春が終わりを迎えつつある頃、澄み渡る青い空は、新しい季節の到来を示しているようにも見えた。
桜花国の首都クランリリー領は、週の初めに開催された王子誕生祭を終え、人々は祭典の後の片付けへと勤しみ日常へと戻ってゆく。この国に存在するたった1人の王子も、祝日明けのその日から大学へと登校し生徒達の中へ溶け込んでいた。
深夜までの夜会明けで寝不足のキリヤナギは、近衛騎士のグランジと別れた後から一気に眠気がきて足元がおぼつかない。気力よりも眠気が勝ち、仮眠をとりにテラスへ行くことも考えていると、大学の掲示板に張り出されている「それ」にキリヤナギは一気に目が冴えた。
「選挙結果」とかかれたその告知は、3位にミルトニア、2位にキリヤナギがのり、一位は大きくルーカス・ダリアと書かれていたからだ。
*
「悔しいーー!!」
屋内テラスの机を殴り、突っ伏して声を上げる王子に、ヴァルサスとアレックスが驚く。ククリールは普段通りだが、彼のこの反応は三人が初めて見るものだった。
時期は春学期が半ばを迎え、ものの数週間でテスト期間にはいる頃合いに、ヴァルサス・アゼリア、アレックス・マグノリア、ククリール・カレンデュラ、そしてキリヤナギ・オウカは、いつも通り屋内テラスにて顔を合わせる。
二回生の時には、制服のように同じ服ばかりを着ていたキリヤナギだが三回生になり、より学生として馴染むようカジュアルジャケットにスラックスを合わせていた。
「めちゃくちゃ悔しがってるし……」
「負けたぁぁ! ダリア先輩に負けたぁー!」
「泣いてんじゃん……」
「内訳でみるとしょうがない。中道として、ある程度集まるはずだった貴族達の票がミルトニアに流れた。一般平民から圧倒的に支持のあるルーカスこそ望まれたんだろうな」
アレックスの手にある選挙公報をみると具体的な数値が示され、貴族や平民の詳細な内訳も記載されていた。
有権者となる2回生から4回生は、およそ7割が平民生徒であり、その内の6割がルーカスへ投票し、残りの平民生徒の票がキリヤナギへ、貴族票の殆どがミルトニアへ取られていた。
「クランリリーの票を足したら勝ててたな、これ」
「僕、去年頑張ったのにぃ……」
「平民向けの施策ではあったが、彼らが貴族の統治を嫌ったのもあるだろう。立場を奪われたくない貴族達がクランリリー嬢へ入れたんだな」
「ディストピアをやりたい奴らがいたってことか?!」
「支配する側になるのだから、当然だと思う」
腕に顔を埋めるキリヤナギは、見たこともない程に悔しがっている。そんな珍しく感情的な王子をククリールは珍しそうに眺めていた。
「貴方も悔しいと思う事があるのね」
「……クク」
「まぁ、平民の皆様にとって私達は必要ないと言う事なのでしょう」
「貴族って、平民にはなかなか信頼されねぇしなぁ、『悪い奴』も多いし」
「『悪い奴』の定義にもよるがな」
この4人は皆貴族だ。ヴァルサスは平民の括りだが、家族に騎士がいる騎士貴族でもある。
「平民達が自分でルール作るなら、我々は静観すべきだろう」
「僕、平民の皆は守るべき人達だと思ってた。彼らが安心して安全に暮らせる場所を作るのが貴族の義務だって」
「ノブレス・オブリージュ。それは当たり前の事だ。平民は我々にとっての財産、または宝と言える」
「彼らが、僕ら貴族を否定するなら僕は何をすれば……」
「平民が貴族を倒したなら、それはヒエラルキーの崩壊。つまり我々も平民となる」
「僕も平民……?」
「ルーカスは学生達のリーダーとなった。ならそれに従うまでだろう。それとも、今を是とせず反乱を起こすか?」
ヴァルサスはギョッとするが、アレックスは楽しそうにしていた。その気になれば、手を貸すという態度だからだ。
「面白そう」
「はーー?!」
「でも、少し見てみたいかな……ダリア先輩の政治」
「なら今ではないな」
「貴方、意外と支配欲強いのね」
「みんなはそう言うのない?」
「ねーよ!!」
「あるな」
「ありますね」
ヴァルサスが絶句している。
貴族にとって支配力や影響力は、その貴族の力の強さに直結する。つまりこれを求めない貴族は、土地の広さや平民達に興味がなく「向いていない」と言ってもいい。
「支配したいって、その辺の貴族と変わらねぇじゃん!」」
「僕貴族だけど……」
「王子はかなり色の強い貴族だぞ? 私は庶民派だな」
「うっそつけ!!」
「アゼリアさんは、いい加減私達に思想を押し付けるのやめてくださる?」
貴族にとって仕える人の数はその権力の大きさを示している。
キリヤナギは、王子でありながら『学生』と言う一つの括りに収まり0から足場を築けることへ期待していたが、選挙に敗れた事でその理想が挫かれ、ひどく悔しかったのだ。
「彼らに、僕の助けはいらないのかな?」
「そう言う事だろう。欲しいなら状況次第でかすめ取ればいい」
「へぇー、良いんだそれ」
「マジで言ってんのか? 選挙で決まっただろ??」
「ヴァルの考えてる方法ではやらないよ。メリットがないからね」
「はぁ? 姫、王子止めてくれよ……」
「正直私も、ルーカスの治世は不安で仕方ないのですが……」
キリヤナギはすでに機嫌がもどり、イヤホンをつけて読書をしている。まるで悪役のような会話にヴァルサスは戸惑いを隠せなかった。キリヤナギのこの態度は、ヴァルサスからすれば考えられない事でもある。
「お前ら、本当に平民の味方なのか?」
「それは当たり前だ。お前達を悪くするつもりはない。むしろ、『どうなるか分からない人々を救済したい』ぐらいだ」
「救済? 何言ってんだ?」
「アレックスは本当に律儀ですね……」
「私は庶民派だからな」
「いい奴か悪い奴か判断つかねぇ……」
「正義も悪も紙一重。当人の思想も受け取り手次第と言うことだ。王子もルーカスの動き次第ではおそらく何もしない」
「本当かよ……」
キリヤナギは、売店で買ったらしい菓子パンを頬張り、話を聞いている様子はない。ここ最近の彼らの会話は、ヴァルサスにはうまく理解ができず僅かに疎外感すらも感じてしまう。が、ヴァルサスはそんな邪念を振り払った。
キリヤナギの横に豪快に座った彼は、訝しげにキリヤナギを睨む。
「ヴァル?」
「変な事しないか、俺が平民の目線で見張る。ちょっとでも悪いと思ったら止めるからな」
「ありがと、でも僕はまだツバサ兄さんやマグノリア先輩みたいに割り切れないから、貴族としては半人前だよ」
「ハイドランジア卿は、私から見れば『甘く極端』にも思えた。物事はバランスだと私は考えている」
「なんで先輩が会長じゃないの?」
「誰のせいだ!」
ククリールが思わず吹き出して笑っていた。ヴァルサスも思わず突っ込んで、緊張した空気が解ける。
和やかな屋内テラスは、いつの間にか暗くなり青い空は灰の雲に覆われていた。
梅雨が近いことから雨も降りだし、4人はククリールと別れてサークル活動へと向かう。
*
一方で、会長となったルーカス・ダリアは、今季初となる生徒会会議へと参加していた。
当選した新たな役員達は、殆どが平民生徒であり、貴族は会計と書記のみとなっている。
「ごきげんよう。僕は、イツキ・ホウセンカ。会計を務めさせてもらいます。よろしく」
序盤の自己紹介で現れた彼の名前に、生徒会の彼らがざわついた。ホウセンカ家は、現在のカンナ歴19年度におけるオウカ国クランリリー14地区のうち、第5区画をまとめ上げる侯爵のひとりだからだ。
オウカ国は、多くの伯爵達が他の貴族から土地の自治権の買う事で土地を納めているが、クランリリー領はおよそ14の区画に分けられており、各区画で選挙が行われ選出されたものが侯爵、その区画のリーダーとなって議会へと参加する。
一つの区画にはおよそ10〜15の町があり、伯爵達は市民票を得るため区画内の土地をより多く買い取ろうとするが、ホウセンカは第五区画内の五つの町の自治権を持つ、まさに侯爵が相応しい大貴族と言える。
「ホウセンカ殿、貴殿が名のある貴族であることは十分承知しているが、ここは大学の生徒会だ。平民である私がリーダーになった以上、支持者との約束を果たす為に貴殿とも対等に話させてもらうが構わないか?」
大貴族ホウセンカに対し、堂々と口を開いたのは、今季の生徒会会長として当選したルーカス・ダリアだ。
彼は四回生であり平民の派閥を率いる代表でもある。
「もちろん。僕は自分の立場を誇る気は更々ない。なんなら下働きをさせてくれてもいいぐらいだ」
「助かる。他の皆も貴族や平民のくくりはあるが『対等であること』は、今季の選挙において私が掲げた公約の一つでもある。言い出した以上、我々が生徒達へと示して浸透させてゆく。反発があれば私が前に出よう。必要なら言って欲しい」
「これは、頼もしい会長だね」
「ホウセンカ殿、呼び名の希望はあるだろうか?」
「ふむ、なら見本のためにも呼び捨てはどうかな? 僕も会長の意見に賛成だし」
「そうか、ではそうさせてもらおう」
生徒会から拍手が起こる。今までここまで踏み込んだ生徒達は居なかったからだ。
「もう1人の貴族殿は……シラユキ殿か」
「え、は、はい。ユキ・シラユキです。よろしくお願いします。でも、私は、あくまで騎士貴族なので、気にしないで、ください……」
「シラユキ殿は、去年も生徒会にいたと聞いている。手順などを教えてもらえると助かる」
「はいっ、がんばります……!」
ユキは、顔を真っ赤にして俯く。そして、新たな顔ぶれの生徒会を俯瞰し、少し寂しい気分にもなっていた。
去年、シルフィ・ハイドランジアと同じ派閥だった王子は、落選しても副会長として抜擢されたが、今回は派閥が違い完全落選となってしまったからだ。
この場合、役職と掛け持ちで副会長が決まるが、リーシュと共にキリヤナギの会長は間違いないと意気込んでいた事もあり、がっかりした気持ちが拭えない。
「では本題だが、副会長へ立候補したい方はいるだろうか?」
どうしようと、心が揺らぐ。
キリヤナギが会長なら迷わなかったのに、ルーカスであることが心に歯止めをかけていた。
リーシュの意思を引き継ぎ、あの人の助けになりたいと書記へ立候補したのに同じことができる自信が持てない。
「ホウセンカ……」
気がつくと、イツキ・ホウセンカが手を上げている。ユキは、その立候補に意表をつかれ、手を挙げるタイミングを失ってしまった。
「では、ホウセンカ。副会長を頼む」
「任せて」
「副会長もきまったので、各々の役割の説明から始める」
ユキは、少しだけ後悔していた。
今季の生徒会の中で唯一続投したのに。会長の補佐をできるのは自分だけだと思っていたのに。ホウセンカに立候補されればユキは話にもならない。
ルーカスの声が背景になり、ユキは1人机で肩を落としていた。
*
「え、お前らも辞めんの?」
「はい、すみません。ちょっとやっぱり難しいかなって……」
キリヤナギが久しぶりに参加したサークル「タチバナ軍」で、練習終わりに部員から告げられた言葉は「退部」だった。
詳しく聞くと、騎士のジン・タチバナは強く憧れるが、その強さに至るまでのハードルがあまりにも高すぎて、達成感が得られないと言う事だった。
また、隣で練習に励む『王の力』サークルに挑んでも、対策されれば結局勝てず、やる意義も見出せなくなったらしい。
「マジかー」
「まぁ、そうだよねぇ……」
「王子が納得すんな!」
キリヤナギも気持ちは重々にわかる。【素人】に対してならば、これ以上のない対策となる「タチバナ」だが、【プロ】に対しては、臨機応変な対応が求められキリヤナギにも難しいからだ。
「僕もジンには勝てないんだよね。無能力だけど……」
「ジンさんは【プロ】だろ……」
「向こうのサークルも頑張ってるし?」
キリヤナギも、サークルの彼ら相手に五分五分だ。元々習っていたキリヤナギですら五分なのに、他の部員が追いつくのは不可能に近い。
「王子に教えてもらえたのは嬉しかったです。ありがとうございました」
「こちらこそ、他に楽しめるサークル見つかるといいね」
キリヤナギは、笑顔で2人を送り出していた。
20名ほどいた部員は、増える事なく減り続け、今はもういつもの三人を含めた六名しかいない。
少人数はやりやすいが、この人数では秋の体育大会にサークルで参加できるか怪しかった。
「せめて10名程度『タチバナ』を扱える生徒が欲しいが……」
「王子広報担当だろ? どうなってんの?」
「選挙活動の時にサークルのポスターも一緒に作って貼ったけど……」
「……まさか隣の抽象画みたいなやつ?」
「違、あれはジンと橘の葉っぱを描いたんだよ! 右下にもちゃんと『タチバナ』ってかいたし……」
「なんで葉っぱなんだよ! 普通木だろ! それにあんな絵で描かれたらジンさん可哀想じゃねーか!!」
「ひどい!!」
「人選が悪かったんじゃないか……?」
キリヤナギの描いたポスターは、ある日突然、抽象画のような絵が張り出されるようになったと大学で密かに話題になっていた。
見る人によって見え方が違い、動物なのか、人なのかとか、また別の何かなのかが考察され、未だ結論は出ていない。
「結局あの選挙ポスターは何を描いたんだ?」
「し、シルフィ……」
「女性なのか? 私は道化師かと思ったぞ」
キリヤナギは、ショックを受けていた。しかし、本人の意思とは違っても興味を引く絵を描けることは才能でもあり、王子らしさも垣間見える。
「目は引いても、勧誘に繋がらないなら効果は薄いな……」
「僕もうやりたくない……」
「しゃあねぇ、俺が描くか」
今日は散々な日だとキリヤナギは、消沈していた。
話していると体育館の入り口から迎えに来たらしいジンが姿を見せる。
「ジンさん、どーも!」
「ヴァルサスさん。お久しぶりです」
「時間ありません? 久しぶりに『タチバナ』教えて下さいよ」
「殿下がそろそろ帰宅なんですけど……」
「普段より早いな。何が用事が?」
「ないよ。昨日寝るの遅かったから、セオが気を遣ってるだけじゃないかな?」
「当たりですね……。雨も降りそうだったんで」
キリヤナギはその日、一限目の授業は無かったが早朝から登校して屋内テラスで二度寝をしていた。
二限までゆっくり休息し、三限からヴァルサスと合流した為、寝不足はもう解消されている。
「別に1人で帰るのに」
「俺も仕事なんすよ……」
「あまりわがままだと学生貴族に冷やかされるぞ」
隣の『王の力』サークルも、雨天予報を聞いてすでに片付けに入っていた。「タチバナ軍」もそれに後押しされるように片付けを始める中、体育館の入り口からもう一人の学生が入ってくる。
キリヤナギとアレックスは、彼に目線を取られ「あ」と声を上げていた。
堂々とした足運びで現れたのは、昨日夜会で見たイツキ・ホウセンカだ。
「ホウセンカ卿じゃないか」
「ごきげんよう。マグノリア卿」
「昨日ぶりだね」
「王子、連絡もなく現れた無礼をお許し下さい」
「ここ大学だし、そんな畏まらないで」
「誰?」
「ホウセンカ侯爵の嫡男殿だ。今季の生徒会の会計でもあるぞ」
「ホウセンカ?! なんでうちに? 見学ならもう終わろうと思ってんだけど……」
「はは、違うよ。今日は王子殿下にお会いしたかったんだ」
「昨日会ったのに?」
「生徒会の事で話をしたくてさ」
「僕はもう生徒会員じゃないけど….」
「えぇ、だからこの僕を貴方の後継だと認めて欲しい」
大学で出てきた「後継」と言う言葉にキリヤナギはしばらく混乱した。そもそも生徒会では決まった思想もなく思うがままに行動していただけだからだ。
「何が特に決まったことをやってた訳じゃないんだけど……そもそも会長はダリア先輩だよね?」
「平民達を守り、大学の平穏を維持する。執行部として貴族達を牽制していた貴方に僕は胸を打たれたのです」
「別に牽制してるつもりはなかったけど、気がついたらそうなってただけでさ……」
「はは、マグノリア卿とハイドランジア元会長の『王の力』を回収しながらそれは、いい冗談ですね」
うっ、と思わず言葉に詰まるとアレックスも睨んでくる。
イツキの話す通り、大学を牛耳っていた大貴族二人をほぼ無力化したのは事実だからだ。
「僕は平民を守ると言う王子の意向に沿って生徒会で活動を行う。どうか僕の後ろ盾となり、その活動を見守っては頂けないだろうか?」
言いたい事がうまくまとまらずキリヤナギはすぐに返事ができなかった。副会長執行部であったキリヤナギの立ち回りを参考にしたいと言うならわかるが、大学の生徒会で貴族の名前以上の後ろ盾の影響力もよく分からないからだ。
「結局それって、僕と同じ事をするって意味?」
「同じと言うと相違がありますが、近いと思います。これを認めてくださるのなら、私は貴方がやりたかった事を生徒会で成し遂げましょう」
「……僕はどちらかと言うと自分でやりたいタイプだから、別に君に継いで貰わなくていいかな……、ダリア先輩がどんな生徒会にするのかも見てみたいし、その邪魔したくはないからね」
「は、僕は貴方の意思を汲んで……」
「ありがとう。でも人に頼んでまでやろうとは思わないから、気持ちだけもらっておく」
ホウセンカの表情が翳り、キリヤナギは続ける言葉に迷っていた。どう言う意図なのだろうと考えていると、イツキ・ホウセンカはふっと表情を緩める。
「では、僕の行動が貴方の意思に沿うものであったなら、その時は認めて頂けますか?」
「え……、まぁ、認めるだけなら? それがどう作用するかわからないけど……」
「ありがとうございます。このイツキ・ホウセンカは、王子殿下の意思に添えるよう全力を尽くしましょう」
イツキ・ホウセンカはニコニコと笑い、一礼をして体育館を去っていった。残された「タチバナ軍」は、彼の行動に何度も首を傾げてしまう。
「なんだったんだ……?」
「なんで僕なんだろ……」
「後ろ盾が欲しいと言っていたが.……」
「ルーカスが会長なら意味なくね?」
ヴァルサスの言う通りで意味はない。ルーカスが当選した事で貴族同士の力関係も均等になり、根回しも個人レベルのものになったからだ。
「変わって間もない今は『建前』でしかないが、手本を示されれば変わってゆくだろう」
「楽しみ」
「楽しみなのか……?」
王のいない社会をキリヤナギは見たことがなかった。民主主義と言う話し合いで全てを決める社会がどのように機能するのか興味深く、どうなって行くのか好奇心が尽きないからだ。
*
本格的な梅雨へ突入した首都クランリリー領は、傘を下げる生徒達が増えると共に自動車で現れる生徒も増えてゆく。
来月にはテストも近づき勉強をしながら登校したキリヤナギが見たのは、大学のエントランスで配布されていた新聞部の号外だった。
「王子じゃん、久しぶり!」
「おはよう。今日も朝から?」
「おう! よかったらもらってくれよ」
渡された号外には、『大貴族ホウセンカ、平民生徒を救う』と大きく書かれたインタビューの記事だった。
流し読むと、ツリフネの一派からイジメを受けていた生徒をイツキ・ホウセンカが救ったと書かれている。
「へぇー、すごい」
「ホウセンカ副会長。俺らと対等になれるよう努力してくれるんだってさ」
「他の貴族の見本になれるようにするって、かっこよくない?」
「かっこいい……かな? このツリフネって初めて聞いたけど、どう言うグループ?」
「王子しらねぇの? ツバメ・ツリフネだよ。もう三年留年してる奴なんだけどさ」
「不良グループの元締めっていわれてて、普段から平民生徒に嫌がらせとか、突っかかる貴族をボコボコにしたりしてくるから、みんな怖がって近づかないんだ」
「そんなに悪いことしてるなら、何かしらの処分にならないの?」
「それが、ツリフネはこの大学の理事の息子で、いくら問題提起してもお咎めがないんだよ。貴族の進言もスルーされてるみたいでさぁ、噂じゃゾウカ出版ともつながりあるとか」
「へぇー」
「兎に角、怖い奴らなんだよ。今までどうしようもなかった連中にホウセンカ卿が向き合ってくれるのすごくね?」
「それは、そう……? そうかも……」
ツバメ・ツリフネの情報が、誌面には殆どなく不良派閥のツリフネ一派と括られている。しかし、そこまでの不良グループなら、去年執行部だったキリヤナギはすでに対峙していてもおかしくはないのに、キリヤナギはその名前を初めて聞いた。
「それは、マグノリアのせいじゃね?」
「ツリフネの連中、マグノリア一派には手を出しづらかったみたいで一昨年と去年は大人しくしてたし」
「でもそれなら、先輩の派閥が解体された時点でまた動いてるんじゃ?」
「春はちょっとだけ噂にはあったな。でも夏から秋にかけて殆ど聞かなくなったぜ?」
思い出せば去年の春。
キリヤナギは、カツアゲの現場を目撃したり、校舎の裏手にたむろする学生と対峙していた。彼らががツリフネ一派なら納得もゆくが、目的がよく分からない。学生である時点で、他の生徒へ危害を加えることはデメリットしかないからだ。
「なんでそんな事してるんだろ……」
「知ってたらみんな怖がらないって、王子も気をつけろよ」
号外の配布へ戻ってゆく三人をキリヤナギは手を振って見送った。そしてその日から、学内の誌面にほぼ毎回のようにイツキ・ホウセンカの話題が掲載されるようになり、号外まで発行されるようになる。
強引なナンパに困る女性を助けたり、陸上部で足を挫いた選手を病院へ連れていったり、また学内を見回って連れ込まれている生徒がいないかなど、取材をしている誌面が続いた。
そんな学内誌を見るアレックスへ、ヴァルサスに顔を顰める。
「その新聞、いつのまにホウセンカ専用になったんだよ?」
「確かに毎回卿の話題ばかりだが、ルーカスの舵取りが注目されている中で生徒会役員がこうした活動を行っていれば、皆の関心から書かざる得ない所もあるだろう。王子の時もそうだった」
「へ? 知らない」
「一面ではなかったが、我々の活動はこの誌面を通して皆が知らされていたぞ?」
「へぇー、だからここに会いにくる奴がいたのか」
「その学内誌にそこまでの影響があるのは知りませんでしたね」
「これには私のような貴族学生の知りたい事が大体書いてある。派閥の状況から、生徒会の動き、サークルの部員募集もこの誌面からも知れる。よく取材していると感心もするが、ホウセンカ卿は少し持ち上げすぎだな。ここまでやるなら我々の去年の活動もこのぐらいやって欲しかった」
「僕は恥ずかしいからやだな……」
「政治家が実績をアピールしないのは損しかないぞ?」
その日の誌面は、イツキ・ホウセンカへのインタビューだった。彼は口頭で「なぜ人々に尽くせるか」などを語り、生徒会としての使命を果たす為だと述べていた。そして、王子の後継者になりたいと言っている。
「僕の事だされてるし……」
「外堀を埋められているな。なし崩し的に認めさせようとしているのだろう。『貴族らしい』」
キリヤナギは少し気分が悪かった。頼み、断られたとしても遠回しに相手を動かそうとしてくるのは、舐められているようにも感じるからだ。
アレックスは、何かを考えつつ手元のペンを回し始めたキリヤナギを横目で見る。
「どうする?」
「もうしばらく様子見かな」
「コイツ、有名になれば王子に認められると思ってんの?」
「普通に考えればそうだろう。でも私はそれだけではないと思う」
「まだ自分の思想を話しただけかもしれないし、深読みはしないよ」
「あら、貴方も怒るのね」
「怒ってない。僕はこの大学で確かに『王子』と呼ばれてるけど、そう振る舞った覚えはないし、肩書きを押し付けられてるように感じただけ」
「なるほど、それが気に入らないのか」
「僕は今、学生だからね」
ホウセンカの狙いをキリヤナギは読めてきていた。しかしそこに確信はなく彼の本質をキリヤナギは知らない。『本当の良心」である可能性を、まだ確かめる必要があるからだ。
ヴァルサスとアレックスに連れられ、キリヤナギはその日もサークル活動の為に体育館へと向かう。
そこで突きつけられたのは、また一名の退部届けだった。
*
「会長、先日の会議の議事録ができましたので確認をお願いします……」
「仕事が早いな、シラユキ嬢。ありがとう」
殺風景な生徒会室にて、閉校時間にも近い夕方に、ユキ・シラユキは先日の生徒会会議の議事録の作成を行なっていた。
議事録は、会議での話し合いがどのように行われていたか記録するもので、解説の必要があることから作成に手間もかかる。この為、ユキは空き時間へ生徒会室へと足を運び作業を行っていた。
「流石は経験者。とても簡潔でわかりやすい。これならば我々だけでなく生徒の皆も読めるだろう」
「よかったです。あの他に必要なことはあるでしょうか……?」
「特にはない」
「え? ではどうして会長はここへ?」
今日は生徒会の集まりもなく、ユキは自主的に生徒会室にて作業をしていた。ルーカスも同じく仕事があるのだと考えていたが、そうではないらしい。
「仕事ではなく、会長として何をやるべきなのか去年の記録を確認していたんだ」
「去年の記録を?」
「あぁ、改善点があれば解決しようと考えていた。記録によると去年のこの時期の業務の殆どは、ハイドランジア嬢と王子がやっているが、実務が会長に偏りすぎている。秋からは改善されているが、こちらも全ての業務に王子が関与していてやはり偏りが見られる。王子だからこそ回せたのだろうが、私の場合、同じにするのは無理だろう」
「でも、会長は会長ですよ……?」
「誰も肩書きだけの相手に従いたいとは思わない。王子は王子だからこそ、人を動かせたのだろうが私は……」
「いえそれは、違います。最初は、誰も協力してくれなかった。でもあの人はーー」
ルーカスは驚き、ユキは言葉に詰まった。今の会長である彼は、キリヤナギと対立関係にあるからだ。
「す、すいません。その……」
「いや、構わない。シラユキ嬢も騎士貴族だ。王子の肩を持ちたい気持ちもわかる」
違うと、ユキは唇を噛んで喉まできた言葉を押し込めた。
あの時、皆がキリヤナギへ協力したのは決してその肩書きだけではない。そう断言できるのは彼の言葉にある。
-僕が倒れないように協力しろ-
この言葉は、言い換えるなら「手柄はくれてやるから働け」と生徒会の皆を説き伏せたのだ。
このまま行けば生徒会は業務を回せず破綻し、参加した生徒へ汚点が残る。ハイドランジア家との「自由参加」と言う約束から催事の準備を怠っていた彼らは、貴族らしく名前が汚れることを恐れ、渋々キリヤナギの指示へと従い始めた。
初めはやり過ごそうとした彼らも、詳細な手順を示され、キリヤナギからほぼ毎日進捗を尋ねられていればやらざる得ない。出来ないメンバーがいればペアを組ませ、必要となれば王子があらためて手順を説明すると、プライドの高い彼らは、屈辱を感じたのか二度目は必要がなく、一週間前にようやく息が合って開催までこぎつけた。
バラバラだった生徒会がまとまってゆき、ユキはあの時、生徒会へ立場の差はないのだと心を打たれたのだ。
どんな相手でも、接し方次第で協力を得られる可能性がある。そんな理想の世界を、キリヤナギは生徒会で見せてくれた。
「シラユキ嬢? ぼーっとしてどうかされたか?」
「いえ、すみません。なんでもない、です」
「そうか」
ルーカスは、手元の端末からユキの作成したテキストファイルのプリントアウトを行う。しかし、書面は数枚出力したところで音をならして止まった。
「紙が切れたな。購買へ行って用紙を買ってこよう」
「あの、私が行きます」
「気にしないでくれ。ちょうど金庫が開けられる私がいる。領収書を切るにしても、直接置いてあるお金を使う方が早い」
生徒会での運用予算は、毎月決まった日に職員から現金で渡される。
生徒会室の奥には金庫がありそこへ入っている帳簿へ利用金額を記録しながら現金を使う方式だが、体育大会と文化祭の備品などもここからでていて春は慎重な運用が必要とされていた。
生徒会室の施錠された奥の部屋へ向かったルーカスは、自身が設定した金庫を開錠し、中の現金を確認する。すると記録と実際の金額にはかなりの差があって驚いた。
「シラユキ嬢、この金庫は誰か利用したか?」
「え? それは分からないです。私も開けられたのは初めて見たので……」
「盗まれた……?」
「え……ーー」
ルーカスの頬へ生汗が伝い、まるで空気が凍りついたように、生徒会は静けさに包まれた。