするのは、家として当たり前の行動だからだ。

「……さっさとあげればよかった」
「有能な騎士は誰もが欲しがるものです」

 それでもアカツキの時は、ツツジ家も様子を見ており、宮殿側が騎士長に任命し、さらにシダレ王がその栄誉を讃えた後に授与されていた。
 これはツツジ家が、タチバナ家へ栄誉を授与することへ躊躇いがあったのだとキリヤナギは考える。
 タチバナの不要論が囁かれ、努力家の枠を出ないアカツキへ栄誉を与えることは、他の伯爵や公爵より反感を買うのではないかと。しかしその懸念が、宮殿からの勲章の授与によって取り払われ、ツツジ家もまた思い出したように称号を送った。

 キリヤナギがデバイスでアカツキの授与時期を調べると、自ずと授与式へ参加した場の記憶が戻ってくる。
 デバイスをみつつ、顔を顰めて朝食をとる王子にセオはため息をついた。

「お食事をしながらデバイスをみるのはおやめ下さい」
「はーい」

 デバイスをしまいつつも、キリヤナギは朝からむくれていた。

 午前の練習は滞りなく進み、休憩時間になると、キリヤナギは少し用事があると言って騎士棟のストレリチア隊のフロアへと足を運ぶ。
 一人で現れた王子に、手を動かしていたストレリチア隊の彼女はギョッとする。

「で、殿下! ご機嫌よー」
「こんにちは、セスナは?」
「副隊長は中庭で準備中です。すみません。呼びますねぇ」
「忙しいなら気にしないで。手の空いてる人でいいからちょっとお願いがあって……」
「お願いです? あ、私はストレリチア隊のコノハ・スギノです」
「よろしく!」

 話をしてくれる彼女は、騎士大会のステージへつける飾りを作っていた。折り紙で作る花のようなものから、チェーンのように作られた長いものもある。

「コノハさーん。他の隊に手伝ってもらった分、回収してきましたぁ」

 大きな段ボールを抱えて入ってきた女性は、箱が邪魔をして顔が見えない。危ないと思っていたら、入り口の桟につまづき大きくバランスを崩した。
 キリヤナギは、ひっくり返りそうになった箱をキャッチして女性と床の間へ滑り込む。

「ラグドール! 大丈夫?!」
「いったぁ、すみまーって……きゃーー!! 殿下ーー!! ごめんなさいー!!」

 廊下まで響いた叫び声に、他の部屋の騎士がざわつく。が、ラグドールの事だと気づいた瞬間、キリヤナギへ挨拶だけをして解散していった。

「す、すみません。ありがとうございました」
「怪我なくて良かったけど……」
「自分はラグドールさんと飾り作りをしてたのです。端的に言うと非番ですねぇ」
「私も今日は、医務室は誰もいないので危険って言われたので非番です」
「そうなんだ??」

 危険の意味がわからないキリヤナギだったが、躓いた彼女を見て少し察していた。
 
「それで、お願いってなんですか?」
「ちょっと手伝ってほしくて、これなんだけど」

 2人へ見せたのは先日、お見合い写真へ挟まれたメッセージだった。唖然とする2人は、封筒と一緒にそれをまじまじとみている。

「挟まれてたのは、この人なんだよね。悪い噂も聞かないから、様子見に行きたくて」
「殿下が直々にですかぁ? 危険な香りがします」
「僕にしか解決できないから、僕なのかな? とか」
「そうなんでしょうか? でも確かに貴族さんのお悩みは、私達騎士では解決できなさそうです」
「ラグさん、そう言う問題じゃない気もするんですけどぉ……」
「今日は、ジンとグランジが休み取ってて居ないんだよね。僕、早めに練習を終わらせるから、良かったらついてきてほしくて」
「そう言う事でしたか。それならお任せくださぁい」
「頼って頂けるのはとっても嬉しいです。親衛隊として頑張ります」
「じゃあ今日の17時ぐらいにリビングでいい?」
「はぁい!」
「ありがとう、それじゃ、また後で」

 2人は駆け足で出て行くキリヤナギを見送ってくれた。途中セシルとすれ違い、キリヤナギは手を振ってすれ違って行く。
 コノハとラグドールに顔を合わせたセシルは、作業する2人の挨拶をきいて自身の執務室へと戻った。

 久しぶりの和装へと着替えたジンは、普段とは違う自身の装いによりまるで別人になったような感覚を得ていた。
 家に纏わる祝い事や、東国寄りの催事へ赴く際に着用するもので、少しだけ背が高くシュッとした印象を与えてくれる。

「これ新しいやつ?」
「そうよ。そのうち必要かなっておばあちゃんと2人で縫ったの。似合ってる」
「あ、ありがとう……」
「本当立派になったよね。父さんでも騎士になってから10年以上はかかったのに、すごいわ」
「母ちゃん……」
「栄誉はね。すごい事なの、普通なら貰えないものなの。ジンは今までタチバナって苗字だけだったけどさ。それが騎士として、その実績を認められたんだよ。だから誇ってもいい」
「褒めないでって、調子狂うからさ……」
「ふふ、あんたそうやって自惚れないようにしてるの。お母さんわかってるんだからね。本当は嬉しいくせに」
「う、嬉しいけど、あんまり喜び過ぎても、だめじゃん……ほら、父ちゃんに迷惑かかるし……」

 ツキハは少しだけ寂しそうにも笑う。
 何かを堪えるようなその表情にジンは言葉を続けられなくなった。

「……ごめんね」
「え??」
「沢山喜べる家じゃなくて、ごめんね。お母さんも本当は貴方を産むまで、貴族なんてって気持ちでいっぱいだった」
「……!」
「でもそれは、全部私が決めたこと。お母さんはジンが自由に育ってくれて、もう十分です」
「……」
「もう大人だもんね。自分の騎士らしさのために、頑張って。お母さんは後ろで見てるから」
「……わかった」
「じゃあ、私も着替えるし。先に居間でまってて。おばあちゃんにも声かけてね」
「ウッス」

 ツキハもまた一般の出身でアカツキと婚約した際に苦労したと聞いている。
 祖父カツラは、もうツキハを受け入れ、特に祖母ハヅキとは映画なども一緒に見に行く仲だが、嫁いだばかりの頃は、暗黙の了解が多い貴族の世界が合わず、上手くはいかなかった。
 そんな中でツキハが妊娠し、アカツキが別居を切り出し、タチバナの看板をおろすと決まった事で、カツラの態度が軟化してうまくゆくようになった。
 ジンは、祖母ハヅキから聞いた話で具体的なことは知らない。
 が、同じく嫁いだ側のハヅキは、ツキハに同情的であっても味方にはなりきれていなかったという。
 家のルールやしきたりに囚われ、人を減らして行くぐらいなら、武道を継ぐと言う習わしを止め、貴族であれど家族らしい家族でありたいと願ったのは、アカツキと言う父になったばかりの男だった。
 そんな諦めの中で生まれた子は、カツラが望んだ男児であり、また父をみて騎士を志した事で、カツラはツキハに初めて頭を下げた。

 「ありがとう」と。
 優しいツキハは許し、ジンが物心ついた頃に全ての弟子を送り出して看板をおろした。
 後でカツラは、もし女児だったとしてもきっと同じことをしていたと話す。
 それは、生まれて初めて持った孫は、想像以上に可愛く愛おしかったからだ。
 結果的にタチバナ家は、看板はなくなっても血は続き、ジンが世代を担ってゆく事となった。

 ツツジ家には、分家のローズ家も和服で集い。式典は多くの騎士貴族達が集う中で始められた。
 王子の誕生祭が控えるにも関わらず、突然開催されることとなったその儀式に皆は意味深に思いつつも、華やかな振袖を纏う令嬢スイレンへ釘付けとなり、会場は和やかな雰囲気に包まれている。

 カセン・ツツジの横に立つ彼女は、久しぶりに会った日よりも表情が柔らかく、まるでこの日を心待ちにしていたように嬉しそうにしていた。
 ジンは、そんな彼女の横で堂々と儀式へ参加し、場は会食へと移ってゆく。
 ツツジ家を守るクランリリー騎士団の人々や、タチバナ家にゆかりのある人々の揃うその場で、ジンは顔もほとんど覚えていない『家の親戚』に声をかけられた。

「ジン君、大きくなったねぇー!」
「そ、そうっすか?」
「前にあったのは小学生か? タチバナを継ぐって」
「はい、一応……」

 誰なのだろうと焦っていると、アカツキが耳打ちをしてきて「従兄弟」だと言う。
 つまり、カツラの兄弟の息子だ。

「うちの主人、武道は全然だめでさぁ、態度悪いからって、若い頃に破門になってねぇー」
「余計なこと言うんじゃない。まぁ俺はもう家でたけど、頑張ってね」
「は、はい……できる限り……」
「本当若い頃のアカツキ兄さんにそっくりだなぁ……」

 思わず同じ言葉を使いそうになる。他にも、20代で称号はすごいとか、噂は聞いているとか、ツキハの側の親戚には、騎士大会のことも知っている親戚もいて、らしく無いと思いながら照れてしまう。
 その照れをうまく表現ができず、正座してこらえていると隣のアカツキに肩を叩かれた。

「素直に喜んでいい。ここはそう言う場だ」

 喜び方もよく分からなくなっていて、返す言葉がでてこない。しかし俯くと、首から下げるツツジの花が刻印された勲章が目に入った。
 丁寧に彫刻されているそれは、灯りで宝石のように輝いていて、ジンはそれを手のひらへ乗せてしばらく眺める。
 「ツツジ栄誉騎士」は、カツラもアカツキも持っている称号だが、これはツツジ町の領主がジンを騎士として認め、その功績を称えた証明でもある。自称ではなく、第三者が認めたそれは、伯爵家の後ろ盾とより厚い信頼を勝ち取ったとも言えるからだ。
 ようやく顔が緩むジンへ、アカツキが小さく笑う。そして集まっていた親戚達がはけたところで高い声が響いた。
 
「ジン様……」

 優しい声に、ジンが振り返るとスイレンがそこに居る。華やかな振袖と美しい黒髪を下ろす彼女は、たまに漫画などで見る姫君のようだった。
 ジンは、ハッとして立ち上がり頭を下げる。

「スイレン嬢、ご無礼を……」
「いえ、あの、大丈夫ですか?」

 大丈夫。と聞かれた事にジンはなんのことかわからない。心配そうな彼女の態度は、ジンも少し困ってしまった。

「とても無理されているように見えて……」
「スイレン嬢、申し訳ない。ジンはまだ慣れておらず」
「アカツキ様、お気になさらずに。呼び出してしまったのは、私の父の所為ですから……」
「称号は、ありがたく賜りました。私の、人生においての僥倖です」
「それはある意味、父カセンのわがままでもあります……お許しください」
「そんなことは……」
「親子3代、途切れる事なく賜われたことは我が家タチバナとしても光栄です」
「ありがとうございます。アカツキ様」

 ジンは言葉が思いつかず、アカツキのフォローがこの上なくありがたかった。終わりそうになる会話にホッと息をついた時、スイレンはもう一度ジンの目をみる。

「あの、ジン様。ここは人が沢山おりますから、少し静かな所へ参りませんか?」
「え……」
「疲れているなら、少し夜風にでも当たって来るといい。無理はするな」
「久しぶりにお話をさせてください。見て頂きたいものもあるのです」

 アカツキの右手にはおちょこがあり、「早くいけ、酒が飲めない」と言う心の声が聞こえて来る。ジンはスイレンと共に広間をでた。

 彼女に案内された場所は奥に芝生が敷かれ、広い庭と池が見渡せる居間だ。
 スイレンは縁側から庭へ下り、透き通った池に泳ぐ魚を眺める。
 ジンが草履を履いて続くと、赤い鯉の様な魚が数匹泳いでいて、鱗がキラキラと月灯りを反射していた。

「この子達を、覚えておられますか?」
「この子?」
「10年ぐらい前、この町の夏祭りでジン様が掬ってくださった金魚さんです」
「え??」

 金魚? と言われてももう一度見ると、金魚には見えない大きさの金魚で衝撃をうける。その反応にスイレンは小さく笑い、そばに置いている箱から餌を取り出し丁寧に撒いた。

「きんぎょ!?」
「はい。初めは金魚鉢でお世話していたのですが。金魚って環境がいいととても大きくなるみたいで、いつの間にか鉢に収まらなくなってしまいました」
「マジ……?」
「はい」

 餌を食べにくる顔を見ると確かに顔は金魚だった。そして10年前の夏祭りの記憶が戻ってくる。
 タチバナ家は、地元の祭りであることから開催時の資金援助もある程度行なっており、ジンは、伯爵よりスイレンを紹介され一緒に祭りを歩くことになったのだ。
 まだ12歳だったジンは、あまりよく知らない領主の令嬢へどうすればいいか分からなかったが、出店が怖くて近寄れないという彼女の代わりに射撃やくじ、金魚掬いをやってみせた。
 見ているだけで楽しいという彼女の反応が嬉しくて、景品などを全て彼女へと渡し、とても喜ばれた。
 そんなたった30分ほどの時間で掬った金魚が、ここで悠々と泳いでいるのも衝撃的だが、ここまで長く育てた彼女の愚直さにも言葉がでなくなる。

「すごいっすね……」
「……はい。どんなに辛い時もこの子達は私の話を聞いてくれました。今は大切なお友達です」
「……そっか」
「重いですか?」
「そ、そんなんじゃなくて、純粋に……すげぇなって、俺ならここまで育てられなかっただろうし、いい人に貰われてよかったなって……」
「ジン様なら、そう言ってくださると思ってました」
「えーっと……」
「私は、重い女だそうです。好きになると、かけてもらった言葉とかずっと覚えてたり、貰ったものを本当に大切にしたり、……ヤマト様も、ここまでとは思ってなかったって……」
「アイツはひどいやつなんでスイレン嬢は悪くないっすよ。好きになったら大切にするのは当たり前だし……」
「……本当に、そう思って下さいますか?」
「そうやって大切にしたいのは、分かります。俺も殿下にもらった物は今でも大切だし……」
「殿下……ですか?」
「え、はい。仕えるって意味ですけど……」

 スイレンは優しく笑っていた。月を仰ぎつつ、池の水面に落ちた木の葉を丁寧に掬っている。

「ジン様は、王子殿下が、大切なのですね」
「……はい」

 スイレンは目を合わせず、優雅に泳ぐ金魚達を眺めていた。遠くから宴会の声が響いてくる空間で、突然ジンの通信デバイスへ着信がはいる。
 静かな空間でのバイブレーションは、よく響きスイレンも気づいていた。

「ジン様、どうかお気になさらず」
「……すいません」

 少し離れてデバイスを見ると、通信相手はグランジだった。ジンは少し場を離れ、迷わず通信へと出る。

「グランジさん、どうかしました?」
『殿下と、連絡が取れない』

 え? とジンは反射的に迷子アプリを起動する。数秒間をおいて表示されたのはツツジ町で、ジンはグランジの意図を察した。

『様子だけでも、見に行って欲しい。俺も自動車で向かっている』
「分かりました」
『……構わないのか?』

 思わず聞き返され、ジンはハッとする。スイレンは聞こえていたようで、振り返った事へ微笑んでくれた。

「……私は、気にされないで下さい」
「……スイレン嬢」
「本当は、少し寂しいですが……私はジン様のやりたい事を否定したくない」
「……」
「貴方を、信じております」

 ジンの心へ、ザクザクとナイフで切り裂かれたような痛みが走る。
 ずっと孤独で、それに慣れ、周囲を捨ててたジンにとって、スイレンはあまりにも無垢すぎるのだ。美しすぎるが故に、こちらの『自己満足の善意』が全て罪悪感へと変わってゆく。
 興味なんてないのに、どうでもいいのに、何故彼女がジンを信じる事ができるのかわからない。
 何年も連絡も取らず、裏切り、都合よく久しぶりに顔を合わせただけなのに、彼女はずっとジンから得た物を大切にし、その善意を忘れないでいた。
 ジンは、ただ反応が嬉しく面白かっただけだ。なんの好意もなく、やって見せただけに過ぎない。

「ジン様……?」

 痛い。誕生祭で敵におられた肋骨よりも、
 痛い。夏で毒にやられた時よりも、
 痛い。フュリクスに敗北し、自信を失った時よりも、

「……ごめんなさい。ありがとうございます」
 
 ジンは草履を脱ぎ捨てるように居間へともどり、ツツジ家の玄関から靴を履いて実家へ向かって走る。

 これは『逃げ』だと、ジンは自分へさらに痛みを重ねる。これ以上の痛みに耐えられる自信がなかった。
 これまで幾度となく、人に嘘をつき本音とは違う言葉を投げかけてきたジンにとって、スイレンと共にいることは常に自分の嘘と向き合い対峙させられる。
 嘘の結果が顕著に現れ、想定外の感情として前に出て来る。
 嘘を重ねるにはもう限界なのだ。
 だが、答えることができなかった。
 これは逃げだ。
 男に裏切られたばかりの彼女を、傷つけたくないと思ってしまった。
 何も話せなかった。

 誰もいない、明かりが落とされたタチバナ家へ1人帰宅したジンは、武器の入ったケースの前で腰を落とした。
 深呼吸して、一度感情を吐き出す。
 締め付けられるような痛みに堪え、ゆっくりと目を開けるとそこには、ホルスター入りの銀銃があった。

 しばらくみて、窓から月明かりが差し込んだ時、気持ちを一気に切り替える。そして早々に、騎士服の下とシャツへ着替え自宅を飛び出した。

 場所は、スイレンと歩いた記憶が残る、夏祭りが開催された緑地公園。何ごともなければいいと、ジンは不安を抱えつつ現場へと急ぐ。


 
 ツツジ町、緑地公園。
 キリヤナギは夕方、ラグドールとコノハを連れてこの場所へと訪れていた。
 芝生が敷かれた広い場所と僅かな遊具のあるその公園は、定期的に夏祭りも開かれキリヤナギも足を運んだことがある。

「いかにも密談って感じの場所ですねぇ……」
「そうかな?」
「あっちにブランコがあります! いきましょー」

 ラグドールが少し嬉しそうで、空気が和む。
 見合いの写真に挟まれていた手紙には、具体的な時間の明示はなかったが、黄昏時とだけ記載がありこの時間に足を運んだ。
 ツツジ町の人々の多くは17時ごろには、帰宅する住民が多く、人気のない場所として利用されるのは理解もしやすい。

「時間は何時ごろなのですか?」
「それが、夕方? としか書いてなくて」
「おゆはん間に合います?」
「早めには帰ろうかなって思ってるけど……」
「今からだと結構ギリギリだと思うのですが……」
「この時期って、母さんも父さんもピリピリしてるから、できたら会いたくないんだよね」
「りょ、両陛下も準備と練習で気が張っておられますからぁ……」
「お疲れ様です……殿下」

 すでにグランジからメッセージが来ているが、キリヤナギは見なかった事にする。
 今は私服だが、武器はまだメンテナンスから戻ってきてはおらず、背中のボディバックへ護身用の拳銃だけを持っていた。

「コノハは異能もってる?」
「はい。ヒナギクさんと同じ【認識阻害】ですねぃ、人をびっくりさせるのが好きです」
「コノハさん、本当に上手で秋の収穫祭はいつもオバケ役なんですよ」
「楽しそう……!」
「去年になるのですが、こっそり新人さんを驚かそうとしたら、セスナ副隊長に見つかって叱られたんですよねぇ」
「確かにセスナなら見つけそう……」
「ストレリチア隊の洗礼って言われてたのですが、今年はどうします?」
「もちろん、今度はバレないように頑張りますよぉ」

 この2人の会話が楽しく、つい一緒に笑ってしまう。
 冬から日が長くなりまだ明るいが、キリヤナギは遅くとも18時半には帰るつもりでいた。それはイタズラの可能性もあるのと、この時間にでればまだ心配もされにくいからでもある。

「来ますかねぇ、貴族さん」
「僕はこの公園来れただけで嬉しかったし、二人ともありがとう」
「この公園ですか?」
「昔、ここの夏祭りに来たんだよね。あっちは駄菓子屋さんもあってタチバナの稽古帰りによく行ってた」
「駄菓子ですか? 意外です」
「ここに来ると、僕もみんなと同じだって思えて安心したんだ」
「いい思い出ですねぃ」

 錆だらけのブランコも当時と変わらない。
忘れていた思い出も戻ってきて、懐かしさに浸っていると、ふと視線の先に白い人形の様なものが見えた。

「人でしょうか?」

 白い影はフード付きの全身を覆うようなクロークで、顔が見えず芝生の上に一点、それだけがある。

「コスプレっぽいですが……」

 どこかの漫画にあのようなキャラクターがいるのだろうか。まだまだ距離が離れている中、目を凝らして行くと、

 それ と目があった。

 直後、背筋にゾッとしたものが走る。

「コノハ、ラグドール、逃げるよ!」
「えーー」

 キリヤナギが公園の出口を見た時、先には同じ格好をした2人がいた。そして、新たに目線を向けると、さらにそこに3人、4人。囲われるように増えて行く。
 コノハは咄嗟に2人の腕を掴み、【認識阻害】を発動。手を引くように人の少ない場所へと駆け出した。

「多勢に無勢です。一旦逃げます!」
「なんなんですか! この人達!」

 【認識阻害】により、相手はおそらく3人を視認できない。このまま走り抜けようとした時、進行方向にいる白い影と目 が あう。

 見えた顔は、白。
 掘り込まれた仮面のような物をつけていた。隣もまた同じものをつけ誰一人顔がわからない。そして近づいて来るたびに、何十にも重なる声が聞こえてくる。

「神子神子神子神子神子神子神子神子神子神子神子神子神子神子神子神子神子神子神子神子滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ」

 目の前で呟かれる言葉は、まるで呪詛のようで、背筋がゾッと冷える。
 キリヤナギが聞こえないよう片耳を塞ぐ中、クロークの影が全員紐で繋がっている事に気づいた。
 全員が繋がり、囲い込まれている。
 コノハは一度足を止め、すり抜けられそうな場所を探すが見つからない。
 人と人のの間はどんどん狭まり、周囲に存在するのは円状の人の壁が完成した。

「コノハさん。私が囮になりますね!」
「ラグドール!?」
「お願いします」

 え? と、ラグドールはコノハの手を放して散会して走って行く。彼女が姿を見せると逆側の人の壁が僅かに開いて、さらに新しい人が出て来た。
 武器は持っておらず、鬼ごっこのように逃げた彼女は、走りながら透明な破片のようなものを飛ばす。

「魔術……!」
「はい。ラグドールさん。センスあったんですよー!」

 さらに小型銃を抜き、近づいて来る敵を牽制する。
 素手で殴りに来る敵に怯まず、的確に魔術結晶を飛ばすラグドールは、三名の大人へ魔術を使ってシールドを生成ては、時には針のような結晶を飛ばして動きを鈍らせていた。

「私もやりますよー!」

 コノハの速力があがり、キリヤナギは足をもつれそうになる。が、その速力からの唐突な体当たりを喰らった相手は、吹っ飛ばされるように倒れ、道ができた。

 踏みつけるように脱出した2人へ、輪を作っていた集団が泣き叫ぶように追って来る。
 その光景は、まさに阿鼻叫喚だった。
 ホラー映画のような強烈な悲鳴に、キリヤナギも気が動転してしまいそうになる。

「我々がおりますよー!」

 動じないコノハの叫びに、ようやく自分がもどってくる。大丈夫だと言い聞かせ、キリヤナギが速力を合わせた時。公園の周辺にもまた人の壁が存在した。

「許さない許さない許さない許さない許さない許さ許さない許さない許さない許さない許さない神子神子神子神子神子神子子神子神子神子神子神子子神子神子神子神子神子子神子神子」

 呪いの言葉が再び響いて来る。コノハが再び突破を図ろうとしたとき、人の壁が突然散会してこちらへと突っ込んできた。
 その挙動に反応ができず、今度はコノハが体当たりをもらい、キリヤナギから手が離れる。

「コノハ!」
「にげーー」

 後ろへ倒れたコノハの上に、何名もの人がのしかかり動きを封じる。
 キリヤナギは、背中のショルダーから、拳銃を取り出し、コノハの周辺のを狙って構えた。しかし、敵は動じず銃を構えるこちらへとじわじわと迫ってくる。

「おぉ、神子よ。貴方の魂を、我が主は、望まれる」
「誰の事だ……!」
「その力の根源を、我が主へ……」

 微塵も理解ができず、錯乱しそうになる。しかし、全く身に覚えがないわけではなかった。
 この世界に存在するミハエル教団。
 自らがこの世界へ裁きを下す裁定者の代理だと名乗り、己の正義感で私刑を行う犯罪組織だ。
 主に君主制の国によって虐げられ、復讐に燃える者が集まっており、標的は世界の私腹を肥やす貴族や富裕層に絞られている。
 オウカでは、キリヤナギが生まれる頃に排除されたと聞いていたが、出会う事があるなど想像もしなかった。

 ゆっくりと近づいてくる人々に、キリヤナギは銃を構えながらジリジリと足を引く。
 サーベルなら、強気に攻めることができるのに、今は手元にある武器は慣れない銃のみだ。
 刃を返せば峰打ちができるサーベルとは違い、銃は命中すれば高確率で相手は死ぬ。
 撃てるか?
 囲いにくる大人は、視界だけでも十名を超え、背中を見せれば間違いなく隙を取られる。

 怯まず近付いて来る敵に、キリヤナギは覚悟を決めれずにいた。

「神子よ。どうか、私を殺せ」
「は……」
「その罪の重さを、理解せよ」

 ゾッと悪寒が走る。
 殺しの重さを理解させる為に、敵は自身の生命を捧げると言うのだ。
 本当の意味で理解ができず、またそれが恐怖として押し寄せてくる。これ以上考えてはいけないと、キリヤナギは思考をリセットし怯まずに対峙した。

「重き宿命を背負った神子。生まれ落ちたその罪を償うため、我々が安らかに天使様の元へ送り届けると約束しよう」

 生まれたことが悪いのだと、彼らは説いている。
 王子の存在の否定はタブーにも等しく、それを口にできるのは「外国人」ぐらいだろう。

 口にされた言葉に、キリヤナギは初めて父に殴られたあの日が過ぎった。
 王子として、誰かの為でありたいと願い続けたあの時、その資格はないと言われたのだ。
 肩書きにそこまで意味を得て居なかったキリヤナギだが、当時の行動に対して寛容だった父に言われた事で、何が正しいのかわからなくなり、全てがどうでも良くなった。

 そんな記憶が過ぎった一瞬。
 後ろから殴りかかる影にキリヤナギは気づいて居なかった。
 僅かに響いた地面を蹴る音に振り返るが、もう間近に迫り回避が追いつかない。
 まずいと、せめてダメージを減らす姿勢を取ろうとした時だ。

 唐突に響いた銃声によって、後で振りかぶっていた相手が撃ち抜かれた。
 無造作に床へ倒れた敵にキリヤナギが距離をとって構える中、公園の出入り口の方角から眼帯の男が姿を見せる。

「……グランジ!」

 現れたグランジ・シャープブルームは、左手に持っていたサーベルをキリヤナギへ投げてよこす。
 騎士へ配布されているその武器を、キリヤナギは受け取り迷わず抜いた。
 この動作で、相手の動きが僅かに変わる。

「オウカ国第一王子、キリヤナギより命ず! 今すぐにこの国から出ていけ! 従うのならこの場は追わずにおく」
「神子よ。罪を償う機会を捨てるか?」
「僕はこの国で祝福されて生まれてきた。よって貴殿らに否定される筋合いはない!」

 グランジが、膝をつき頭を下げる。
 騎士を侍らせ、堂々と対峙するのは王族の証明と言えるからだ。
 
「今すぐに立ち去れ。従わないのなら僕の手で粛正する」

 しん、と。日が落ちてゆく公園に緊張が走る。
 膠着する空気の中で、さらに新たな足音が響いてきた。
 落ちかけた夕日を背に現れたのは、返り血で顔とシャツを僅かに汚したジン。

「騎士……」
「アンタが親玉?」
「ジン……」
「殿下、無事でよかったです。ケガないすか?」

 グランジが頷いていて、ジンはほっとしていた。
 キリヤナギは、休日だと思っていた彼がここへいることへ驚き、呆然と見据える。

「我が同志は……」
「十人ぐらい倒したら逃げました。叫んでた人、弱いっすね」

 ジンがグランジと連絡を取りつつ駆けつけた時、公園は地獄の様な叫び声が響いていた。
 正面入り口が近かったジンは、自動車できているグランジへ逆側の入り口へゆく様に誘導し、二人で挟む形で公園へと入ったのだ。
 結果的に脱出を図っていたキリヤナギとグランジが合流し、窮地を脱する。

「私もいますよぉ」
「コノハ……」

 姿が見えなくなっていたコノハが、【認識阻害】を解除して姿をみせる。現れた場所は、リーダーと思われる敵の真後ろで、そっと短剣を突きつけていた。

「……なるほど」
「ウチの国の殿下を罪人呼ばわりしたの聞いてましたよ。貴方こそ罪人なんじゃないです??」

 キレのある言葉に、仮面の敵は黙っていた。彼は周りの仲間を下がらせ一人残る。

「ここで引けば追わないと仰りましたな」
「あぁ、『僕』はね」

 キリヤナギの冷えたトーンに、ジンとコノハが動く。が、敵はクロークの中から何かを落とし、コノハが離れ、グランジがキリヤナギを庇った。
 直後周辺に閃光と煙が充満する。
 手榴弾で自爆を図ったかに思われた敵は、閃光弾と催涙弾を破裂させて逃走した。
 ジンが即座に白煙の中へ狙撃するが、当たらずに影が溶けてゆく。

「くっそ……」
「追うな! ジン」

 敵はかなりの人数がいて、この期に襲われれば不利になりかねず、一人でもいた方がいいと言うグランジの判断だった。

 催涙ガスを浴びたキリヤナギの咳が聞こえ、ジンは追撃を諦めて彼の元へと合流する。
 相手に最も近い位置にいたキリヤナギは、ガスの影響を間近に受けてしまい、酷い咳と涙を滲ませていた。

「きづぃ……」
「大丈夫ですかぁ……?」
「みんななんで平気なの……」
「我々は訓練してますし?」

 水飲み場で目を洗い、キリヤナギは悔しそうに項垂れている。しかし、心配そうにみる三人をみて、ほっとした様子だった。

「みんなありがとう。ラグドールは大丈夫?」
「大丈夫です。強かったし……」
「ラグさんは、うちの隊でもセスナ副隊長の次に強いんですよねー」

 キリヤナギもジンもかなり意外に思い、彼女への意識を改めた。普段の態度から戦闘もそこまで得意にみえなかったからだ。
 未だ咳と涙がでるキリヤナギへ、ジンがポケットに入っていたちり紙を取り出す。

「……ありがとう。ジンは今日、休みって聞いてたのに」
「近くなんで……」
「夜会はおわったんだよね?」
「抜けてきました」
「は? 何の為にやすんだの??」
「え」
「スイレンは?」
「行っていいって言ってくれてーー」
「……最低じゃん」
「え??」
「スイレンさんって、殿下が道中にお話してたジンさんの元許嫁さんでしたっけ? 破談したけど、ヨリ戻すんじゃなかったんです?」
「なんで話してんすかーー!!」
「なんとなく」

 キリヤナギは、少しだけ不貞腐れていた。目を合わせないのは、彼なりに何か不満があった様に見える。

「スイレン置いてけぼりで可哀想じゃん、さっさと帰って」
「は……」
「ジンが主役なのに、本人いないとかありえないし迷惑かかってるよ。僕の所為にされたくない」
「それは、無いんじゃ……?」
「あるからさっさと帰って」

 キリヤナギはそっぽを向いてしまった。心なしか、最近冷たい様にも思え少し疎外感を感じてしまう。

「……いいんすか?」
「ケジメつけて。らしくない」

 目を合わせて口にされた言葉に、ジンは意識を改めた。
 確かにこのままでは、全てが中途半端になってしまう。

「分かりました。戻ります」
「うん。来てくれてありがとう、スイレンによろしく」

 ジンは一度礼をして、応援が来る前に公園を立ち去った。ちょうど大通りには騎士団の自動車が多く走ってゆく中、ジンもまた誰もいない実家へと戻る。

*193

 ジンが大急ぎで着替え再びツツジ家へと向かうと、もうお開きになっており、玄関で親戚達と顔を合わせていた。

「ジン! もーどこ行ってたの!! さがしたんだからね!」
「母ちゃん……」

 玄関で足止めされていたら、母ツキハに居間へと引き込まれた。綺麗に着せたはずの和服が崩れている事に気づき、彼女は丁寧にそれを治して行く。

「走ったの?」
「え?」
「汗ばんでるし、臭うわよ」
「うっ……」
「これで拭いて」

 渡された汗取りシートは、匂いを殺し爽快感がある。いい大人なのに情け無いとげんなりしていると、彼女は少し困ったような顔をしていた。

「怪我はしてない?」
「してないけど……」
「なら、良し。スイレン様が探してたわよ。帰る前に会ってあげて」

 そうだったと、ジンは一度広間で彼女を探し、再び池の見える居間へと向かう。居間の前で使用人が膝をおろし、そっと襖を開けてくれた。
 その先には、月明かりに照らされる縁側へと座る彼女がいる。

「おかえりなさい」
「すいません。戻りました……」
「殿下は、如何でしたか?」
「怪我はなかったみたいです。どうにかなりました」
「それならよかったです」
「……その、すいません。俺、やっぱりスイレン嬢のお気持ちには、答えられなくて……」

 話したいと言ってくれた彼女の願いに答えられなかった。そして、純粋すぎるスイレンとは対照的に、ジンは嘘に塗れ、当たり前の様に周りを捨て、その手は血で汚れている。
 目を合わせられずにいるとスイレンは突然頬へに触れてきた。

「これは血ですか……?」
「え?」

 こめかみに僅かに返り血が残っていた。彼女は胸元から布を取り出し、それを丁寧に拭いてくれる。

「すいません。ひどい物を見せて」
「いえ。とても大変な思いをされたのかなと、ジン様の怪我は?」
「俺のじゃ、ないんです……すいません」
「……!」

 スイレンは驚き、しばらく呆然としていた。そしてジンは、ずっと紡ぐことができなかった言葉を口にする。

「スイレン嬢。私は、貴方と共にいる資格など、有りません」
「……ジン様?」
「私は、もうこの手は汚れ、嘘に塗れ、人をぞんざいに扱ってきた。だから私は、きっとまた貴方を裏切ってしまう……」
「おやめください」
「……っ!」
「ジン様。良いのです。たとえ嘘だったとしても私は貴方の言葉が嬉しかった」
「……俺は」
「気がないことなどずっと分かっています。あの時は気づいて欲しかった。でも先に裏切ったのは、むしろ私の方でした。……だから、また会えて嬉しかったのですーー」
「……」
「忘れられてないって……」

 以前なら、確かに忘れていただろう。彼女に興味はなく、仕事を終えただけで満足する勝手な自分が浮かぶ。しかし今日は、少しだけ違った。
 席を外す時、逃げたいと思う気持ちはあったが、伝えなければいけないと言う後ろめたさも常にあったからだ。

「ジン様、もしよろしければ、お友達から始めませんか?」
「友達……?」
「はい。もう一度、お互いを知るところからやり直したいのです」

 やり直すと言う言葉に、ジンはキリヤナギを連想する。彼もまた、ククリールとの友達をやり直していたからだ。
 ジンにもできるだろうかと、不安はある。
 キリヤナギとは違い、ジンは具体的に何をすればいいのかも見当もつかない。しかし、友達はお互いが友達だと認識してこそ成立するもので、その意思統一があらかじめできているのなら、それは「思い込み」ではなく確固たるものとなる。

「俺、めんどくさいですよ?」
「私もめんどうな女で同じです」

 スイレンは、ジンが思う以上に現実を受け入れていた。元婚約者でありながら、ジンはまだ彼女の事を本当の意味で何も知らない。これから友達として知ってゆく努力ができるなら、確かに前に進むことはできると思えた。

「……がんばります」
「よろしくお願いします」

 スイレンは手を差し、ジンは彼女と握手をしていた。少しだけ頬を染める彼女に対し、ジンは少し困ってしまう。

「あの、私の事は呼び捨てでスイレンとお呼びください」
「それは無理っす」
「なんでですか! お友達ですよ?」
「だって聞かれたらマズいし? 俺は騎士なんで……」
「まずくないです! 私がそう呼んで欲しいのです」
「じゃあ、俺の『様』もやめてくれます?」
「それは嫌です」
「なんで……」

 結局お互いに譲らず、ジンだけが畏った敬語を使わない方向でまとまった。スイレンの要望だけが押し切られたのを考えると、令嬢らしい一面を垣間見たようにも感じ、彼女が一人の女性として見えてくる。

「メッセージには必ずお返事はくださいね。お友達ですよ!」
「は、はい」

 めんどくさい。と言う言葉がよぎって、ジンは考えるのはやめた。ジンもまた細かいことを気にするめんどくさい男だからだ。

 ツツジ家の夜会は終わり、ジンも家族でタチバナ家へと戻る。
 一通り家の事を終えて部屋に戻ると、キリヤナギからスイレンの件でしつこくメッセージがきていて、誤解されないよう詳細を話すと、ある程度は納得し「大事にしろ」とだけ釘を刺された。
 何故キリヤナギがこの件に介入するのかは分からないが、言われていること自体は正しく、反論はできなかった。

 明日からまた出勤で意識を落としかけていると、その日の最後にスイレンからメッセージがくる。
 「何をしておられますか?」と言うメッセージに、ジンは約束通り返事をして、それが延々と繰り返されていった。

「ねっむ……」
「珍しいな、興奮が冷めなかったか?」
「そんなんじゃねーよ」

 タチバナ家の朝の食卓で、ジンはボーッとする意識をどうにか保つ。いつも実家に帰ると早朝から訓練をしているのに、今日はスイレンとのメッセージが終わらず、起きることができなかったのだ。

「スイレン嬢とは再婚約できそうか?」
「ねーよ。とりあえず、友達からにするって」
「なんだそれは情け無い」
「向こうから振られたのに?」
「そんなに不信があるか?」
「ねぇけどさ、俺だってそんなすぐ切り替え出来ねぇよ」
「そうか。まぁいいが、25になるまでには決めろ。あちらに迷惑がかかる」
「……わかった」

 23歳となったジンは、残り2年だ。
 政略結婚をする貴族達は、元々10代の頃から親睦を深め、適齢期に籍を入れるのが定番だが、20代後半までに婚約が進まない場合、何かしら問題があるのではと他の貴族達に忌避される傾向がある。

「生涯独身で終えなければなんでもいい」
「プレッシャーかけんなよ……」

 アカツキも結局はタチバナ家の現当主だ。家の存続と栄誉を重んじ、あるべき騎士貴族として生きているとも言える。

「父ちゃんは恋愛結婚?」
「あぁ、家を出たかったんだ」
「……マジ?」
「弟に先に逃げられ、継ぐ代わりに母さんとの婚約を押し切った」
「そりゃ母ちゃん苦労するよ……」
「別居も考えたぞ。折らせたがな」

 それほどまでにアカツキのツキハへの想いは強かったのだ。亭主関白にみえるアカツキだが、ジンの記憶には、幼い頃の思い出に必ずアカツキがいて、遊園地とか映画とか、一緒にゲームもした記憶もある。

「俺、ちゃんと家の事考えるし……」
「悪いな。助かる」

 カツラは、縁側で朝の将棋を打っていた。

 眠気でぼーっとしていたらいつの間にか出勤時間になっており、ジンはアカツキに急かされて自動車へと乗り込む。
 祝日の近い首都は、自動車道路が想像以上に混み合っていて二人とも定刻ギリギリの出勤だった。
 駆け足で事務所へ向かうとそこにはデスクに座っている珍しい顔がいる。

「ジンさん! おはようございます。会えてよかったぁ」
「ベルガモット隊長……」
「やだなぁ、ジンさん。そんな改まらなくてもいいですって、セスナでいいですよ」

 今季から、ジンは正式にストレリチア隊へと所属する事になり、セスナはジンにとっての上官となっていた。ストレリチア隊の中での区分では、セスナの率いるベルガモット隊となり、ラグドールやコノハと同じチームとなっている。

「所でジンさん。昨日、ツツジ町の緑地公園におられたってきいたのですが……」
「え、はい。居ましたけど……」
「あの、ごめんなさい。大変申し訳ない……というかお願いがありまして……」

 セスナはジンに近づき、耳元で小さく続ける。

「ここ最近、特殊親衛隊の業務体形が問題視されてて、休日のジンさんも参加したってなったら色々マズいんです。なのでここは少し申し訳ないんですが……」
「そ、そう言うことなら……」
「あと、よかった殿下にも、口止めも……お願いします」
「分かりました……」

 ほっと肩を撫で下ろすセスナに、ジンは反応に困ってしまう。「僕のせいにされたくない」と言われたのも少し理解ができてしまった。

「セスナさん。昨日、結局どうなったんですか?」
「実は色々あって……。口止めをお願いしておいて、申し訳ないのですが、昨日の件は殿下には黙っていてほしくて……」
「何か問題が?」

 目を逸らしたセスナは、少し辛そうな表情をみせ、ゆっくりと口を開いた。

「ミハエル教団は、ご存知です?」
「……! 確か国際的なテロ組織の?」
「えぇ、うちのラグが残党を魔術結晶の檻に一時的に収監していたのですが、我々が来るまでの間に、中の構成員が殺し合いを始めたのです」
「は?」
「おそらく秘密保持のためでしょう。助けを乞うものから殺害され、ラグは止めようとしましたが、手榴弾を取り出し檻は内部から破壊された」
「檻が壊れた?」
「はい。魔術は弾丸や飛来物などの『点』の力には、無敵の強度を誇りますが、爆発などの広範囲の圧力には脆い性質があって、ラグもまた巻き込まれてしまって」
「……」
「ご安心を、命に別状はありません。咄嗟にシールドを貼って軽く吹き飛ばされた程度ですよ」
「そんな物を見て、ラグさん大丈夫なんですか?」
「大丈夫です。ラグも一応は騎士の一人なので覚悟は持っておりますよ。もちろん、ショックは受けておりましたが……」
「……」
「ジンさん。我々は、殿下へ『敵の人数が多すぎて、確保ができなかった』とお伝えしております。そしてほとぼりが冷めてから、クランリリー騎士団が捉え、国外へ追放したと報告するつもりです。ご協力願えませんか?」
「セスナさんは、そうやって殿下を守るんですか?」
「……確かにショッキングな事実をお伝えする事へ躊躇いがあるのは否定しないです。でも私が本当にやりたい事は、今のラグドールを殿下に知って欲しくはない」
「それはどう言う?」
「怖くありませんか?」
「……!」
「あの集団に命を狙われる日常へ、恐怖を覚えませんか? 私は、殿下が恐怖に支配される日常になってはならないと思うのです」
「……」
「騎士たる我々が犯してはならないことは、恐怖によって殿下が自らの行動を制限される事だと考えます。だからこそ、我々はかの教団と渡り合える力がある事を誇示し、殿下が堂々と街を歩ける土台を作る。と、いろいろ言いましたが、端的にお話しすると、教団の行動に傷ついたラグを知られたら、殿下は我々に不信を抱いてしまう……と言うお話です」
「……そう言うことなら。でも、俺からすれば殿下、そんなに怖がってたのかなって……」
「そうですね。確かに振る舞いを見れば全然怖くなさそうと言うか……」
「読みました?」
「……はい。それこそ、去年の初夏の襲撃の時ぐらいでしょうか。本の中だけの存在を初めて見てかなり動揺されていたようでした。多分武器が慣れず自衛できないのもあったんでしょうけど……」

 ある特定の武器を肌身離さず持つものにとって、慣れない武器は上手く使える確証がもてず大きな不安が大きいのはよく分かる。

「分かりました。黙っときます」
「ありがとうございます……!」

 セスナは両手でジンの手を取り、何度も頭を下げて居た。

「おはよう、ジン」
「おはよう……」

 セスナと別れリビングへ出勤すると、セオが普段通り朝食の準備をしていた。普段は真っ先に目に入るはずのグランジが見えず、探してしまう。

「殿下とグランジは、今日は早朝から練習にでられてるよ」
「マジ? 悪い遅刻……」
「大丈夫。伝えてないし、実家からなら距離もあるしね」

 ふと、リモコンが目に入りジンはテレビをつける。
 オウカ国のメディアは、近日には王子が21歳になると報道されていて、飾り付けをしている飲食店のインタビューとか、楽しそうなお祭りムードが演出されていた。
 市民達の不安を煽るまいと言うメディアの空気の裏で、宮殿はやはり常に危険にさらされている。

「ただいま……」
「おかえりなさいませ。お疲れ様です」

 少し疲れた表情のキリヤナギが、リビングへと戻ってくる。練習に出掛けていたと言った彼の横にはグランジもいた。

「ジンもおはよう……」
「おはようございます」
「勲章もらったんだっけ? どんなやつだった?」
「騎士長と同じのです『ツツジ栄誉騎士』?」
「見せてよ」

 ジンが自室に置いていた実物を持って来ると、キリヤナギはケースを手にとってまじまじと見ていた。
 グランジとセオも覗き込んできて、困惑する。

「すごいちゃんと出来てる……」
「しかも白金に見えます。綺麗ですね」
「しろがね?」
「アクセサリーに使われる高級金属、プラチナだよ。昔はそれでも勲章と一緒に戦場に行ったりするから鉄とか使われてたけど、今は戦争もないし、夜会でも綺麗な方がいいから見た目が重視されてる」
「勲章って送った家の誇示になるから、高級であればあるほど本気具合がわかるんだよね」
「え??」
「ジン、完全にロックオンされてますね」

 三人の視線が痛い。
 カセン・ツツジには何も話されてはいないが、ツツジ家がジンを特別視しているのは明白であり、それを隠す気はない。もっというなら、この騎士は我が家に最も相応しく他に渡す気はない、とも言える。

「スイレン、大事にしなよ」
「はい……」
「身からでた錆。責任取るんだよ?」

 何も言い返せなかった。
 でもそれでも、スイレンの中でジンがした事がずっと心の支えになっていた事がわかり、安心したのはあった。
 それは独占欲ではなく、彼女が彼女らしくある為のものになっていたのが嬉しかったのだ。

「関係ないですけど、金魚ってめちゃくちゃデカくなるんすね」
「そうなの? って、なんで金魚?」

 スイレンの金魚の動画を見せると3人は絶句していた。セオは見たことはあったがそれが3匹も泳いでいる事に衝撃を受けている。

「殿下。誕生祭、頑張ってください」
「……! ありがとう、頑張る」

 キリヤナギは、朝食だけ済ませ午前には再び練習へと出てゆく。
 間も無く王子は一年を終え、21歳を迎えるのだった。

コメントする