第五十二話:イベリス

「……」

 グランジの視線がキリヤナギの背中へと突き刺さる。
 そこはオウカ町にある数少ない住宅街でもあった。豪華な邸宅がならび、その一つ一つは宮殿から数々の名誉や栄誉を得た騎士や使用人達が住むいわば貴族街とも言える。
 その美しい住宅が並ぶ土地で一際大きく趣きを残した邸宅の前に、キリヤナギ・オウカと、グランジ・シャープブルームは立っていた。
 表札へ「ツバキ」と書かれたその自宅は、現在謹慎中の使用人。キリヤナギ専属のバトラー、セオ・ツバキの実家でもある。
 
 キリヤナギは本来、謹慎中の関係者には、連絡だけでなく会う事も許されてはいない。それは、普段から密接な関係であるが故に、顔を合わせれば謹慎が謹慎で無くなってしまうからにある。
 しかしここ最近は、近代化によってルール改定が追いつかず、通信デバイスを介せば連絡も取れるはずでキリヤナギもそこまで重くは捉えていなかったが、真面目なセオは、ルールを守る為にメッセージに既読もつけてはくれず、キリヤナギがここまで来るに至った。
 
「ここに来た理由を聞きたい」
「僕が顔を見たいから、じゃだめかな?」

 グランジは眉を顰めていたが、文句は無さそうにも見える。それはつい先ほど、グランジの方から「セオの復帰に協力したい」と言われたからだ。
 恐る恐る邸宅のインターホンを押すとありきたりな電子音が響く。しばらく待っていると、インターホンの応答ではなく私服のセオが、ペンを持ってでてきた。

「でーー」
「シーっ!」
「グランジ! 貴方がついておきながらーー……」

 グランジは首を振っていた。セオは、うまく言葉が出てこず、周りの目を確認する。

「一度中へ……」

 グランジに門を開けてもらい、キリヤナギは邸宅の中へはいってゆく。エントランスのある邸宅は、誰が見ても豪華な屋敷だった。
 広い玄関に広い廊下、リビングも大きなソファが置かれ、巨大なテレビが壁に下ろされている。

「すっごい久しぶり……、お邪魔します」
「お茶を淹れてきますから、好きな場所へ……」

 セオの疲れた表情をみたグランジは、彼の代わりにキッチンへと向かった。セオはソファへ座ったキリヤナギの斜め横へと腰掛け、大きくため息をつく。

「何故、ここへ……?」
「僕が顔を見たかったら」
「そんな、事で……」

 セオは頭を抱えていた。キリヤナギは気にした様子もなく大学の鞄から紙袋を取り出す。

「これ、差し入れ」
「……!」

 紙袋から出てきたのは、宮殿が独自に販売している焼き菓子だった。このお菓子は、セオの父、サーシェスがセオの好みに合わせて企画したもので、現在でも人気のあるお土産として首都の店舗へと並んでいる。

「臣下の家に菓子折りを持ってくる王子がいますか……?!」
「と、父さんはこう言うの大事だって……」

 ため息をつくセオだが、顔に少しだけ笑みが戻り、雰囲気がわずかに和んだ。お茶を淹れてくれたグランジは、セオの分も給餌をしてくれて、3人は数日ぶりの午後のティータイムを行う。

「宮殿は、如何ですか?」
「ボタン組の人が来て大変かな。まだ3日目だから」
「そのうち慣れるのでは……」
「久しぶりにアレルギーもでて」
「……なんて事を」
「ボタン組の人は、悪くないから……」

 セオは、じっとキリヤナギの顔を見て、腫れがないか見てくれているようだった。すると首元のわかりにくい所へ晴れが残っているのを見つけられる。

「耐えられませんでしたか……」
「な、なんでわかるの!?」
「アレルギーが出ると、耳の付け根を弄られますよね」

 うっ、と息が詰まって黙り込む。耳の裏は影になり、掻きむしってもバレにくく耐えられない時に掻いている。結果的にそこだけ肌の荒れがひどく、赤みが消えない。

「少しお疲れのようですが……」
「え??」
「……」

 午前から動き詰めで、確かに疲れている。ジンと街を歩き、授業を受け、ミルトニアにも会ったからだ。

「なんで、わかるの??」
「見ればわかりますが……、不安なのでは?」

 同じ言葉を繰り返してしまう。確かに武器が手元になく、ひどく落ち着かない。グランジとジンはいるが、戦えないことは夏の恐怖を思い出して不安になる。

「武器を、二本ともメンテナンスに出されて……」
「そうでしたか……その判断は?」
「ロバート・ボタンバトラーが……」
「彼は私以上に優秀な使用人だと思っていましたが……」

 グランジが首を振り、セオは呆れていた。ある程度納得し、ため息をついた彼は、もう一度キリヤナギをみる。

「私が必要ですか?」
「……うん。戻れる?」

 この言葉は、セオの心境について聞いている。妹を騎士団へ連れて行かれ、名誉を傷つけられたツバキが、もう一度使用人として働けるのかどうか意思を問うものだ。
 
「……私は、その生き方しか、知りません」
「……!」
「ツバキ宗家は、オウカのために生まれ、貴方がたオウカ家へ仕えるために存在しています。ツバキにとって、私にとって貴方は全てだ。だから、叶うならばもう一度、貴方をお支えしたい……!」
「わかった。やるだけやってみるよ」
「でも私は、貴方がその業を背負うことを望みません」
「そういうリスクは負わないって約束する……」

 セオの目は半信半疑だった。彼はグランジと目を合わすと3度目のため息をつく。

「グランジは、お腹空いてますね」

 グランジは頷いていた。セオは、家にあった賞味期限が間近な菓子を持てるだけ袋に詰め、グランジへと渡してくれる。

「ごめん。いいの?」
「我が家は皆料理好きで、食べたいものは自分で作りますから、いただいた菓子類は殆ど消費ができないのです。殿下に頂いたものは、好物なので別ですが……」
「そっか、ありがとう」
「間も無くウェブマーケットの配達が来ます。それまでに宮殿へお戻り下さい。その後に騎士が巡回にきます」
「え、そんな厳しいの?」
「一応、容疑者の家族なので……?」

 聞きづらい事を言わせてしまい、罪悪感を得てしまう。

「そういえばサーシェスさんと、シスさんは?」
「騎士団へソラとの面会に。私は何を話せば良いかわからず、巡回騎士殿へ言伝も兼ねて留守番です」
「久しぶりに会いたかったけど、それはしょうがないね」
「会ったら叱られますよ」

 言葉に詰まってしまう。たしかに、あまり怒鳴る事をしなかった父の代わりに強く叱りにきたのが母とサーシェスだった。
 子供のころは当たり前のことしか言わずつまらない大人だと思っていたが、当たり前を当たり前としてこなすことの大切さを教えてもらった、もう一人の父でもある。

「じゃあ、今日はもう帰るね。突然きてごめん。ありがとう」
「もう、来られないでください」
「え……」
「次は、宮殿で」
「わかった!」

 キリヤナギは、人目につかないようひっそりとセオの自宅をでて、早々に宮殿へと戻った。
 日が暮れていた為かロバートは焦っていたらしく、戻ってきたキリヤナギをみてほっと息をつく。

「殿下、おかえりなさいませ……!」
「ロバートも、おかえり? どうしたの?」
「まもなく、ご夕食です。もう30分もありません。お急ぎ下さい」
「え、別によくない?」
「両陛下がお待ちなのですよ」

 キリヤナギは一人で自室へ押し込まれ、しばらく困惑していた。

「グランジさん、おかえりなさい」

 その日、宮殿へ戻ってきたグランジは、ロバートをリビングへと残し事務所にてジンと合流する。
 ジンは、先ほどセスナから聞いた情報をグランジと共有すると彼もまた眉を顰めていた。

「ナツキ・シャクヤか……」
「サザンカの血縁みたいです。ボタン組への嫌がらせの可能性あって……聞いてました?」
「身元捜査は、ベルガモット副隊長に任せていた」

 渡された報告書と手書きのメモをグランジは一通り読み込み、さらに続ける。

「殿下へ協力することにした。詳細を聞けないか?」
「協力?」
「セオの件で動いていると聞いた。詳しくはジンに聞けば良いと」
「ぜ、全部?」

 頷かれてジンは「丸投げ」された気分にもなった。この件は、辿るとどこから話せばいいかわからないからだ。

「長くなりそうなんですけど、いいっすか……?」

 グランジはそれから1時間ほど興味深くジンの話を聞いていた。
 【読心】のイメージで掴んだ建物の写真もみせるが、証拠がなくこれ以上の調査は難しいことと、キリヤナギが具体的にどう言う行動に出ようとしているのかもまだ聞かされていない事を話す。

「立件するなら、現場を抑えるしかないと思う」
「でも、俺らがそこに行ったのがバレたら、メディアは多分黙ってないですよね」
「……」

 グランジは黙って考えていた。
 王宮の職員が犯罪の確定しない現場にいることは、報道されれは大きな誤解を伴う。また宮廷騎士の二人で向かった所で、摘発できるかと言えば分からない。

「権限はあるが、クランリリー騎士団に良い顔はされない」
「あるんすか? そう言うナワバリ意識みたいな……」

 頷くグランジに、ジンはセスナの「仕事は取ってはいけない」と言っていたのを思い出す。言わば各々の管轄があり、その手柄を奪うのは良く無いと言うことだろう。

「殿下。騎士長のカーティス閣下と知り合いですけど……」
「そう言う問題では無い。都合の良い時だけ口を挟むのは筋が通らない」

 宮廷騎士団の役目は、あくまで王家の警護や国家防衛だ。国内におけるトラブルは、地元騎士団の役割で管轄外とも言える。
 二人で話をしていると、事務所の扉が開いてロバートが戻ってきた。

「お疲れ様です。お二方」
「ロバートさんも、お疲れ様です」
「タチバナ卿。殿下にお茶をお持ちしようと考えているのですが、この時間はどのような茶葉を使っておられましたか?」
「そもそも起きておられます?」
「お部屋の中が分からず、どうとも……」
「疲れているらしい。今日はなくて良いと思う」
「グランジさん?」
「シャープブルーム卿?」

 グランジは背中で答え、二人は思わず彼を見直していた。

「畏まりました。ではそのように……」
「ロバートさん。時間遅いのでもう上がってください。あとは俺らがやっとくので」
「それは、良いのでしょうか」
「はい。それに殿下の好みなら俺らの方が詳しいんで」
「……わかりました。ではお二人とも、本日は失礼致します」

 ロバートは荷物をまとめ、挨拶をして事務所を出て行った。
 グランジとジンが、二人でリビングへ向かうと寝巻きのキリヤナギがちょうど自室から出てくる。

「ジン、グランジ……」
「めっちゃ眠そうじゃないっすか……」
「疲れた。でも、ジンにもう少し感想聞きたくて……」

 感想かは分からないが、ジンは先ほどグランジへ話した事をキリヤナギにも伝える。彼は手渡された写真を感心して受け取っていた。

「セスナ、集めててくれたんだ」
「去年、【読心】で読んだっていってました。それを撮ってくれたのはリーシュさんみたいです」
「恥ずかしい……。確かにセシルに頼もうと考えてた時期があったんだよね。でもセオには知られたくなかったし、仕事増やすのは申し訳なくて……」
「セスナさん。遠慮しなくていいのにって言ってましたよ」

 キリヤナギは逆に困っていた。彼の通信デバイスのメモには、自身が調べた店のリストもあって、ジンは尚更感心してしまう。

「めちゃくちゃ調べてたんですね……」
「宮殿がサザンカを追い出したのは、そんな大昔ってわけじゃ無いんだよね……。僕が生まれた頃には、首都に名を馳せる大企業になってたけど……」
「けど?」
「一回だけ、サザンカグループの代表に会ったことがあるんだ。いつだっけ……」
「ガーデニアの国賓を招く際、要人が宿泊するホテルを貴族達の投票で選んだ」
「それだ。そこでサザンカが一位になって、僕が父さんの代わりにお茶を濁しに行ったんだよね」
「な、なんで投票にしたんすか……?」
「父さん。そう言う根回しが上手くはないと言うか、嫌いだから」
「……」
「セオは遠慮して、代わりの人が付いてきてくれたけど、その時のサザンカの態度に違和感があったからよく覚えてる。確か言われたのは、『サザンカはオウカへ寄り添う花としてこれからも咲き誇ります』だったかな」

 国民から見れば、貴族らしい言動とも思えるが、貴族からすると、かつての立場を忘れていないとも受け取れる。オウカ国とも断定せず、オウカ家ともとれる表現は、使用人の序列第一位のツバキへの当てつけにも聞こえるからだ。

「スズカ・サザンカは、何も忘れてない。多分ツバキだけじゃなくて王家も恨んでるかな……」
「なんで、殿下まで?」
「サザンカが追放される時、彼らは僕のお爺ちゃんにどうにか許してもらえないか、色々根回しを尽くしたみたいでさ。でも僕のお爺ちゃんは元々そう言う『根回し』が嫌な人だったみたいで……」
「つまり?」
「謝るつもりがあるなら、周りを味方にする『工作』をするなって、バッサリ切り捨てちゃったんだよ」
「……」
「サザンカの人達は使用人で、これまで客人貴族相手の『上手い立ち回り』しか知らなかったから、元々おじいちゃんに気に入られてなかったのもあって、その件で更に怒りを買ったって……。サザンカとしては、一番悪いのは当事者なのに親族まとめて追放されたから、なんでこんな目に会わないといけないんだって気持ちもあったんだと思う。だから週刊誌つかって嫌がらせしたり、ツバキにまでちょっかいだしてきてさ。めんどくさいよね」

 淡々と語るキリヤナギに、ジンはなんと返せばいいかわからない。

「じゃあ、シーツの件も?」
「うん。間違いなく嫌がらせ。ツバキに頼る宮殿の業務構造をよく分かってるし、僕のアレルギーの件も『昔の知り合い』から聞いたんじゃないかな……想像だけど」
「使用人の立場で、そんな事やります?」
「むしろ使用人だからじゃない? 昔の『偉かった自分』が忘れられないんだと思う。でも父さんだけじゃなくて、僕にまでちょっかいだして来たから、やっぱり女の人って怖いなって」
「シダレ陛下……?」
「宮殿にいたから、週刊誌メディアに重宝されててさ。父さんの暴露記事だされて、学生時代に酷い目にあってるんだよね。今でも宮殿の外に出たがらないのはそのせい」

 シダレ王は、確かに外出を嫌い。ジンも外出する王をあまり見たことがなかった。記憶には残ってはいるが、日常においては非常に少なく、キリヤナギが成人してからは、からっきしでもある。

「姫君が、サザンカの血縁と駆け落ちしたって話ですけど、そのスズカ・サザンカさんの家族って、つまり殿下の親戚になるんです?」
「うーん。駆け落ちしたのは僕のおじいちゃんの妹なんだよね。スズカ・サザンカは相手側の血縁だったから王族の血は入ってないかな。おじいちゃん妹ってなんで呼ぶんだっけ? 眠くて思い出せない……」
「寝ろ」

 グランジの言動が無礼だが、ここはジンも同意見だった。
 使用人の家系に、キリヤナギが警戒していた意図が読め、納得すると共に恐怖すらも感じる。

「でも、僕は父さんみたいに優しくはないから、身内に何かやるなら相応の仕返しをしたいかな」
「マジ?」
「父さんは憎まれても仕方ないし甘んじて受けるってスタンスだけど、僕は許したらダメだと思うからね」

 乾いた笑みに、ジンは背筋が冷える。その聞いたことのない声のトーンは、本気で怒ったヒイラギ王妃を脳裏へ過らせた。
 周りの調和と相手の感情を大切にする寛大なシダレ王と反対に、ヒイラギ王妃はたとえ敵を作ろうとも体裁を守り、冷酷に正義を執行する覚悟を持っているからだ。

「僕だけならまだ放っておいたけど、セオやらロバートまで巻き込んだし、これ以上悪さ出来ないよう、徹底的にやるかな」
「感情がでている」
「ダメだ。眠くて本音がでる……寝る」
「お、おやすみなさい」

 ジンは、自室へ消えてゆくキリヤナギを固まったまま見送った。ロバートのミスを許す寛大な王子は、サザンカと言う仲間を貶める黒幕へ、これ以上ない怒りを抱いているとも言える。

「殿下って本気だすと怖いんすね……」

 グランジがうんうんと頷くなか、二人は、明らかになったサザンカグループの整理を行うことにした。
 騎士団の情報から、現サザンカグループの社長スズカ・サザンカには、キョウヤ・サザンカともう一人、シャクヤ家を名乗る娘がいるらしい。

「このシャクヤ家って?」
「殆ど情報がない。一般平民だと思う……」

 検索するとサジェストにアヤメ・サザンカの履歴が現れ、さらに『離婚』と言うワードが並ぶ。
 彼女はかつてモデルの仕事をしており、結婚出産を境に引退したが、数年後に離婚したと報じられていた。

「シャクヤは夫の?」
「おそらく」

 「アヤメ・サザンカ」だと掲載記事が多く出てくるが、アヤメ・シャクヤではヒットせず行き詰まってしまった。
 
「タクヤ・ツツジは……?」
「タクヤ……?」

 グランジが首を傾げている。ツツジ家ならジンの方が詳しいのでは? とも言われた気分だが、ツツジ家にタクヤと言う人間は居ないからだ。

「多分、スイレン嬢の元カレ……」
「?」

 グランジは、デバイスで検索を続ける。
 元宮廷使用人であるサザンカは、市民からもある程度注目もされているのか個人制作らしい家系図もでてきた。

「キョウヤ・サザンカには、息子がいるようだ」
「……息子の息子? 親子三代?」

 グランジが頷き、簡易な家系図を見せてくる。
 頂点に君臨するスズカ・サザンカは70代であり、50代の息子キョウヤがいる。またキョウヤも、20代の息子がいた。

「現サザンカグループの直系。ヤマト・サザンカ。系列店を束ねる御曹司だが、表に出ていないのか顔写真が出ない」

 ジンはその名前を聞いて、忘れていた記憶がまるで鍵を開けたかのように呼び起こされた。
 それは4年前。スイレンが久しぶりに会いたいと言い、ジンの実家で再会した時の事だ。16歳でお見合いをしてから2年たったその日、スイレンは好きな人ができたとジンへ話した。
 ジンはその時、何か大切なものを無くしてしまったような喪失感があった事を今でも鮮明に覚えている。そしてその喪失感の中、ジンは聞いたのだ。

-どんな人?ー

 聞かれた事に彼女はとても嬉しそうだった。頬を染め、照れながら答える。

-ヤマト様は、とても見聞が広く、何も知らない私に沢山のことを教えてくださるのですー

「ヤマト……」
「知り合いか?」
「違います。ただの浮気男……」

 タクヤ・ツツジとは名前が違う。だがタクヤは、ソラと言うセオの妹を口説き、犯罪へと巻き込んだ。そして極めつけは、ジンがキリヤナギと前を通った店はダンスバー。
 あの場所のオーナーは、とある貴族と不倫をしていて「浮気男」なら、ありえない話ではない。

「くっそ……」
「ジン?」

 繋がってゆき、怒りが湧いてくる。まさか女性をたぶらかす男に怒りを覚える日が来るとは思わなかった。

「タクヤ・ツツジは、サザンカグループの店舗オーナーをやってる奴です。ソラちゃんをたぶらかした。でも、ツツジ家にそんな男はいない」
「ヤマト・サザンカの偽名か……」
「嘘まみれじゃねーか」
「ツツジ家に手を出しているなら、タチバナも狙われている可能性がある」
「は……?」
「やり方が似ている」

 縁談の相手に近寄って破談を促し、公開されない事を逆手にとってツツジと名乗る。騙して保護された女性に「ツツジ家に騙された」と言わせれば、騎士団は当然ツツジ家を調査せざる得ない。
 地主の家に犯罪関与の可能性が浮上すれば、その土地へ門下を構えるタチバナ家にも当然影響はあるからだ。

「どれだけ憎いんだよ……」
「足場から崩すのは、貴族の基本戦術だ。相手を機能不全にして弱らせてゆく、騎士の立場では対策が難しい」

 グランジの目も鋭く光り、怒りを持っているのがわかる。徐々に見えてくるサザンカのやり口は酷く陰湿で、愚直に働く宮殿の人間を犯罪者へ仕立て上げる卑怯な手口とも言える。

「どうすればいい……」
「貴族には、貴族のやり方がある」
「……!」
「殿下が上手い」

 感情的になりつつあったジンが、グランジの言葉で冷静になる。キリヤナギは先程「許さない」とこぼしていたのだ。
 ジンと同じく、或いはそれ以上に怒りを抱き、やり返すと話した。確かに位が下となる騎士にとって貴族は天敵だが、逆に貴族にとっての天敵は『貴族』だからだ。

 日付が変わり、平穏な朝を迎えた宮殿でジンがテーブルの清掃をしていると、キリヤナギはひどく眠そうな顔をしながら出てくる。

「眠い……」
「殿下、今日は授業じゃ……」
「大丈夫……」

 1限にはもう間に合わない時間で、ジンは履修していない事を察した。その日もグランジはリビングにおらず、ジンのみがロバートを手伝っている。

「キリヤナギ殿下、差し支えがな無ければで宜しいのですが、授業の履修状況などを教えて頂けないでしょうか」
「差し支えあるから教えない」
「……しかし、誕生祭まで残り一月を切っております。練習スケジュールの為にも……」
「練習は、言ってくれたらそっちに合わせる。僕は気にせず進めて」
「そう言う訳には」
「僕が合わせるのが厄介?」
「昨年度の単位はかなり厳しかったと伺っておりますので」
「去年は去年、今年は余裕あるし、それなら去年と同じでいいよ。ジン、今日はグランジと行くから宮殿にいて」
「え、わかりました」

 キリヤナギは、鞄をもちそのままリビングを出て行った。軽くあしらわれたロバートは視線を落とし暗い表情をしている。

「私はやはり、殿下に嫌われているのですね……」
「時間割は、俺らも知らされてないんすよ……!」
「そうなのですね。何故なのでしょう……」

 キリヤナギは自由時間がほしいだけだが、ジンは言いそうになる気持ちを必死に抑えていた。

 事務所に顔を出し、グランジを連れたキリヤナギは、その日も徒歩で大学へと向かう。その最中グランジが手帳へ何かメモをしていてキリヤナギは首を傾げた。

「何書いてるの?」
「登校時間」

 キリヤナギが、グランジの手帳を取り上げて中身を見ると、登校時間から授業の履修状況を予想されていた。彼を睨むと無表情だが、少し楽しんでいるようにも見える。

「人をゲームみたいに攻略しないでよ!」
「セオには見せていない。ジンと競っている」
「余計タチ悪いってわかってる!?」

 問いただすと、夏に発売する新作ゲームを賭けてキリヤナギの時間割推測ゲームをしているらしい。
 思えば冬休みに入った当初、ジンがどう言う授業があるか気になると言って、もう使わない時間割表を見せて欲しいと言われていた。

「そんな事に使ってたの……」
「割と盛り上がった」
「聞いてないから!」

 去年は、一限差でグランジが勝ったらしい。写真に残されたジンの考察をみると、冬の水曜日の午後の授業が無いものだと考察されていて真顔になった。確かに早退をよくしていて、受けられないことが多かったからだ。
 驚いたのは、殆どの日を終日残り、直帰した日こそ僅かなのに、完璧に時間割りを割り出されていて背筋が冷えてしまう。
 キリヤナギはしばらく悩んだが、言葉にならない気持ちのままそっとグランジのメモを返した。

「遊んでるだけ」
「わかってるよ……」
「セオには言わない」

 ジンもグランジも、言うことは信頼はできる。それは去年、セオに最後まで時間割が割れていなかったからだ。

「誰にも見せないでよ」

 グランジは頷いていた。勝負事や考察が好きな二人へ、『明かされない時間割』と言う一つの謎を提供すれば、遊び道具にされるのはある程度予想もついていたからだ。
 キリヤナギとしては、まるでプライバシーを侵害された気分だが、ここでやめさせても誰も喜ばないと思うと、見ないふりができる。

「今年は難しいとジンは言っていた」
「そう言うことなら、僕だって黙って当てられるようにはしない。二人とも外れたら僕の勝ちね」
「わかった」

 キリヤナギはグランジと別れ、二限から授業へと出席する。そして屋内テラスへ向かう前に生徒会室へと足を運んだ。
 足音を立てず、誰かが居るなら気づかれぬように中を覗くと、提出された立候補書類をまとめる。シルフィがいて手前の死角となる位置にもう一人の気配がある。

「いつもありがとうございます」
「か、会長のためなら、これぐらいすぐです。見た感じ、会長枠の立候補はこれ以上は増え無さそうですし」
「えぇ、シラユキさんも、今度は書記で立候補して下さってますし、とても楽しみですわ」

 生徒会にはシズルの妹のユキ・シラユキがいる。彼女は同回生でキリヤナギを支えてくれたとても優しい女性だった。
 隠れていても仕方がないと思い、キリヤナギはノックから生徒会室へと顔を出す。

 扉側にいたはずのリーシュは見当たらず、隠れてしまったのだろう。

「ご機嫌よう。王子」
「シルフィ、お疲れ様。今、リーシュと話してなかった?」
「はい。少しだけ手伝って頂いておりましたが……」

 相変わらずの恥ずかしがり屋で、彼女は視界に入らない。しかしいつもの流れなら、こちらを見ている筈で要件だけ口にする。

「シルフィ、リーシュに伝言お願いできるかな?」
「えぇ、構いませんよ」
「放課後に、お礼を言いたいことがあるから、よかったら屋内テラスに来て欲しいって」
「わかりました。お伝えしておきますね」

 そうしてキリヤナギは、一度生徒会室をでて午後の授業をこなす、放課後はヴァルサスとククリールと顔も合わせるが、2人はもうその日、大学に用事はなくキリヤナギのみが屋内テラスでリーシュを待っていた。
 するとしばらくして、こちらを覗く影が見が現れる。

「リーシュ、来てくれてありがとう」
「ひぇ、おお、お呼びに預かり、ささ参上しま、ひた!」
「実は、聞きたいことがあって」

 キリヤナギは、昨日ジンに渡された複製された写真を取り出す、彼女は聞いていた通り見覚えがありそうだった。

「この写真撮ってくれたって聞いてて、ありがとう」
「そ、それは、去年のですよね! さささ撮影だけでしたから、おやすいごようでした!!」
「リーシュはこの辺りよく通る?」
「は、は、はひ! こ、こ、ここの向かいが、スポーツジムで、姉様と、よく行くので……向かいなので、窓からも、ときどきみてて……」
「その時、出入りしてる人たちはいた?」
「ほ、ほとんど、夜からしか、しらにゃ、ひゃ、しらな、ないですえど! きれいなお洋服のひとが、はいってい、いくのを一度だけ、みました……」

 『綺麗な洋服』とは貴族にも思える。賭博は資本金を積んでから行われる為、主に富裕層の『遊び』になるからだ。

「リーシュありがとう。お礼にこれから上の喫茶店でも行く?」
「ふぁ!? だだだ、大丈夫です。恐れ多い、と言うか、恥ずかしいので、ご遠慮、します」
「そっか、わかった」

 写真を鞄へとしまい、リーシュから聞いた事をメモしていると、彼女は不思議そうにこちらを覗き込んでいる。

「あ、の……」
「?」
「王子は、このお店に、行かれるのですか?」
「行くつもりは無いんだけど、ちょっと気になることがあって調べてて……」
「あ、あの、私に出来ることなら、協力できます。その、お店の場所とか……」
「……嬉しいけど、リーシュを巻き込むのは本位じゃない。危険かもしれないからーー」
「危ないんですか! 尚更協力します! そ、その、私も、前にジンさんにお世話になったので……」
「ジンなのに僕?」
「いえ、その、ジンさんは、王子の騎士様なので、王子の手助けができたら、お返しに、なるかなって……」
「お返し??」
「ほ、ホワイトデーに、チョコレートを、頂いたのです、その、私、バレンタインで渡せなかったのに……」

 キリヤナギは、まるで寝耳に水のような表情でフリーズしてしまった。「あのジンが??」っと言うか感想がまるで電撃のように走り、返す言葉が出てこない。

「ふ、ふーん……」
「王子??」
「い、いや、なんでもない。僕、その話聞いてなかったからびっくりしただけ」

 彼女はキョトンとしていたが、キリヤナギにとっては本当の意味で信じられず受け入れ難くもあった。

「殿下、おかえりなさい」

 グランジと共にリビングに戻ると、ロバートはおらず、ジンがお茶を用意して迎えてくれた。セオではない違和感もそうだが、リーシュの言動が頭から離れず思わずじっと見てしまう。

「なんすか?」
「……うーん、なんでもない」
「何もないって雰囲気じゃないっすよ??」
「ロバートは?」
「誕生祭の会議だって言ってました」
「今夜、久しぶりに出かけたいと思ってて」
「わかりました。準備しますね」
「グランジと二人がいいから、ジンはロバートをなんとかして」
「えぇ……」
「仲良いじゃん」
「そ、そう見えます??」

 ジンは少し困っているが、キリヤナギは、昼間のリーシュ話でジンを連れて行きたくないと考えていた。それは、その日向かう場所に関係がある。

「どこいくんすか?」
「言わない」
「……」
「グランジにも行ってから話す」
「わかった」

 ジンは、しばらく困っていたが渋々了承してくれていた。
 誕生祭の会議は大幅に長引き、キリヤナギは夕食後もロバートと顔を合わせることなく外出する。
 衣服は目立たない洋装で出て行ったキリヤナギは、宮殿を出た後、カフェのトイレに入り、ワックスで髪型をわずかに弄り伊達メガネをかける。

「印象変わった?」

 グランジに観てもらうと、彼は頷いてくれていた。伊達メガネは、その日の放課後にグランジと寄り道して買ったもので即席の変装にも近い。

「珍しい……」
「身分ばれたら警戒されそうだし? 現金足りるかな?」
「それだけあれば問題はない」

 初めて向かう場所に不安は募る中、二人は目的の店へと向かう。夜の街をタクシーで向かった先は、薄暗いなかネオンが輝く飲み街だった。
 仕事終わりの人々が集い、女性の客引きが目を引く中、あかりの輝くビルの3階に目的の店はあった。
 人が多すぎず、少なくも無いその店は、女性バーテンダーが男性顧客に酒を提供するガールズバーで、ここはサザンカグループが名を連ねる店舗の一つでもある。

「お、初めてのお客さん。ご機嫌よう」
「こんばんは、お邪魔してもいいですか?」
「もちろんです。2名さま、テーブルもありますけど、カウンターとどちらが良いです?」
「どっちがいいんだろ……」
「そこからですか?」

 ガールズバーのシステムをよくわかっていない。グランジは見かねてキリヤナギをカウンターへと連れて行った。

「貴族さんですよね?」
「わかる?」
「雰囲気で、ここはイベリス卿が住んでる街でもあって使用人さんがよく来るんです」
「へぇー」

 ここはクランリリー領の中で下町とも言われるイベリス町。この土地は、コノハナ町を収めるイベリス卿が住んでいて、彼は二つの土地を治めていた。

「コノハナ町って、駅があるからよく領主変わるよね」
「そうですねえ、本当領主様によって治安とか全然変わるし、困ったもんですよ」
「イベリス卿はどう?」
「私は不満はないですけど……」
「はぁ?! 問題ありありだろ!」

 バーの店員は、割り込まれた声に驚き苦笑していた。バーテーブルに突っ伏して叫んだのは、執事服を着崩し酔いが深みに達している中年らしき男性だ。

「イベリス卿は、清浄だったコノハナ町を汚染した悪徳領主だ。街を繁栄させるとか言って、キャバクラやら飲み屋ばっかり誘致して、市民に酒を飲ませて税金をふんだくる。その税金を市民に還元するのかと思えば、金に困った飲食店ばっかり支援して、町外に働きに出てる市民にはなんの還元もない。住むだけ働き損だよ!!」
「そう言うお客さんは、イベリス卿に何年仕えてるんです?」
「15年だよ!」
「長すぎますってー!」

 バトラーらしき男は、さらに酒を煽り店員の一人に水を提供されていた。それもまた飲み干したあと、彼はキリヤナギを睨む。

「貴族さんなんだろ? 護衛連れて視察かい?」
「そんなんではないんだけど、ちょっとコノハナ町に興味あって、どう言う場所なのかなって」
「へぇ、若いくせに土地を吟味かい? なかなか家大きそうじゃん」

 オウカの土地は、主に自治権の売買によって権利が移動する。つまり、地主から買い取れば、誰でも地主、領主になることができる。
 この場合コノハナ町は、イベリス卿が自分の収めるイベリス町ともう一つ、コノハナ町を買い取った為、イベリス町と並んで自治権を所有していると言う事だ。
 この使用人男性の言い回しは、キリヤナギがどこかの家の御曹司であり、コノハナ町を買い取る為に『視察』にきたのだろうと考察している。

「イベリス卿の使用人さん? コノハナ町って結局どうなのかな?」
「若いだろうし警告してやる。絶対にやめとけ、騎士団につれてかれるぞ?」
「ほんとに??」
「今はバレてねぇのか泳がされてるのか知らねぇけどさ、イベリス卿はあらゆる飲食店から『税金』って形で受け取った物に『寄付」って形で好きなだけ上乗せする制度をつくってんだよ」
「寄付?」
「綺麗な言い方だろ? でも本当の意味は『賄賂』だ」
「……!」
「寄付の行き先は、労働者への支援を歌ってるが、寄付すればする程、店は優遇されて、有名人の広報やら犯罪の揉み消しまでやってくれる『良い領主』だ。しかもイベリス卿は、コノハナ町の自治権をもう何年も前から売りに出してる。わかるだろ?」
「……」

 つまり自治権を買い取った新しい領主に、その罪を全て被せようとしている。
 キリヤナギは、何年も前からコノハナ町の自治権が安価で売りにだされながらも、周辺の地主達が誰も買い取らないことを不審に思っていた。それが、自治権の買取によって責任が問われる可能性があるのなら、確かに誰も欲しがらない。

「それは、イベリス卿のせい?」
「全部じゃねぇ。ある程度は元々あったらしいけどさ。それを拡大させたのは間違いねぇな……はぁー」
「しゃべりすぎですよぉ……」
「ウルセェ! 警告してやってんだよ!」

 キリヤナギは、しばらく呆然としていて言葉に迷っていた。彼の言葉は、キリヤナギの行動の先を見越した気遣いでもあって判断にも迷ってしまうからだ。

「おじさんはイベリス卿の使用人なんだよね? なんで15年も?」
「お兄さんだ!!」
「ご、ごめんなさい……」
「この土地を買い取った時、あの人はまだ若かったんだ。あんたと同じだよ、親父が土地持っててさ、影響力ってか市民票のために、買った土地を息子に譲渡したんだ」
「……」
「当時の坊ちゃんは、この土地をよくするんだって意気揚々としててさ。色々勉強してて俺らも気持ちよく支えてたわけよ。でも、親父さんが遊びに来るってとき、親父さん不慮の事故で亡くなったんだわ」
「事故?」
「ニュースしらねぇか? 若いな。遊びに来る途中で、赤信号で突っ込んできた乗用車にぶつかって、運転手と一緒に死んじまった、坊ちゃんはこことコノハナ町を突然任されることになり、キャパオーバーで荒れに荒れてこのザマだよ」
「責めれないね……」
「俺は坊ちゃんが全て悪くないとは思わねぇ、あの時、どうしようもない坊ちゃんは、俺ら使用人の声すら聞いてもくれなかった。塞ぎ込みたかったのはわかる。奥さまも病気で亡くされててさ、兄弟もいなくて孤独だったから、でも、坊ちゃんはずっと支えてた俺らなんかより、コノハナ町をほぼ独占してたサザンカを取ったんだ」
「サザンカ……!?」
「ビビるだろ? コノハナ町の大企業だぜ?」
「……」
「坊ちゃんはそれまで、サザンカとはあくまで対等な付き合いだった。でも、親父さんを亡くされて、擦り寄ってきたあいつらに心の支えを得たんだ」
「それは……」
「サザンカグループの代表知ってるか?」
「スズカさんだよね」
「あぁ、今は公開されてねぇけどさ、その子供の一人が、坊ちゃんの現妻だよ」
「シャクヤ……??」
「そ、本名はアヤメ・イベリスになって、俺らはもうあいつらの言いなりってやつ? シャクヤは前旦那の名前だな」
「……」
「は、驚いた顔おもしれー」

 店員は、もう割り込む隙もなくなり、苦笑していた。キリヤナギも驚きすぎて言葉が出てこず、呆然としてしまうが、少し間を置いてから質問を返した。

「シャクヤさんには、確か子供がいたよね……?」
「へぇー、よく知ってんじゃん。ご明察。奥様には子どもがいる。あとはご想像通りだよ」
「……まだ、取られて無いね?」

 キリヤナギの言葉に、彼は眉を顰める。アヤメ・シャクヤは、おそらくイベリス家の財産を狙っていたのだ。天涯孤独な伯爵の財産をアヤメ・シャクヤは、子ども、ナツキ・シャクヤへ存続させようとしている。しかし、子供の名前はナツキ・シャクヤから変わって居ない。

「あ、当たり前だろ! 旦那様が坊ちゃんの為に残した財産だ。あんな女に渡してたまるか!!」
「お、お客さん、この人は関係ないですって!」
「は、わ、悪い……」

 男性の激昂に、キリヤナギは苦笑で返していた。
 彼は一人の使用人として、戦い続けてきたのだろう。長く共にしてきた主人が、全てを失わないよう、過ちを知りながら抗い続けている。

「……まぁ、コノハナ町はそんな感じだ」
「よく分かった。ありがとうございました。最後にもう一つだけ、聞いて良いですか?」
「怒鳴っちまったしな。……出来るだけ答えてやるよ」
「貴方が、イベリス家に仕えるのは何故?」

 バトラーの男は、眉を顰めしばらく黙っていた。そして大きくため息をつき、小声で述べる。

「若い頃の、坊ちゃんが俺は大好きだった。それ以外ないよ。今はもう当時ほどの感情はないけど、いつか戻ってくれねぇかなって思ってる、そんな時代もうこねぇんだろうけどさ」
「そっか。土地選びの参考にさせてもらうね」
「女の子と話に来たのに、俺ばっか喋って悪かったよ。もう帰るわ」
「情報量いくらぐらい?」
「初めてなんだろ? きにすんなよ」
「そう言わないで」
「なら割り勘で、」

 キリヤナギは、現金で男性の半分の金額を払い、彼を見送った。どこか哀愁が漂う彼の背中をキリヤナギは見えなくなるまで見送ってしまう。
 それを見ていた女性店員は残ったキリヤナギへ、さらに気さくに話しかけてくれた。

「へぇ、ここって未成年の人も働けるんだ?」
「はい。一応ガールズバーっていうので、若い子のためのお店です。流石に高校生とかはダメですけど」
「年齢別であるのは知らなかった」
「お客さん本当にはじめてなんですね。やっぱり情報収集ですか?」
「収集のつもりはなくて、ここの人がどう生活してるのかなっていうのが知りたくてさ」
「そういうのを収集っていうんですよ」
「言われたらそうかも?」
「あはは、でも、お客さん。確かに不思議な雰囲気もってるかも?」
「雰囲気?」
「なんだろう。普通の人よりキラキラしてると言うか、安心させる? でも冷ややかなんじとか?」
「よくわかんないけど、」
「私もどう言えば良いかわからないですけど、話したくなる雰囲気があります。こう柔らかい感じ」
「喜んでいいのかな?」
「いいですよ! 自信持ってください」
「それなら君も、僕に話したいことある?」
「話したいことかぁ、うーん。言いづらいことはありますね」
「なんだろう?」
「私ここの企業から、来月に別店舗に移動して欲しいってお願いされてて、グループ企業店舗とは聞いてるんですけど、調べたらちょっとルール的に危ないキャバクラ、と言うか……」
「いいの? それ」
「わからないんですけど、この店舗は本当クリーンで心配もしてなかったけど、移動でそっちに移されるならやめようかなぁとか」
「それ、君以外にいたりする?」
「いると思いますよ。私はこの国のルールを学ぶ大学いっててよく知ってますけど、普通は知らないと思うし」
「そうなんだ。入試大変だったんじゃない?」
「はい。うちは片親で、ママだけに苦労させたくなくてここに来てるんですけど、移されるのはやだなーって、でも、20歳になったらここは卒業とはいわれててるし、どうしようかなって」
「オーナーさんに伝えてる?」
「一応は? 返事はもらえてないですね。ルールのことを話しても無視されちゃったし、やっぱりさっきのバトラーさんの話、マジなのかなぁ」
「本当のことはわからないけど、僕は退職が良いと思うなぁ」
「お客さん。貴族さんの雰囲気隠せてないですね」

 思わず息が詰まってしまった。彼女が運んでくれたお酒は、甘くてとても飲みやすく気分も良くなる。

「いいなぁ、私ももっとお金持ちになりたい」

 思わず溢れた本音に、キリヤナギは言葉を返すことはできなった。何ができるだろうかと考えても、今のキリヤナギは彼女だけを特別に扱うことはできないからだ。
 久しぶりに飲んだ酒が回り、ぼーっとしてきたキリヤナギは、グランジに担がれながら宮殿へともどる。
 日付が変わるギリギリの帰宅に、ロバートは血相を変えて叫んだ。

「どちらへ行かれたのですか!」
「言わないけど……」
「王子という身分の貴方が、こんな時間まで外出されるなど……」
「また僕を子供扱いしてない??」
「ロバートさん、もう制限ないんですって……」
「タチバナ卿! 殿下の護衛はお二人だと、ストレリチア卿に伺っておりますよ! 何故ご同行されなかったのですか!!」
「僕、疲れたから先に寝るね」
「殿下! お話はまだ終わっておりません」

 キリヤナギは無視するように、自室へ戻ってしまった。ロバートは何故か両手に手を当てていて、ひどく落ち込んでいるが、グランジは無視して事務所に戻り、ジンだけが残される。

「何故、何故……」
「いつもあんな感じなんですって……」
「この時間のご帰宅が?!」
「そういう意味じゃなくて態度? と言うか朝帰りとかじゃないし気にしても仕方ないですよ」

 ものすごい形相で睨まれてジンは困惑するが、その気持ちも理解はできていた。
 本来なら18時には退勤するはずの彼がいたのは、やはり心配だったからで、これを機にグランジもまた少し見直したように意識が変わってゆく。

 そしてそれは、キリヤナギもある程度はわかっていた。うまく気遣えなかったのも、先程のイベリス家のバトラーの話が頭から離れなかったからで、キリヤナギは徐に録音していたその音声を、もう一度デバイスから流す。
 今日の外出は、サザンカグループに属する店員から、何か探れないものかと足を運んだが、店員以上の人物に遭遇して運が良かったとすら思う。しかし、心は迷っていた。
 今日の事が全て暴露されれば、必ず失職者もでて働き口がなくなる人もでてくる、イベリス卿もどうなるかはわからない。
 あのバトラーや女性店員へ思いを馳せると、脳裏へツバサが過ぎった。
 彼ならば多分何もかも許さない。感情論を挟まず粛々と行使して正常化する。そう確信があるのは、ツバサが自身の正義を貫くことに犠牲を厭わないからだ。

 次の日の早朝、グランジは休日を利用して、クランリリー領のとあるオフィス街を歩いていた。昨日と同じ私服で、顔には医療用の眼帯とマスクで覆うグランジは、とある企業ビルのポストへ、何かを放り込んで去ってゆく。
 本来なら読まずに捨てられるはずの紙切れは、その企業の女性社員に発見され、社内へと持ち込まれた。

「タレコミでしょうか?」
「……防犯カメラは?」

 社員達がポストの付近のカメラを見るとそこには、春物のコートに眼帯とマスクの男がいるだけだ。
 この企業の仲間には、同じように宮殿の情報を持ち込む人々がいて、社員達は今回もそれだと断定する。

「張り込む価値はあるか。明日の午後から待機するぞ」

 社員達の頬は緩み、皆が一斉に準備を始める。

「眠い……」
「大丈夫かよ」

 大学での午後、早朝から登校したキリヤナギは、朝からの眠気が覚めずぼーっとしながらパンを齧っていた。
 セオが謹慎となってからと言うもの、忙しくしているロバートへお弁当を頼みづらく、キリヤナギは今週から大学の売店にて惣菜パンを購入しお昼を済ませている。昼から合流したヴァルサスは、普段と調子が違うキリヤナギを心配そうにみていた。

「二日酔いかなぁ……」
「酒のんだのか?」
「うん。初めてガールズバーに行ってみたんだけど、思ったよりお酒強くて……」
「王子、意外と遊ぶじゃん」
「話しただけだよ。お酒美味しかったし」
「今度俺も連れてけよ」
「え、高かったけど大丈夫?」
「いくら?」
「七千ぐらい」
「そのぐらいならいけるぜ?」
「じゃあ今度声かける」

 再び行くつもりはなかったが、ヴァルサスが行きたいなら通ってみるのも悪くはない。話自体は楽しかったし、欲しい情報も手に入ったからだ。

「二日酔いって、あれじゃね? 運動不足とか?」
「そうなのかな? でも確かに最近はちゃんと訓練できてなくて動き足りないかな。日曜日は寝込んでたし」
「また体調ぐずしたのか……?」
「ううん。久しぶりにアレルギーが酷く出てさ。薬のせいで眠くて……」
「アレルギー? 初耳だぜ?」
「メントールがダメなんだよね。バトラーが変わったから引き継ぎできてなくて……」
「お前、俺のタブレット断ってたのそれかよ。そう言うことは最初に言えって……」
「ごめんー……言うなって言われてて……」

 サザンカに伝わったのなら、そのうち週刊誌に書かれそうにも思う。ヴァルサスは反応に困っていて話した事を少し後悔していた。

「訓練ってまだ結構やってんの?」
「週に何回か? 騎士のみんなと一緒にやったり、ジンとグランジに遊んでもらったり……でも、昔やった時と比べて頻度は落ちたから動き足りなくて」
「そんな動きたいんなら、ジムでも行けば良いんじゃね」
「ジム?」
「放課後とか、空き時間に行けるスポーツセンターだよ。ランニングマシーンとか、筋肉鍛える器具とか、大きいとこなら水泳とかできるぜ」
「へぇー、行ったことない」
「実は俺もないんだよ。この後いってみるか?」
「いく!」
「お、今日はノリいいじゃん」

 体を動かせば、きっと頭の中の整理ができる。ヴァルサスと共にどこのジムへ行くか話し合っていると、先日顔を合わせたリーシュが通っていると話していた。

「リーシュちゃん、ジム行ってんだ?」
「みたい? 教えてもらえるかな」

 深く考えないまま、リーシュへと連絡をとると彼女は快く応じてくれて、放課後に騎士を交えた四人でスポーツジムへと行ってみることとなった。
 そして三限のおわりに二人はかなり距離をとって隠れる彼女に出会う。

「ヴァ、ヴァルサスさん!! お、お久しぶり、です」
「リーシュちゃん、今日はよろしく」
「は、はい! あの、わ、私の通ってる所で、いいのです、か?」
「うん。ふうしゃ?」
「風車会です。えーっと、数年前にエクササイズが、流行ったの、覚えておられますか?」
「なんだっけ、たしかライジング・エクササイズ?」
「ヴァルサスさん、そ、それです! 風車会は、ライジングエクササイズ、通称ライエクを考案した、ジムで……私もそれがきっかけで、姉様と……」
「流行ってたんだ、知らなかった……」
「王子ほんとそう言うのに疎いよな……」

 話していたらジンが現れ、四人は路線バスにのってリーシュの通うジムを目指す。

 先日リーシュが写真を撮ってくれた店の向かいの建物は、クレマチスの葉がロゴに描かれていて、風車会・ライジングスポーツセンターと大きく広告されていた。

「ここ、フュリクス君のとこじゃないです?」
「え??」

 中に入ったジンが、入り口にかけられている賞状のようなものを指さしていた。そこには、ここにきた顧客向けのメッセージと共に取り締まり役のライガ・クレマチスと言う名前がある。

「本当だ……」
「フュリクス君が、叔父さんが首都にいるって言ってました」
「世間狭い……」
「ジンさん、知り合い?」
「ちょっとした縁です」
「み、みなさん。受付、ここ、こっちです!」

 カウンターにいる女性案内され、3名は利用登録を行い、リーシュの紹介特典で数時間の無料優待を受けられることになった。
 早速動きやすい衣服に着替えた皆は、案内インストラクターの指示に従いつつ、準備運動から始める。

「面白そうな機械沢山ある……!」
「こう言うのは、王宮にねぇの?」
「宮殿はプールぐらいっすね。あとアスレチックとか?」

 リーシュは一人ランニングマシーンに向かってトレーニングを始めていた。
 3人は興味津々なキリヤナギに付き添う様に一つ一つ器具を周り、へとへとになった所でランニングマシーンへと辿り着く。

「やっべぇ、どれもできねぇ……凹むわ」
「最初はそんなものなんじゃ?」
「リーシュずっと走っててすごい……」

 一人黙々と走る彼女は、水分補給をしながら滝のように汗を流している。3人も後から肩を並べて走るが、長く走ると早々に疲れが来てヴァルサスから座り込んでしまった。

「ランニングが一番手軽だけど、思ったより辛え……」
「楽しい……!」
「大丈夫です?」

 ジンから水を渡されるヴァルサスの横で、黙々と走るリーシュは、慣れているのだろう。
 キリヤナギはランニングマシーンに乗り、ガラス張りの壁から向かいのビルを見下ろしていた。
 明かりすらついていないビルは、当然人の気配もなく夜の店なのだと言うのもわかる。

「そろそろ帰りません?」

 1時間ほど軽い運動をしたところで、時計を見たジンが口を開く。気がつくと間も無く日が暮れる頃合いで、夕食の時間も近い。

「ぇー……」
「いやです?」
「ジンさん、王子の門限早くないすか?」
「別に無理強いはしないんですけど、一応?」

 気がつくとリーシュも休憩に入っている。帰宅するには確かキリがよく、無料優待も切れる時間だった。

「じゃあ、今日は帰る」
「今日は……?」
 
 含みはある言葉に、ジンは少し不安になっていたが、3人はその後、早々に荷物をまとめスポーツジムを後にした。
 バスでオウカ町へと戻ってくる最中、体はかなり疲れていて皆が喋らないまま、城下へともどってくる。

「じゃ、俺は帰るぜ。楽しかったわ、サンキュー」
「うん。ヴァル、お疲れ様」

 手を振って夜の街に消えてゆく彼を、3人は見送る。オウカ町まで一緒に戻ってきたリーシュもぼーっと彼を眺めていた。

「リーシュさんは……」
「は、はひ!? わ、私はお、お姉様の顔をみて、一緒に、かえろうかと……」
「じゃあ、王宮だね」

 キリヤナギが歩を進める最中、リーシュとジンは一度も目を合わせていなかった。そもそもリーシュは恥ずかしがり屋で、一緒に歩くことも少ないが、キリヤナギが思っていたほど二人の仲は進展していないように見える。
 恥ずかしがり屋の彼女を後ろにして、ジンとキリヤナギで肩を並べる最中、キリヤナギは隣のジンへ小声で口を開いた。

「ジンって、リーシュと仲良いの?」
「え?」

 ジンの反応は考えてもいなかったようでがっかりもしてしまう。無粋な質問にキリヤナギは反省してため息をついた。

「カレンデュラで、訓練に付き合ってもらった感じです」
「ふーん……」

 チョコレートはお礼だったのだろうが、本当に『お礼』なら感覚がズレているように感じる。

「誤解生むようなことしたらダメだよ」
「……殿下に言われたくないんですけど?」

 確かに人のことは言えず、キリヤナギはそれ以上話すのはやめた。
 
「あ、あの……!」

 後ろにいたリーシュは、いつの間にか回り込んで二人の前に立っていた。彼女は顔を真っ赤にして、何か堪えるように口を開く。

「わ、私も仲間に入れてください……!」
「……リーシュ」
「ジンさんに、チョコレートのお礼がしたいので……」
「チョコレートは、訓練の、お礼だったんですけど……」
「わ、私の気持ちが収まらなくて……! お願いします!」
 
 リーシュは恥ずかしさを必死に抑えていた。普段の彼女にはできない。勇気を振り絞った行動だろう。
 キリヤナギは、ジンの少しだけ困った表情をみて、呆れつつ述べた。

「わかった。じゃあ、僕の考えてることを全部リーシュにも話す。でもまだ、ジンにもグランジにも話してないんだけど……」
「そ、そうなんですか!?」
「うん。でももう時間はない。全てうまくいくまでは、誰にも話さないで」
「わかり、ました!」

 キリヤナギは、リーシュへ明日また合流する約束をして別れた。
 普段通り帰宅して、食卓へ向かうキリヤナギを見送ったジンは、残されたロバートはため息をみてぎょっとする。

「私には、殿下のお考えがよくわかりません……」
「今日はちゃんと帰られましたけど……」
「私はこちらにくる前、セオ・ツバキ殿の業務日誌も読ませていただきましたが、ここ数日、それと同じような事は一度も起こっておらず、私には私にだけの態度をとっておられるのだろうと……」
「それは、しょうがないんじゃ??」
「王家専属のバトラーでありながら殿下の自然な日常をサポートできないなど、私は今まで何を学んできたのか……!」
「まだ水曜日だし……5日目すよ……」

 ジンは、こうして毎日繰り返されるロバートの愚痴に、僅かながらウンザリしてきていた。仕事がうまくいかず自身の思った成果をあげられない気持ちは理解できるが、ロバートの話す評価とは、キリヤナギと言う個人から向けられる評価であって、使用人としてのロバートと評価ではないからだ。
 王子であるキリヤナギは、物心ついた頃からセオがおり、その評価は必ずセオが基準となる。当たり前となっていたサポートから比べられ、そこに及ばないのなら、『褒めてもらえない』のは当たり前だからだ。

「ロバートさんなりに、やればいいと思います」
「ありがとうございます。しかし、やはりもどかしいのです。私はこれまであらゆる貴族の方々に評価され、ご満足頂けるご奉仕をしてきたつもりでした。でもここでは、そんな『手ごたえ』は何も感じない」
「……」
「まるで水をつかむような感覚です。掴もうと努力しても、形がなくどうしようもない。これは一体どうすれば……」
「俺は騎士なんで、あくまで客観視しかできないんですけど、殿下が平和に日常やれてればそれでいいんじゃないすか?」
「それでは、バトラーは務まりません。専属のバトラーとはお支えするものであり、何もお話して頂けないのは、やはり意味が……」

 ジンは、返す言葉もなく困ってしまった。キリヤナギからの信頼は、そもそもセオにすらもあったかどうかも怪しく、ジンすらも未だ聞かされていない事が多くある。
 ジン、セオ、グランジの3名は、話されなくともキリヤナギが「そうしたいならそれでいい」と肯定してきたが、ロバートはそうではないらしい。

「あんまりそう言うの、押し付けない方がいいと思いますけど……」
「そんなつもりは……」
「なら今は、反応あるまで粘るしかないんじゃないです?」
「……はい」

 良いことを言えたとは思えないが、セオが戻ってくるまでの辛抱だとジンは、出てきそうな言葉を堪えていた。

「ロバートさん、辛いです……」
「ジンの弱音初めて聞きたんだけど、大丈夫??」

 ロバートが退勤し、3人だけになったリビングにて、ジンは思わずテーブルへ項垂れて口にしてしまった。
 キリヤナギとグランジが『嫌い』と話していた理由がよく理解でき、彼が退勤した瞬間一気に過労が来てしまう。

「何話してるの?」
「朝からずっと評価されないとか、うまくいかないとか、どうすればいいかわからないとか言われて、もう何答えればいいか分からないです……」
「ふーん。でもボタンの人達は、今まで初めて会う人か、時々来る人に対してしか仕事してこなかっただろうし、その感想もわかるんだよね」
「マジっすか……」
「宮殿に泊まるときのサービスって、どのホテルよりも負けない、いわば至高のサービスを提供しないといけないから、大変なんだけど、その分、泊まった人達から感謝されたり、メディアで褒められたりしてやりがいはあるみたいでさ。それをロバートは当たり前に受けてきたら、やっぱりここにきたら温度差あるよねって」
「そう言うもんなんです……?」
「僕はこの宮殿の客じゃなくて住人だから、そう言う評価を期待されても困るし、常に感謝を求められても、何回ありがとうって言えば良いのかわからないかな……。嬉しかったら言うけど、まだそんなに嬉しい事はないし……」
「直球……」
「僕、今丸腰なんだけど……?」
「そうでしたね……」

 騎士称号をもつ、武器のない騎士に価値はなく。その価値を奪ったのはロバートで、彼はキリヤナギを『王子と言う庇護されるべき存在にした』とも言え、それは武器が戻るまで続くからだ。

「でも今のロバートは、ジンがいないと心の支えがないんだよね」
「支え?」
「今まで実力で評価されてきて、褒められて保ってたモチベーションは、それがなくなったら、仕事への原動力もなくなってしまいそうでね。どうしようかな……」
「セオが戻ってきたら解決ですよね?」
「……そうだけど、ロバートの救いにはならないからさ」
「正当に評価される場所へ戻れば良い」
「グランジもジンも排他的すぎて論外!」

 ジンは、話を聞いていて不思議な感覚を得ていた。ロバートと話すのが辛いと言うジンに対し、ジンやロバートを攻めるのではなく、ロバートに対しての救いを考えているのはとても意外だからだ。

「殿下は、ロバートさん嫌いなんですよね?」
「うん。嫌い。あのタイプは優しい人を食い潰すからさ。でも、そうならざる得なかった理由があると僕は思ってて、それは本人のせいではなくて、まわりの圧力もあったんじゃないかなって」
「……」
「人を変えるのは、本人の努力もあるけど、少なからず周りの影響下にもあって、どう言うアプローチをすれば変われるかな? って言うのはいつも考えてるかな」
「クズにリソースを割くのは時間の無駄だ」
「グランジは言い過ぎ、お腹空いてる?」

 頷いた彼に、ジンはキッチンの冷蔵庫にあるおやつを出してきた。住み込みの騎士なら食堂はほぼ無料で利用できるが、量には制限もあるからだ。

「でも、明日どうにかするんですよね」
「うん。リーシュにも明日伝えるつもりだけど、二人には先に話しておくね」

 キリヤナギは、考えていた事の全てを目の前にいる二人へと話した。そしてその作戦は、もう始まっていることを告げられる。

「危険じゃないっすか?」
「僕は心配してないよ。二人がいるしね。それに明後日の査問会に間に合わせるにはこれしかない」
「……」
「やってくれる?」

 改めて問われたことに、ジンとグランジは間を置いたが、そこに迷いはなかった。

「……わかりました」

 グランジもまた、力強くうなづいていた。

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