第二話:学内ヒエラルキー

 正午前の桜花大学に登校したキリヤナギは、校内に漂う不穏な空気へ違和感を覚えていた。
 誰もが声を響かせないよう振る舞い、不安そうな面持ちを見せるのはまるで何かに怯えているようにも見える。

「王子、これやるよ」
「え??」

 すれ違いざまに押し付けられたのは、今朝配られたらしい号外の校内新聞だった。
 渡してきた彼はすでに走り去って姿は見えず、渋々号外へ目を通すとその一面へ思わず絶句する。

 「生徒会長。予算を横領」と言う見出しにキリヤナギは数分間目を疑っていた。

「なんかすげぇ事になってんなぁ」
「ちょっと信じられないんだけど……」

 その日の屋内テラスには、ヴァルサスとアレックス、キリヤナギの三人しか居なかった。
 ククリールは、一つだけ取っていた授業が休講となった為、自宅で自習をするらしく来ていない。
 4回生のアレックスもほぼ単位を取り切って授業はないが、キリヤナギの部下として彼の登校日には大学へ来ていた。

「横領か。人は大金を前にすると目が眩むと言うが……」
「生徒会の予算なんて、毎月10万ちょっとだしそこまで高くなくない?」
「たけぇよ……」
「貴族から見れば少額だが、一般学生からすれば、それなりの金額だと思う。実際に横領したのは半分だと書いているが……」
「五万あれば、学生の欲しいもんは大体買えんじゃね?」
「ヴァルは、ダリア先輩を疑ってる?」
「疑うっつーか、もう結論でてんだろ? 金庫はルーカスしか開けれねぇって」
「正確には、ホウセンカ卿も開けられるようだが、これまでの経緯を見れば、卿が自身の株を下げるような事をやる意味がない。新聞部の後押しもあり、卿はもうこの大学のヒーローだからな」

 また、イツキ・ホウセンカは大貴族でお金に困っているようにも思えず動機もあるとは思えない。
 反対にルーカスの父は会社員でごくごく平凡な家庭だと書かれていた。何も言わず考えているキリヤナギへ、アレックスは小さく笑う。

「王子はどう思う?」
「僕に聞く? 先輩も目処が立ってるんじゃないの?」
「王子がどちらの肩を持つのか興味深い」
「僕はどちらにもつかないよ。でも僕がいると知った上での行動なら舐められてる気がして気分が悪いかな」
「王子が舐められる?」
「それは夜会で半端な受け答えばかりしているからだろう?」
「それは……そうなんだけどさ……」
「なんで王子がでてくんの?」
「ホウセンカ君は、僕に見せつけたいんじゃないかって思って。うまくやれたら褒めてくれって言われてるから」
「何を?」
「自分の『正義』のアピールかな? 簡単に靡くと思われてるのなら気に入らないなって」

 見出しではルーカスが犯人のように書かれているが、本文には証拠がなく「金庫が開けられた」だけで、話が進められている。考察のみで書かれているだけの文面は、まるで誘導しているようにも思えて違和感があった。

「何かすんの?」
「何もしないよ。僕もう生徒会じゃないし」
「一般生徒にできることなど、たかがしれている。我々は貴族は否定された側だ、ハナから助けも求めていないだろう」

 ルーカスは、貴族など要らないと言ったのだ。権力の庇護を拒んだ以上、手を貸すと迫る行為は、迷惑にすらなり得る。

「それより、僕は来月のテストかな。出席……」
「今年は授業もかなり減ってるし、余裕だろ?」
「毎回ギリギリだったから、本当に大丈夫なのか不安が……」
「分からんでもない……」

 もう間も無くして所属研究室の選択があり、夏休み前には研究課題を決めなければならない。
 キリヤナギは元々、ククリールと同じくシロツキ研究室へ勧誘を受けていて成り行きに任せるべきか迷っていた。

「先輩はどこの研究室?」
「騎士の事や、軍事に詳しいトウガン研究室だ。私もハイドランジア卿と同じく騎士団を任される予定だからな」
「アレックスも騎士団長? マジ?」
「公爵家の騎士団長など飾りとも言われるが、私は妥協する気はない」
「人も大勢率いるから、政治の勉強になるんだよね。騎士団は団長とは別に総括で管理する人もいるから」
「ヴァルサスは、決めてないのか?」
「……トウガン教授を考えてたけど、アレックス居んのかよ……」
「はは、悪いな」

 この桜花大学院は、政治家を志す貴族や経営者を目指す学生が集まる大学だが、騎士に至っては分野が薄く、騎士学校としていた頃の名残りのような授業しか行われていない。
 よって騎士に関する研究室も数が少なく、二つしかなかった。

「でももう一つは、ヴァルの方向性とは違うよね」
「そうなんだよ。なんか騎士の武器? を研究してるみたいで……」

 武器のメンテナンスを行える職人寄りの研究室らしく、キリヤナギは不思議にも思っていた。
 大学の資料を見ると歴史に近い分野でもあるが、武器の仕組みや運用方法、また『王の力』と併用する場合なども提案しているらしく感心してしまう。

「普通に面白くない?」
「俺が思ってるのとは違うんだよ」

 ヴァルサスはそう話すが、端的に言うなら「兵器開発」研究室だ。騎士とは分野が少しずれているが武器を扱うのは騎士である為、騎士系のくくりに入れられているのだろう。

「僕はこっちのが気になるかも」
「なんでだよ……」
「そちらは女教授だが、なかなかの変人で学生も数人しか居ない。卒業課題も緩いらしいので向いていると思うぞ?」
「俺が勉強してねぇみたいにいうな!!」

 ヴァルサスが本当に勉強をしているのか、キリヤナギは半信半疑だった。

「でもいいよなーお前ら。卒業する前から将来決まっててよ」
「ヴァルも騎士になるんでしょ?」
「なるけどさ、調べたらクランリリー騎士団って来年の秋ぐらいから適正試験に面接筆記とか、1か月ぐらいかけてやるらしくて……」
「マグノリアは夏からやっているぞ?」
「だ、誰がいくかよ……」

 キリヤナギの知る限り、大卒の騎士は狭き門でもある。他の騎士達が専門の学校へと通い、基礎訓練や知識など蓄えている中、大学で専門外のことを学び、遅れをとっているのは一つのハードルにもなるからだ。
 面接では大学で何を学び、なぜ騎士を志そうとしたか詳細に聞かれることは避けられない。

「働き先に困ったらいつでも言うといい。借金もあるんだ、こき使ってやるさ」
「うるせぇ!! 余計なお世話だ!!」

 キリヤナギは、何も言わずともアレックスの気前の良さに感心していた。その上で、宮廷騎士の子であり、信頼のある騎士を手元へ置く事に違和感もなく納得ができる。

「ヴァルがマグノリア騎士団に行くのはすごくいいと思うけど……」
「はぁー?!」
「口はわるいが、素直だからな貴様は」
「うるせぇ!」

 皆の将来の話をキリヤナギは憂う。
 キリヤナギは今まで、日々人々に何ができるか、何をすべきなのかを考え続けていたが、これから自分が「どうなってゆくか」を思い描く事はあまりなかった。
 「王」になることが決まり、国を継いでゆく未来の道中で、自身がどのような過程を得るのか選ぶ時が来ているのだ。

「僕、ヴァルの事応援してるよ」
「じゃあさ、王子の友達ってこと面接で話していい?」
「何かプラスになる? いいけど」
「自分から主張するのはマイナスにもなりかねないと思うが……」

 アレックスは、後日適正試験の資料を送りつけるとヴァルサスへ話していた。

 キリヤナギとヴァルサスが2人で授業を受けにゆき1人屋内テラスへ残ったアレックスは、放課後のサークル活動の時間まで自習を行う。
 およそ1年間かけて行ってきた研究は、この一年で締め括られ、卒業課題へと繋げなければならないが、まだ完成には程遠くどこから手をつけるべきか決めかねている。
 じっと黙って悩み集中していると屋内テラスの自動ドアが開いて我に帰った。

「ご機嫌よう。今日はマグノリア卿のみか……」

 少し辛そうな表情で現れたのは、かなり疲れた表情のルーカス・ダリアだった。

「生徒会長を下される? ほんとに?」
「あぁ、今日の生徒会の会議でホウセンカは私に生徒会長の役をおりるよう圧力をかけて来た」

 サークル『タチバナ軍』の練習には、その日、見学者がいた。
 午後の授業を終え、サークル活動のために体育館へと現れたキリヤナギは、そこで待っていたルーカス・ダリアと顔を合わせる。
 彼は屋内テラスにてアレックスに相談しようと訪ねて来たが、アレックスが手を貸すかどうかは王子に判断を委ねるとした為、キリヤナギにも話を聞かせてくれることとなった。

「どうして?」
「金庫に保管していた生徒会の予算が消えたんだ。金庫を開けられるのは私かホウセンカしかいないが、誰も私を信じてはくれない」

 生徒会室の金庫は、その年の会長と副会長が前生徒会長から解錠する番号を引き継いでから新たな番号を設定する為、原則会長と副会長しか開ける事ができない。
 この場合、ルーカスの知らないところで横領が起こったのなら、それは必然とイツキ・ホウセンカがやったことになるが、イツキは『平民の味方』として名を上げ、更に多くの生徒に知れ渡ったことで「彼がやるわけが無い」と言う圧倒的な信頼があり、その疑いの目を逃れているのだ。
 
「当たり前だが私はやっていない。しかしこのままホウセンカを真犯人だと攻めることも違うと考えている。だから私は生徒会長として『管理を怠った責任』はあるとして収めるつもりだった」

 無難な判断だと、キリヤナギは考えながら思う。事務的なトラブルと言ってもいいが、ここで消えた予算は運営部にて振り分けられる「前」予算ではなく、振り分けられた「後」の予算でもあるからだ。
 この金銭は、使うことが前提で保管されているものであり、横領であったとしても「生徒会が使用した」と申告されれば誰も責任を問われることはない。
 つまりルーカスとイツキの2人が「やっていない」と主張するなら、なんらかの方法で番号を入手した第三者の可能性もあるとして調査をするか、しないかの判断になってくる。

「調査の判断は当然生徒会へ委ねられるが、ホウセンカはそんな私の意見に対し責任を有耶無耶にしようとしているとして、『責任は生徒会長を降りることでしか償えない』と言い出したんだ」
「……!」
「何をいいだすのかと耳を疑ったよ。皆のヒーローホウセンカは、ヒーローであるが故に残酷なのだと」
「それでマグノリア先輩に?」
「無様だが対応策を聞きにきたんだ。でもマグノリア卿の答えは『悪魔の証明の立証は難しい』と」
「……」
「そして、貴族は貴族でなければ話し合うことも難しいとも言われた。でも私は選挙にて勝ち取ったこの立場を失いたくはない」

 声が掠れてくるルーカスを、キリヤナギは見ない様にしていた。彼は大きく深呼吸をして、手のひらで顔を隠し俯く。

「貴族を否定した私が、こうして貴族に頼るなど無様すぎる。でも私は諦めたくはない。切望していたヒエラルキーのない学園を作る為、藁にもすがる思いでここへ来てしまった。だからせめて、アドバイスだけでももらえないだろうか……」
「……僕はそもそもダリア先輩が悪い事をするとは思わないよ」
「……!」
「ククの名前を借りながら一般生徒の皆をまとめたり、バンドで順番譲ってくれたり……」
「……」
「多分、僕がダリア先輩の立場だったら同じ事してるかな。諦めたくない気持ちもわかるしね……」
「王子……」
「選挙は悔しかったけど、ダリア先輩の政治楽しみにしてる」
「……すまない」

 キリヤナギは首を振る。ベンチから立ち上がった王子は、ルーカスともう一度向き合った。

「今、この大学は、ダリア先輩が生徒会長になることで下剋上が起こり、貴族と平民の立場の差はないんだよね」
「そう、なるか?」
「マグノリア先輩が言ってたかな。この話を前提とするのなら、こうして向き合ってる僕らも『平民』同士だ」
「……!」
「もっと言うと生徒会長のダリア先輩が代表? リーダーだから格上だよね」
「それは……」
「僕を協力させる権利、ダリア先輩はあるんじゃないかな?」

 悪びれなく楽しそうに述べた王子の言葉に、ルーカスは少し迷っていた。キリヤナギはしばらくの返答を待っていたが、同じく立ち上がったルーカスへ驚く。

「王子、それは違う」
「……!」
「私は、そんなヒエラルキーをなくす為にこの場へと立ったのだ」
「……」
「王子、恥を忍んで頼もう。私に『友人』として対等に協力してもらえないだろうか。王子を協力させる権利など、そんなものはいらん。リーダーだからとも違う。強いていうなら、バンドで順番を譲った借りをここで返してくれ」

 キリヤナギは、思わず気押されてしまった。そして、立場の差にこだわっていた自身と平民の彼らを下に見ていた事を反省する。
 ヒエラルキーがなくなった世界で、対等な者同士の『借り』を持ち出されれば、返さない訳には行かない。
 何故なら『借り』があればその時点で、立場が逆転しプライドの高い貴族達はそれを許すことはできないからだ。

「わかった。ダリア先輩と『友人』になろう。できることはやるね」
「……そうか。そう言ってくれるか」
「ダリア先輩?」
「ありがとう……」

 ルーカスは、深く頭を下げていた。
 思えば、いくら生徒会が平民のものになった言えど、貴族がそれに従うとは限らず、実現できるかは別問題となる。
 ルールへ従わせる為には、ある程度の強制力も必要だが、ルーカスはきっとそれを望んでは居ないのだ。提示された不利なルールへあえて従うキリヤナギやアレックスは、貴族としてはレアケースだろう。

「もしかして、マグノリア先輩のとこに来たのはちゃんと話ができそうだったから?」
「そうだ。マグノリア卿は、貴族の攻撃が平民へと向かないよう、貴族達の『敵』として振る舞っていた。よって平民にとって貴族の盾となっていたマグノリア卿ならば、平民の私とも『対等』に話してくれると考えたんだ」
「な、なんかごめん……」
「何故謝るんだ?」

 ルーカスもまた、ククリールの名前を借りて皆を守っていた。ククリール本人はアレックス・マグノリアの影に隠れ、気ままにやっていたのが想像に容易い。

「早速で申し訳がないが、対処方法のアドバイスが欲しい」
「んー。すぐには無理かな。ダリア先輩、後ろ盾も何もなさそうだし」
「そんなもの、作れるわけが無い……」
「抑止力は必要だよ。人は悪意に塗れている。限られた数の椅子へ座る為、隣の人を蹴落とすのは日常茶飯事だ。取って代わられないよう僕らは協力して身を守る。殴られない為に、殴る武器を見せびらかして悪意を寄せ付けない事が自衛になる」
「はは。まさか王子からそんな言葉がでてくるとは……」
「ダリア先輩は、僕はこっち側だってわかってたよね?」
「いや、実は半信半疑だった。心の奥で期待していたのだろう。王子は庶民派なのでは? と」
「マグノリア先輩には、よく茶化されるよ」
「そうだろうな。でも確かに平民の我々には普段の王子の方が親しみやすい」

「話を戻すと僕がダリア先輩と友人になった事は、言わない方がいいと思う」
「何故だ?」
「平民の味方として立っているイツキ・ホウセンカ君と王子の後ろ盾を作ったルーカス・ダリア先輩。もし第三者の立場ならどちらを応援したい?」

 少し楽しそうな王子の言葉にルーカスはゾッとしていた。
 話されたのは、本来ならばあるべき生徒会と真逆の構図になっているからだ。
 平民の代表となるべきルーカスが王子と言う高位の貴族の後ろ盾を。
 また貴族の代表であるイツキ・ホウセンカが平民の後ろ盾を得ている。

「現行の生徒会の思想を維持するのなら、僕らは皆の『敵』になる」
「どうすれば……」
「こう言うのは得意だけど、少し時間が欲しいかな。一週間ぐらい耐えられる?」
「あぁ、今は処分保留、審議中で私は生徒会に出入りができない。授業もないので家で大人しくしているさ」
「わかった。ならメッセージで連絡するね」

 キリヤナギは、その日ルーカスとデバイスで繋がった。
 帰ってゆく彼を見送り、キリヤナギも練習へ戻ろうとした所アレックスがこちらへ近づいてくる。

「ダリアを試したな」
「わかる?」
「意地が悪いと思ったが、確かに私も同じ事をしただろう」

 ルーカスへ立場の差を用いた甘い言葉をかけ、それに乗ってくるのならキリヤナギはそのまま生徒会の掌握ができると考えていた。後ろから口を出しルーカスの傀儡化が行えれば、あとは成り代わればいいと考えていたが、彼はそれを否定し『対等』な関係をもちだしたのだ。
 これによりキリヤナギが生徒の支持を受けていたとしても発言の重さは変わらず、ルーカスの判断へ委ねられると言うことになる。

「意外と強いなって」
「ファンクラブをまとめていたカリスマ性だぞ、舐めるな」

 アレックスの評価がやけに高い理由を理解しキリヤナギは嘆息していた。
 ルーカスが帰った事で、練習をしていたヴァルサスも2人の輪へ入ってくる。

「王子、話まとまった?」
「まとまったと言うか、雑談ぐらいしかしてないけど……」
「雑談?? いつもみたいに味方になるんじゃねーの?」
「今は時期が悪いから断ったよ」
「はぁ? 王子最低かよ」
「ひ、ひどい……」
「協力しないのなら、今回の件はここで終わりか?」
「ダリア先輩の問題には深入りはしないつもり、でも少し調べたいことができた」
「協力しねぇの? アレックスはいいのか? お前、ルーカスと仲良いだろ?」
「王子の決めたことに異論はない。それに仲が良いと言うのは語弊がある。ダリアは私の支持者だっただけだ」
「僕がしゃしゃりでて、生徒会に迷惑はかけれないしね」

 何ごとも無く練習へと戻ってゆくキリヤナギをヴァルサスは意味深に見つめていた。
 ヴァルサスからみた二人の様子は、確かに何かを話し合い語りあっているようにも見えたが、「協力」の印象がある握手などは見られず、連絡先の交換ぐらいだったからだ。
 それが雑談だと言われれば否定はできないが、生徒会の渦中の彼がわざわざ姿を見せたのは、やはり違和感が拭えない。

「アレックス、ルーカスは結局何しに来たんだよ」
「生徒会から向けられている疑いの目が辛いそうだ。冤罪だと私に相談しに来た」
「そう言う? 証明できんのそれ」
「無理だな。やれるとするなら、社会的信頼の高いものが彼の信頼性を誇示したり、アリバイを証明することだが、それもここまでこれば難しい」
「王子でいいじゃねーか、なんで協力しないんだよ」
「それは、今の生徒会の方針とは矛盾するからだろう。貴族を締め出した生徒会が、貴族の力を借りて問題を解決すれば、当選するための建前にすぎなかったと言っているようなものだからな」
「ルーカスが会長になって、お前らも平民になったっていってんのに?」
「平民と貴族では、足元の土台が違う。多くの執事やメイドを連れ『私は平民です』と言う貴族を誰が信じる?」
「んな、極端な……」
「そう言うことだぞ」
「二人とも練習しないのー?」

 王子の声に二人はハッとして練習へと戻って行く。ヴァルサスは一度考えるのをやめ、意識をサークル活動へ集中させていた。

 「タチバナ軍」の練習が終わる頃、時間通りに大学へ足を運んだジンは、キリヤナギの表情が柔らかになっている事を不思議に思う。

「機嫌いいっすね」
「最近大学が楽しくてさ」
「選挙落ちたって聞いたのに」
「それは悔しかったけど、代わりに新しい目標ができたんだよね」
「へぇー、サークルでですか?」
「そっちは不調……」
「……そうなんすね」
「部員の皆が楽しくないみたいでさ。いい案ない?」
「案……」

 楽しくないことが、ジンにとっては想定外だった。それはジンにとっての「タチバナ」は、面白いからこそ極めたくなったからにある。

「楽しいかは分からないですけど、型にハマるのは面白くないと思います」
「型?」
「自分で考えるのが、楽しいってことないです?」
「たしかに」

 決められた型に惑わされず、自分で新しく攻略法を考えると言うことだろう。
 ジンの言う通りキリヤナギが以前、「タチバナ」の古い本を見た時も、基本に囚われてはいけないと書かれていた。

「俺、よく腕試しに挑まれるんですけど、動きが想定できないって言われるんですよ」
「想定できない?」
「タチバナだとわかってるけど、タチバナを使うような動きじゃないって、確かにいつも相手によって変えてるんで、使ったのか聞かれても答えられないんですけど……」

 何をしてくるか分からない。
 これは対面で戦う上で一つの脅威なのだ。
 本来なら、相手の武器をみてどのような戦いが得意なのか大まかな想定ができる。
 銃ならば狙撃に備え被弾しない戦い方を、剣ならば接近を想定し攻防を兼ね備えた立ち回りを、お互いに武器を認識しお互いに良い立ち回りで攻め合うが、ジンの場合、そのあまりに柔軟な立ち回りから何が有効なのか想定ができないのだ。
 たとえ不利であっても、相手の癖や動きを読み切り、針の糸を通すように弱点を探って勝ちに行く。
 これはもう「タチバナ」と言う枠組みを超えた、「読み」の天才にも近い。

「ちょっと『タチバナ』に拘りすぎてたかも」
「名前は呪縛だって、父ちゃんも言ってました。その殻を破るのが第一段階です」

 ジンは、自身を騎士だと誇り『タチバナ』を誇っているわけでは無い。興味すらなく、キリヤナギは失望もしていたが、興味がないからこそ至れた強さなら納得ができた。

「最近、僕反省ばっかり……」
「何かあったんすか?」
「見直した。ごめんね、ありがとう。ジン」

 人が減るサークルでもまだ出来ることがある。
 宮殿へ戻る王子の後で、ジンは突然謝られ、お礼を言われよく分からず呆然としていた。

 日が変わり、その日も登校したキリヤナギは、昼休憩に三人で新聞部へと向かう。久しぶりのサークル棟は、中休みの為か人はまばらで授業のない生徒のみが廊下を歩いていた。

「王子じゃん、わざわざ来てくれたのか」
「突然ごめんね。連絡先わかんなくて」
「俺らの仲だろ、きにすんなって! オリバーお茶頼む」
「わかった」

 久しぶりにきた新聞部の部室は、インクと紙の匂いが漂い、大量の紙面や原稿が積まれ、ファイリングもされていた。
 奥には靴を脱いで座れる場所があるが、クッションはくたびれ、カーペットも変色している。

「なんか申し訳ねぇ、俺のハンカチの上にでも座る?」
「気にしないでいいよ」
「マグノリアはどうすんの?」
「私は立っておく。ただの部下だ、気にするな」
「お前以外と律儀だなぁ」

 ボトル飲料のお茶を紙コップへ出され、キリヤナギはヴァルサスと一緒にカーペットの上へと座らされた。
 改まる空気の中で、新聞部の三人が揃う。

「それで? どうかした?」
「最近、イツキ・ホウセンカ君のこと良く書いてるなって」
「あぁ、やっぱり気になってる?」
「あれさー、生徒会からお願いされてんだわ。流石に持ち上げすぎだよなぁ」
「お前ら忖度してたのか!?」
「悪かったって! だってさ。書かないと今度から生徒会の情報流さねぇぞって脅されるんだよ」
「選挙のこととか、生徒会の話題がなくなったら書くことなくなるし!」
「それって広報から?」
「そうそう、今年の生徒会の広報委員。ホウセンカ卿大好きみたいでさぁ。持ち上げたらめちゃくちゃ喜んで色々話してくれてネタに困らないんだ」
「だからあんなに露骨だったのか……」
「でも、王子が気にするんなら流石にやりすぎだったってことだよな。今度からちょっと控えめにするわ」
「それは、別にいいんだけど……」
「いいのか??」
「よくねーだろ!!」
「ぼ、僕はどっちかっていうと、ホウセンカ君が、平民の生徒の相手しかしてないのが気になってさ」
「は?」
「新聞に掲載された生徒、みんな平民で貴族がいないし? 新聞部の君達なら、ホウセンカ君が他にも助けてる人、知ってるかなって……」
「確かに、平民の生徒の事しか聞いてないわ……」
「使用人でも良いんだけど……助けられた人の中に貴族と仲のいい生徒とか居ない?」

 キリヤナギに言われた生徒を、新聞部の三人は取材メモを見ながら探す。
 詳細な交友関係などはわからないが、主に下位貴族に該当する社長の嫡子や騎士貴族はおらず、また関係者にもなり得る使用人の家系に属するものは、新聞部の彼らの知見においては存在しなかった。

「びっくりするぐらいいないわ……」
「わかるのかよお前ら」
「取材する時にさ、俺ら一応聞くんだよ。平民か貴族か。名前は伏せるからって」
「そん時にいい家柄とかだとか、どっかの家に仕えてるとか、騎士の家とか。みんな自慢したいから話してくれるんだ」
「仕える事は名誉でもあるからな。良い家であればあるほど信頼も厚く誇りたくもなるだろう」
「信頼が全ての仕事だからね。名前を言わなくていいなら目立たないし尚更話したくなると思うよ」
「この大学にはアルバイトで貴族に仕える生徒も少なくはない。ここ最近のホウセンカの功績を見れば1人くらい居ても良いはずだが……」
「それが居ないんだ。皆会社員とか、自営業とか農家とかめちゃくちゃ普通の生徒なんだよ。なんだこれなんで気づかなかったんだ?」

 資料をひっくり返して漁る様をキリヤナギはお茶を飲みながら静観していた。アレックスが無表情を貫く仲、ヴァルサスも困惑している。

「どう言う事なんだ?」
「僕もわかんないかな?」
「じゃあなんで聞いたんだよ」
「うーん……相手選んでるのかなって、でもまだそう言い切れないし?」

 しれっと話された言葉にヴァルサスが顔を真っ青にする。あまりに想定外の反応に、キリヤナギもギョッとしていた。

「せ、選民主義……?」
「そんなことは、無いと思うけど……」
「ホウセンカやばくね? 良いやつかと思ったら……」
「こえぇー……」
「ないって!」
 
 キリヤナギの否定に、皆はほっと肩を撫で下ろしていた。しかし、たまたまにしてはあり得ない確率で「何か」があるように思えてくる。

「助けられた人に会いに行けるかな?」
「お、いいぜ。ノリノリで取材受けてくれた生徒紹介するわ」
「めちゃくちゃ面白そうだし、王子、これ記事にして良い?」
「いいけど、生徒会に干されない?」
「こう濁す感じでやるからさ!」

 キリヤナギは少し考え、自身が気づいた事は伏せる事を条件に一応は許可を出した。
 渡された生徒のリストは、専攻している学科と生徒名が記載されていて、丁寧に大学のどの棟へ行けば良いかも書かれている。

「ありがとう」
「おう、知りたい事あれば何でも言ってくれ、王子は俺らの恩人だしな」

 恩人と言われる事にキリヤナギは悪い気はしなかった。
 新聞部を後にした三人は、渡された生徒のリストを手に屋内テラスへと戻ってくる。

「つーか、あの記事。あいつらが取材したとかじゃなくて持ち込まれてたんだな」
「ここまでは想定の範囲だが、ルーカスは認知しているのだろうか?」
「それはダリア先輩に聞いてみないとだけど、記事には違和感あったよね。聞いた話なら納得したかな」

 写真もごくわずかで、ホウセンカの記事は殆どがインタビューだったからだ。それは新聞部が生徒会から聞いた情報を仕入れ、助けられた生徒へ取材をしていたからにある。

「ニュースを工作されている可能性はあるが、まだ断定するには早い」
「多分本物もあると思う。だからどうしようかな」
「つーか、ルーカスと無関係なんだろ? そんなん立証してどうすんだよ……」
「ふふ、貴族的好奇心?」
「なんだそれ?」
「完璧な貴族ほど裏は黒いことが多い、暴けば弱みを握れるからな。面白いじゃないか」

 キリヤナギもアレックスも何故かとても楽しそうにしていて、ヴァルサスは何も言えなくなってしまった。
 しかし、平民の味方としてのイメージが根強いホウセンカが、ここに来て平民を利用しようとしている可能性が浮上し不安がよぎる。

「お前らさ、本当のところホウセンカをどうするつもりなんだよ……」
「貴様に分かるように言うなら、出る杭は打たれる。我ら貴族は、本能的に打ちたくなるものなのさ」
「ただの足の引っ張り合いじゃねーか!」
「そうだぞ?」

 キリヤナギが何故かツボに入り、吹き出しえ笑っていた。アレックスがこれを言うのは、皮肉と自虐と冗談の全てが混ざっていて傑作だからだ。
 ヴァルサスは何が面白いのかすらわからないまま、三人は放課後を迎える。

 生徒達が帰ってゆく時間に違う学科の棟へ訪れた三人は、出入り口にてリストにある女性を見つけて声をかけにゆく。
 イツキ・ホウセンカに助けられたと言う生徒は、この大学にある植物サークルの温室立ち寄った際、不良生徒へ言いがかりをつけられていた所を彼に助けられたと話した。

「金銭を要求されて、どうしようと困ってたらホウセンカ様が来て助けてくださいました」
「温室?」
「この大学の温室、すごく綺麗だって聞いたんですが、まさかツリフネ組のアジトだったなんて知らなかったんです。私、貴族には関わらないと決めていたので、もう行きません」
「へぇー……」
「本当に綺麗なのか?」
「パンフレットにも載ってるぐらいで……」

 三人は話を聞いた後、玄関に置かれているパンフレットを見に行った。大学の温室は、色とりどりの花がまるで絵に描いたようにも咲き誇り、理事長と共に写っている。
 サクラの名前を冠する大学にはかなり絵になっており興味を持つのも理解できた。

「今度行ってみよ」
「ツリフネのアジトって言ってんじゃねーか、話聞け!」
「温室はいいが。二人目にいかないのか?」

 アレックスに促されるように、三人は二人目の生徒の元へと向かう。
 同期らしき生徒達へ聞いて周りようやく見つけた彼は、大学の裏手で読書をしていた所、突然ツリフネの一味に絡まれたらしい。

「お気に入りの場所だったんです。でも突然奴らが来て、危うく本がぼろぼろにされる所でした」
「大学の裏?」
「校舎の裏にちょっとした草地があるんです、読書中は人に見られるのが苦手で……人が来ない場所を選んでました」
「なんでわざわざそんな場所まで構いに入ったんだろ」
「不良に理由なんてないだろ.…」
「ホウセンカさんは、汚れた本を治せるようカンパもしてくれたんです。もう頭が上がりません」
「よかった。その後は何かなかった?」
「ないです。私、ホウセンカさんに助けられる前は貴族なんて碌な人はいないと思っていましたが、権力を持ってても助けてくれる人がいるって分かって感動しました。キリヤナギ王子! あの人は貴方に憧れているらしいです。貴方の後継になりたいけど、まだ認めてもらってないとか……私からもお願いします。ホウセンカさんを認めてくださいませんか!」
「へ? いや、まぁ、考えとく、よ?」

 彼はホウセンカの熱狂的な支持者になっており、彼の功績や評判を30分も話し続けていた。
 想定外に時間を要したが、三人は続けて生徒達へと会いにゆく。
 最後の一つの大きなサークルでもあり、中からは様々な掛け声が響いてきていた。

「あら、王子殿下ではないですか」
「こんにちは、ここが演劇部?」
「えぇ、ようこそ。でもごめんなさい。今日はもう見学は終わりで……」
「その……ホウセンカ君に助けられた話を聞きたくて」
「ホウセンカ様のことですか?」

 演劇部はとても賑やかで、発声練習やダンス、台詞合わせなどが行われている。その真面目な様に感心するが、貴族がいる気配がなく不思議に思えた。

「衣装盗まれたって新聞で見たのだけど……」
「はい。つい先日、新入部員の為に去年の舞台を再現しようとしたのですが、使用する筈の衣装がなくなっていることに気づいたのです」
「災難だな。手間がかかった物なのでは?」
「えぇ、犯人の目処はついていたのですが、相手は貴族様で手出しもできずにいた所をホウセンカ様が間に入って衣装を取り返してくださいました」
「犯人がわかっていた?」
「はい。このサークルは平民生徒向けの演劇部なのですが、もう一つ、貴族様の率いる演劇サークルもありまして、衣装制作を同じ手芸部へお願いしていたことからトラブルが絶えず……」
「複雑じゃん、衣装が同じになったりもするんじゃね?」
「そうなのです。今回の件も成り行きは想像がついたのですが、貴族演劇サークルのアカネ様はプライドが高く、思想も強めのお方なので話が噛み合わず難儀しておりました」
「へぇ、すごいね」
「ホウセンカ様は、貴族の後ろ盾のない私達の味方です。生徒会も今揺れてはいるようですが、あの方ならきっと犯人を見つけてくださるでしょう」

 部長との会話の後、三人はサークル部員の彼らからも演劇部が二つに分かれた理由も密かに話してくれた。
 元々は一つであり、貴族も平民も関係なく運営されていたが、間を取り持っていた部長の卒業をきっかけに部は真っ二つに割れてしまったと言う。
 その際に、平民側サークルは使用していた衣装の殆どを貴族サークルへ取られたが、貴族サークルは元々は自分達のものだと言い、残った衣装を時々取り返しにくると言うことだった。

 一度屋内テラスへ戻った三人は、キリヤナギの迎えがくるまで状況を整理する。

「平民生徒側のサークルは恐怖に怯える立場だな」
「定期的に衣装奪いにくんの? こえぇ……」
「部員の人の話はちょっと違ったけど……」
「時系列を考えるなら繰り返されているのだろうな。ふむ、どれも興味深い」
「興味深い??」
「三組とも、貴族に失望している生徒達だからだ。貴族と関わりたくない、触りたくないと言う立場の生徒へトラブルが起こっている」
「ぐ、偶然じゃね?」
「失望している人々からすれば、ホウセンカの行いは救世主にも映るだろうからな。乗せやすい。王子はどう思う?」
「貴族って怖がられてるんだなって……」
「そこ? つーか凹んでんの……?」
 
 『関わりたくない』、『碌な人がいない』と言われ、キリヤナギは少し傷ついていた。だが、自身を鑑みると確かに何をするかわからないとよく言われ、大半の貴族は言葉にあやをつけて騙そうとしてくる為に何も否定ができない。

「生徒を舐めるなと言っただろう?」
「先輩はなんで割り切れてるの、本当すごい……」
「面と向かって言われるのは『信頼』とも言える。受け入れてこその貴族では?」

 アレックスは正しい。
 平民達は、ただ貴族が貴族だからという理由で支持をしている訳ではない。その人物を見極め、どのような思想を持っているか見定めて支持をしている。
 キリヤナギへ話してくれたのも、去年の功績があり、平民の話を聞ける貴族だと認識されているからだ。

「ホウセンカ君は、貴族を嫌う層に支持されたのかな?」
「いや卿の票は、大半が組織票だ」
「組織票?」
「卿もかつての私のように、中規模程度の派閥を持っている。今期は会計になる為に派閥内の生徒へ指示したのだろう」
「ずりぃ……」
「そう言うものだ。しかし今回は公爵家の殆どが選挙に出なかったのが大きい。王子もクランリリー嬢も会長枠で派閥が分かれ、ククリール嬢も出ていなかった。これは逆にいうなら、信頼できる貴族がホウセンカ卿ぐらいしかいなかったんだ。無理もない」
「まぁ、そうだわ。俺も入れたし」
「え? ヴァルはライエン・コガネさんじゃなかったんだ?」
「迷ったんだよ。でもソイツ、あまりにもイケイケすぎてさ。同じ騎士貴族だけど、生徒会の予算をコンパに回すってドン引きじゃん」
「生徒のみんなの親睦を深めるって……」
「俺はあー言うのは嫌いなんだよ」

 ホウセンカの対抗馬として出馬していたライエン・コガネは、兄が宮廷騎士で貴族と平民の間に入り親睦会などを一定頻度で開催する事を公約に掲げていた。
 キリヤナギは中道で、会長になり得たならやりやすそうに思えて票を投じていたが、結果は惨敗だった。

「なんかやだったから、ホウセンカに入れたけど大後悔……」
「票を入れる人物ぐらい調べろ」
「めんどくせー」

 ヴァルサスは論外だが、ホウセンカ家も権力を持ち信頼できる貴族であることは間違いない。彼は家が太く、貴族らしい立ち回りをすることは皆予想できたからだ。

 考えていたら視線を感じ、グランジが迎えに来ていることに気付いた。彼は生徒の二人へ礼をしながら屋内テラスへ現れる。

「グランジ、ありがとう」
「お疲れ様です。グランジさん」
「私も帰るか……」
「そいや、最近シズルさん見ないな」
「シズルは、多分異能研修じゃないかな?」
「異能研修?」
「騎士は、2年目から異能を貸与される。公爵の元へ赴き、プロの元で数ヶ月間訓練を行うんだ」
「へぇー厳しいのか?」
「他の領地は知らないが、マグノリア領では【読心】を貸与する為、精神面での研修を数ヶ月かけて行う。他の異能とは違い、適性によっては生命に関わるからな、半端な状態では返せん」
「【読心】が命に関わる?」
「人の心って人が思う以上に綺麗でもないからね。精神的に完成されてないと病んじゃう人もいるみたいで」
「又貸しまでは関与できないが、適正がなければ貸与は許可されない。殆どの騎士は一度貸与されただけでも押し寄せる心の声が処理できずに音を上げる」
「ジンは、大丈夫そうだったけど……」
「タチバナが使ったのか? 適正はありそうだ」
「シズルさんはどの異能にするって?」
「そこまでは聞いてないかな? 【未来視】か、【認識阻害】で迷ってだけど……そもそもいつ帰ってくるのかグランジは知ってる?」

 突然話を振られ、グランジは首を傾げて居た。そして何かを思いついたかのようにデバイスを取り出す。

「そろそろ」

 まだ帰っていないのは確からしい。
 異能研修は、【プロ】の育成の為、必要水準を満たすまでは首都には戻れず、3か月以上かかると不適正として強制送還される。
 次回の研修までは、再び無能力、かつ又貸りのみが許され、次年度にも貸与を望むならもう一度研修へ参加できる。

「無能力の希望もできる?」
「うん。固定されるのを嫌って又貸しだけでやる人もいるよ。返却の申請も面倒とかで」
「だが又貸しの能力者にまともな実力を持つものを見た事が無い。人はやはり特化した方が強いな」
「こういうのは趣向の違いだから……」
「全部使えるってロマンあるなぁ……」
「又貸しは『同じ異能の騎士が一人増えるだけ』だぞ」

 アレックスの正論にヴァルサスは不貞腐れて居た。
 キリヤナギもロマン派だが、『王の力』は、一つのチームへバリエーションに富む事で真価を発揮する為に、同じ異能が一人増えることは大した戦力の強化にはならないからだ。

「騎士団といえば、カレンデュラは大丈夫かな? 今ゴタゴタしてるって」
「他領地の事までは流石に分からない。本人に聞いたらどうだ?」
「姫、最近全然こねぇもんなー。まぁ授業ねぇけどさ」

 ヴァルサス、アレックス、キリヤナギの三人はサークル活動もあって定期的に集まるが、ククリールは授業のない日は研究室へ通っているらしくなかなか出会えなくなっている。

「まだ所属してないよね。何をしてるんだろ」
「研究生向けのゼミへ参加しているのだと思う。卒業論文のテーマを探しの一環だな」
「もう卒論のこと考えてんの!?」
「珍しくないぞ。特に歴史はページ数と文字数が一定以上にならなければ認められない。3回生の初めからテーマを考えるのなら余裕がもてる」

 話を聞いて居たらグランジがじっと見ている。「早く帰ろう」と言うような目線に、キリヤナギは困惑していた。

「……今日なんか用事あったっけ?」
「明日の撮影……」

 忘れていたスケジュールを、キリヤナギは思い出した。カレンデュラ領の広報大使となり、夏のレジャー広告用素材の撮影依頼が来て居たのだ。

「ごめん、二人とも今日は帰る」
「王子様は忙しいねぇ……」
「公務は立派な仕事だぞ、揶揄うな」

 揶揄われるぐらいの方が、大学では気楽にも感じる。宮殿での仕事は、曖昧なことは許されず失敗すれば延期か中止になるからだ。
 言葉に曖昧さがあれば伝わらず、意思がないと判断されれば勝手に父や母が決める。
 「もう全てそれでいい」と諦めた時期はあったが、今はできることはやりたいと思えていた。

*204

 早朝、ジンは宮殿の中庭にいた。
 王宮の敷地内へ乗り入れたトラックから資材が運び出され、組み立てられてゆく様子は、騎士大会・個人戦の開催前の雰囲気にも似ていて記憶に新しい。が、今日は手伝いがいらず、作業しているのは外部から発注された作業員で、ジンは遠目でそれを眺めるだけだった。

 手元にある資料を見ると去年の騎士大会・集団戦の前夜祭の賞品となったキリヤナギのカレンデュラ領の広報大使の就任によって、王宮でも広報として撮影を行う事が書かれている。
 
 様々な花が植えられて居た花壇は、いつの間にかカレンデュラの花で埋め尽くされ、背景に飾る夏の花も大量に飾られてゆく。
 ジンは、一人一人の作業員を観察しながら、ドラマなどの撮影現場はこうなのだと新鮮さを感じて居た。

「ジン、兄さんっ!」
「リュウド君!?」
 
 後ろから突然背中を叩かれ、現れたのはリュウドだ。生き生きとした彼は胸に個人戦の優勝勲章をつけている。

「似合ってんじゃん」
「へへ、嬉しくってさ。他のみんなもいる?」
「いるいる。セシル隊長とセスナ副隊長は殿下とくるって」

 キリヤナギはまだ来て居ないが、親衛隊のグランジ、ラグドール、ヒナギクもきている。
 他にもミレット隊、タチバナ隊の衛兵も囲って居るが、彼らは作業員へ丁寧に対応し和やかな空気が流れて居た。

「俺こう言う撮影現場みたいなの初めてでさ、あのカメラどこのメーカーだろ。大きいよね」
「興味あるんだ?」
「プロが使う機械って気にならない? 同じメーカー見つけたら本気度がわかるしさ」
「確かに……」

 ブランドで見るのは確かに基準としてわかりやすい。ジンは銃ぐらいしかまともに見ないが、衣服も統一すればある程度はまとまるからだ。

「今日は嫌な感じしないし、平和に終わりそうだね」
「そう?」
「去年の誕生祭の時とかゾワゾワしたしさぁ、ジン兄さんはそう言うのない?」

 リュウドの言う通りで、今日はどこを見ても違和感はない。警備が厳重なのもあるが言語化できない安心感がある。

「ある? わかんね」
「わかんないのは、何もないって事だって」

 言われると違和感がないことが違和感に思えてくる。しかし、この現場に時々感じる『勘』は働かず、普段とは違う空気感に好奇心をくすぐられているのが答えなのだろう。
 リュウドと二人で少しずつ組み立てられてゆくセットを眺めていると、ストレリチア隊の騎士が手を貸しているのが見えた。

「俺も手伝った方がいいかな?」
「親衛隊は殿下くるまで監視警備じゃなかったっけ?」

 ストレリチア隊は、このような設営は毎回手伝っていて自然と協力が必要にも思えてくる。
 ジンはまだ隊へ所属するのは初めてで、どう馴染めばいいかも手探りだからだ。

「そんなに手伝いたいなら、ベルガモット副隊長に聞いてみたら?」
「別にやりたいって訳でもないと言うか……」
「はは、確かに大変そうなら手伝いたいとは思うけど作業してる人は手慣れてるし、平気だと思うよ」

 リュウドの言う通りで作業員達の仕事が早く、もう数時間もかからずセットは完成しそうでもあった。
 ストレリチア隊が準備しているのは、資材運びや貴族向けのガーデンチェアや沢山のお菓子が並ぶ休憩コーナーで、さらに数台のガスコンロでお湯を沸かす飲料スペースも作られている。
 ガーデンチェアにはパラソルもあり、キリヤナギが座るのだろうと遠目で見てわかった。

「テーブル広い?」
「二人がけみたいだよね。誰だろ」

 話していると宮殿の方から、日傘を刺すショートドレスの女性が姿を見せた。
 撮影までまだかなり時間がある中現れたのは、黒髪を美しく揺らすククリール・カレンデュラ。
 いつも一人で見かけて居た彼女は、今日は数人の使用人を引き連れ、現場を静観している。

「タチバナじゃん」
「んげ……」
「フュリクス!」

 ククリールへ見惚れて居たら、突然目の前にフュリクスが現れ、ジンはリュウドとみじろいでいた。
 ククリールがつれる使用人の中にはカミュもいて、二人で楽しそうに話している。

「フュリクス君がなんで?」
「お嬢様の警備してて悪い?」
「カレンデュラに帰ったと思ってた……」
「首都面白そうだし、姉さんと残ったんだ。ライガ叔父さんもいるし!」
「俺、その叔父さんのジム行ったぜ?」
「ほんと? ライガ叔父さんに言っとく」
「フュリクスって、そんなにジン兄さんと仲良いんだ」
「良くないよ?」
「普通?」

 リュウドは首を傾げていた。そんな彼の反応を気にもせず、フュリクスは騎士服のポケットからゲーム機を取り出す。

「タチバナ、暇なら素材集め手伝ってよ」
「は? 俺仕事中……」
「素材集めって、今CMしてるハンターのゲーム?」
「そう。タチバナが面白いって言うから買ったんだ。ローズの方はやってる?」
「俺はそんなやんないかなぁ。でも前の端末の時は少しやったぜ?」
「と言うか今は無理だって、本体部屋だし」
「昨日の昼は付き合ってくれたじゃん!」
「昨日は非番だったんだって!」
「仲良いなぁ」
 
 大流行している架空の怪獣を倒すゲームは、最大で四人まで遊べて、グランジとヴァルサス、フュリクスの四人で時々遊んでいた。
 人数が多ければ多いほど効率が良いため、一番時間のあるフュリクスが、暇を見つけてはすぐに声をかけにくる。

「フューリ! 騎士さんの邪魔しないの!」
「姉さんも警備適当じゃん!!」
「私はちゃんとしてますぅー!」

 カミュはククリールと一緒にもてなされ、何故かガーデンチェアに座っていた。
 和気藹々と騒いでいる騎士達を静観していたククリールは、手元の資料を確認しながら口を開く。

「騎士の方々は、真面目にお仕事をされているようですね」
「僕真面目だよ! お嬢様!」

 リュウドとジンはぎょっとし姿勢を正して仕事へと戻る。
 騎士にとって貴族の皮肉ほど、耳に入れたく無いものはないからだ。
 確認を終え、こちらに背を向けるククリールは、フュリクスと共に宮殿内へと帰ってゆく。

 彼女はおそらく現場の様子を見に来ただけなのだろう。ジンはほっと息をつきもう一度現場を俯瞰した。

「さっきのゲーム、俺も復帰しようかなぁ……」
「え??」
「買ったら連絡するね」

 こう言う時、どう言う対応をすれば良いかジンはまだよく分からない。
 でもこれがきっかけで、彼も楽しみが増えるなら悪いことではないと思えた。

「わかった……」

 リュウドはニカっと笑い嬉しそうにしていた。
 
 時間がかけられ完璧に準備されたセットは、その日主役となるキリヤナギとククリールを迎え、撮影が始められてゆく。

 用意された台本のセリフを話したり、ククリールと並んで歩いたりする彼らは、まるでドラマの撮影現場のような雰囲気に包まれていた。
 ジンはカメラへ映らないギリギリの位置でグランジと両側から静観していたが、一度休憩がとられたタイミングでカメラの脇にいた助手らしき女性に声をかけらる。

「あの……殿下の護衛騎士様ですよね?」
「はい。何か?」
「少し映像を見て頂きたいのですが」

 しどろもどろしている彼女に、ジンは一度キリヤナギの方を見る。彼はガーデンチェアでククリールと談笑し横にグランジがついていた。

「少しでしたら」
「ありがとうございます。こちらの映像なのですが、この映像の殿下は騎士様からみて自然でしょうか?」

 カメラの再生映像を見ると、完璧な画角の中へ動くキリヤナギとククリールがいた。
 カレンデュラの花畑へ王子がククリールを迎えにゆくように撮られた映像は、広報とは言えど二人の全てが表現されている。

「いいと思います」
「え、その、殿下の雰囲気を伺いたかったのですが」
「雰囲気ですか? えっと……自然だと思います」
「よかった。ありがとうございます。あまりにも完璧なので、演技されているのかなって、私達としては普段とは違う王子殿下を撮りたかったので」

 普段メディアの前に出る王子と違うイメージを撮りたいのは分かる。キリヤナギを撮影する場合、普段と同じであれば視聴者へ同じものを見せているに過ぎないからだ。
 ここで求められるのは、おそらく王子のリアルな人間らしい一面だろう。が、撮られた映像でみたキリヤナギは、『そのニーズに合致した完璧なキリヤナギ』であり、言葉を間違えてしまう。

 キリヤナギは生まれてからこれまで、大衆から『完璧』である事を求められ、それに答えて生きてきた。
 あるべき王子の像を探し求め、時には空回りし、失敗し、それでも努力を重ねてきた彼は、その数々の試練を乗り越え、国民へ『理想』を見せることを実現させている。
 よって今ここで、ジンが彼の像を否定する事は、キリヤナギの積み上げてきた努力を否定する事になる。

「私の印象と相違はありませんでした」
「助かります。ではもうこれで撮影は終了になるでしょう。ご協力ありがとうございました」
 
 ジンの言葉に嘘はなかった。
 作られる映像に足元の暗闇は不要であり、彼が強く、凛々しく、人々の理想である事を伝えるものであれば良い。
 そこに至るまでの人らしい経験は、彼を囲う人々だけの大切な宝物だからだ。

「疲れた……」
「かっこよかったですよ」
「こういう撮影、初めてだから恥ずかしかった……」

 ソファに足を投げ出して寛ぐキリヤナギは、まだ少し照れくさそうにしている。テーブルの上には、今回撮影された写真の資料も広げられ、ククリールとのツーショットも沢山撮られていた。

「役者向いてるんじゃないです?」
「無理、疲れる……」
「ジン、殿下は『作る』のは上手いけど長時間は持たないから」

 お茶を入れられても、キリヤナギはぐったりしていて動かない。

「役者って、カメラの前だけじゃ?」
「そうじゃなくて、全員に『作る』んだよ」
「やめてよ、セオ。僕が騙してるみたいじゃん……」
「私としては、褒め言葉なのですが……」

 カメラの前だけでだけではなくスタッフなど、全ての人へ「作る」なら確かに疲れる。
 しかしそれならば、宮殿外の人々だけでなく大学の友人やセオやジン、グランジにまで『作っている』事になる。

「なら『作ってない』時っていつなんです?」
「えぇー……うーん。わからない……。お酒飲んだらたまに出かける……けど、貴族的に本音はだいたいNGワードだしね」
「大丈夫なんすかそれ……」
「僕の中では、楽な態度と疲れる態度があるから、セオとかの前だと楽な自分でいる」
「そういう、もんなんです……?」
「言いたい事は全部言うのは違うし、好き勝手やるのも違うからさ、そう言うもんじゃないの?」
「それは、確かに……じゃあ疲れるのはどう言う態度?」
「ファン相手かなぁ。僕に固定イメージ持ってる人には隙を見せれないから、今日みたいになる」
「完璧でしたよ」
「頑張った」

 セオが褒めているのも珍しい。
 ジンからみても『完璧』で、王子というイメージの全てを踏襲し、さらにキリヤナギと言う個人の概念を付与した、ここにしか存在しないキリヤナギがいた。
 メディアとして目を通すなら、普段とは違う王子も垣間見え、まさに「撮影チームのニーズへ答えた」のだ。

「ククとのイメージ戻れば良いなぁ」
「以前の夜遊びスキャンダルで、大学に通って不良化したのではと心配されていましたから、ここで一途だとわかればイメージが回復するでしょう」
「ふ、不良化って?」
「ククリール嬢との関係を周りが否定する所為で、本人は城下を遊び歩いてるとか、好き勝手書かれてますよ」
「週刊誌ってそう言うストーリー大好きだけど、正直何が悪いのかわからない……」
「世代によっては、子供はずっと子供ですから、親世代の議員様方に圧力をかけたいのでは?」
「本当、余計なお世話……」
「本音出ておられますよ」

 オウカ国の議会に集まる議員達は、年齢的にはシダレ王と同世代が多い。また彼らは、王と談笑をする機会もあり、報じられた王家のスキャンダルの事を話すことも珍しくはなく、王子に何があればそこで伝わり、必要であれば叱られもする。
 週刊誌は、いい意味で見れば普段見れない王子を報道しているとも言えるが、「20代の学生が夜に遊びに出る」と言う平民であればごくごく当たり前に行われている事を、わざわざ悪い事のように書くのは悪意を感じて理解がし難い。

 だが、これらの週刊誌は基本的に王宮周りの話題を好み、特に王家絡みの事へ飛びつく傾向があるため、以前のツバキ家の不祥事を完全無意味な王子の夜遊びスキャンダルに塗り潰すことに成功した。
 これは、週刊誌側がツバキ家を信頼できないとこき下ろした記事を書いたにも関わらず、彼らが完全無実であることか証明された為、王子の方が重要で問題があると書く事で「ツバキの不祥事はなかった」事にさせた為でもある。

「撮影っていうから写真だけかと思ってましたけど、CMもあるんすね」
「メディア側が、どうせ流すなら映像でやりたいと打診してきたんだよ」
「僕は恥ずかしいから断ろうかなって思ったけど、クリストファーさんが広告費折半するから是非やってくれって、……よくわかんないけど広告費がめちゃくちゃ安かったらしくて……」
「王子流行ってるのでは? 題材のドラマや週刊誌、誕生祭など、ここ最近は話題が尽きないので、殿下が出るだけでも視聴率はとれますからね」
「週刊誌も4週連続で特集されてたすね」
「ね、熱心……」

 ジンは、以前キリヤナギに見せられた週刊誌記事から興味が湧き、見出しに王子がついているものは毎回買っていた。
 事実を知った上で見る記事は、繋がらない情報を無理矢理繋げ、全く新しいストーリーが作り上げられ、何も知らなければあたかも本当のように思えるエンタメ性がある。

「セオもジンもそう言うの読むんだ……」
「私は、ジンが収集してるのを読んだだけですよ」
「えぇ……」
「気になったんで……」

 グランジはこの手の話題へ微塵も興味はない。が、代わりに週刊誌のグルメコラムだけを切り取ってファイリングしていた。

 そうやって密度の高い休日は終わり、キリヤナギは再び大学へと登校する。

 月曜日にキリヤナギが履修している授業は二限からだが、一限の時間に三人は合流し、ある場所を目指す。

「新聞部にあれだけ釘刺されてんのにさ……」
「逆に考えろ。これは王子でしか不可能だぞ、ヴァルサス」
「アレックスはそうかもしれねぇけど!」
「ヴァルは怖い?」
「怖くねぇよ。ただ、得体がしれねぇじゃん」

 初夏の日差しは本格的に夏を連想させるが、早朝はまだ涼しく過ごしやすい。
 キリヤナギの後に続く二人は、少し緊張した面持ちで目的の場所を目指していた。

「率直に聞けるか?」
「聞こうと思ってるけど、そもそも話してくれるかわからないから、悩んでるかな。貴族だし、先輩はどうだった?」
「奴は、私から願い下げでもあった。触りようもない」
 
 公爵家と言うヒエラルキー上位の貴族でさえ手出しのできなかった彼らと、キリヤナギは相対しようとしている。

 大学の敷地の隅にある透明な建物は、建物の影に隠れ普段は良く見えないが、意識して向かうと中庭の先にあり、見つけるのは容易だった。
 たくさんの花壇の先にあるそこは、整えられた芝生と木々に溢れ、入り口には植物のアーチで飾られている。
 中は色とりどりの花が咲き誇り、管理のためのホースや、トタン屋根付きの棚に花の苗木らしきものからスコップまで置かれていた。
 一つ一つの花には立札がつけられ、雑草一つ生えていない。

「めちゃくちゃメルヘン……」
「すっご……」
「これは素晴らしいな」

 花壇と床は分離され、人の歩く場所と花の位置は決まり、傷つけないようにされている。そして目を見張るのは温室の広さだ。
 庭園の先の透明な尖った建物は、大学の棟ほどまでにはないにしても、建物と言っていい程、十分な大きさがある。

 その温室の引き戸へ触れる前に、キリヤナギは一度後ろのヴァルサスを見た。

「き、気にすんな。もう腹括ったし」
「ありがとう。話すだけだしね、無理なら諦めるよ」

 できるなら対話がしたい。この大学の悪を牛耳る彼がどんな人物なのか、キリヤナギは興味があった。
 ツバメ・ツリフネ。
 彼の拠点と言われる温室へ、キリヤナギは堂々と足を踏み入れてゆく。

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