木曜日のその日、早朝からリーシュと合流したキリヤナギは、彼女へ作戦を全て話し、準備作業へと入ってゆく。
ジンとリーシュと共にスーツ店へと足を運んで衣服を見たて、装飾店で黒のサングラスと帽子を入手したキリヤナギは、通信デバイスを高頻度で確認しつつグランジとも連絡をとっていた。
「そろそろ授業だし、一旦大学にいくね」
「は、はい。ごごごご、一緒しま、す」
「付き添いますね」
二限から授業を受け、普段通りに日常をこなす。
大学では今日で立候補者の募集が終わり、明日の生徒会にて候補者の告知を行なって、来週半ばから投票が始まる。
「来週半ばから誕生祭の練習ぅ……」
「また投票に参加できないの? お気の毒ですね」
タイミングが悪すぎる。
今季の生徒会のスケジュールは、より早期に役員を決める為、候補者の選挙活動期間をかなり減らして行われることとなった。よって投票期間が重複しないのは、来週の三日間のみで、それ以降は投票期間を含めたわずか一週間となる。
今季のキリヤナギは、サザンカの一件と時間割の関係で、朝の登校時間に合わせた選挙活動などが未だできておらず、立候補だけの投げっぱなしの状態でもある。
「ここ最近忙しそうだけれど、何かされておられるの?」
2日ぶりのククリールとは、その日二限を席を並べて受けられ、キリヤナギはとても心地が良かった。終わってからもこうして二人で屋内テラスに来れる事がとても幸いにも感じている。
「ツバキの件で、宮殿がゴタゴタしててさ……」
「あら、新しいバトラーは? 合わないの?」
「あんまり人を評価したくはないんだけど……」
「お弁当が無いのはそう言う事でしょう? 素直に言えば良いのに」
「最近は、ちゃんと感情は伝えるようにはしてるけど、本人がいないところで言うのは陰口になるからさ、良くないし?」
「私としては、直接伝える方が残酷だと思いますけど?」
「そうだけど、それだと解決はしないからさ……」
「人を変わって欲しいと願うのは、傲慢ではなくて?」
「それは、そう……」
相手への期待は、持つだけ無駄に等しい。他人は思い通りになるわけがなく、お互いに「妥協点」を見つけてゆくことが関係を続けるコツでもある。
「いつも思うけど、ほんとずっと何か考えてますよね」
「そう見える?」
「何もしていないところを、見た覚えがないから……」
「あんまり意識してなかったや」
ククリールが言うならそうかもしれない。確かに考えることは好きで、何も考えないことがよく分からない。
「ちゃんと休んで下さいね」
「ありがとう……。あのさ」
「なんですか?」
「……今年の騎士大会。個人戦なんだけど、新人の騎士だけの大会で、メディアは来ないし、よかったら見に来ない?」
少しだけ勇気のいる言葉だった。
去年突然消えた彼女をこうして誘うことは、果たして地雷ではないのだろうかと、言葉にすることにも悩み、声をかけるべきかも悩んだが、何もしないぐらいなら話して断られる方がいいとキリヤナギは考えていた。
「ふふ、ありがとう。でも、一人は気が引けるのでアゼリアさんとアレックスも誘っていいかしら?」
「……もちろん!」
キリヤナギは心躍る気分だった。
そのまま三限四限ともにククリールと受講した彼は、放課後にグランジと合流して宮殿へと直帰する。
夕方までの間、自室で一人本を読んで過ごしていたキリヤナギは、着信を知らせたデバイスを即座に取った。
「クレイドル……こんにちは」
「ご機嫌よう。殿下、この度はご協力を感謝致します」
「なんの話かな?」
「これは失礼、ここ最近は風車会のジムが話題になっており、私も今夜仲間と共に立ち寄ろうかと考えております。殿下も通われておられると耳にいたしましたので」
「恥ずかしいな。前に学生の友達リーシュと行ったんだ。ツルバキア家の子で、今夜も騎士と一緒に行くつもり」
「そうでしたか。なら『偶然鉢合わせすることもある』かもしれませんね」
「そうだね」
「夜になるでしょう。キリヤナギ殿下、どうかお気をつけて」
「クレイドルも、わざわざありがとう」
キリヤナギは何ごともなかったかのように通信を切る。そして、その日の食卓を済ませた後、彼は暗い首都の街へジンとグランジを連れて出掛けてゆく。
該当店舗の向かいのジムへと入ったジンとキリヤナギは、30分ほど施設を利用し、退出時に午前に買ったフォーマルな衣服へと身を包む。サングラスをかけて帽子を被ると、顔が隠され誰かわかり辛くなった。
「かっこいい?」
「似合ってます」
一方でグランジは、カジュアルなジャケットのみだ。二着とも動きやすい服を選んでいて、走っても問題はない。
「お、お、おまたせ、しまし、た!」
人の少ない待合室で赤のマーメイドドレスを着て現れたのは、顔を真っ赤にして震えるリーシュだ。メイクも完璧な着こなしは、まるで別人のように見える。
「リーシュ、お姫様みたい」
「は、はひ!?? きょうしゅくです……」
「何時から開店でしたっけ?」
「多分21時かな。会員制? の雰囲気あるから上手く入れたら良いんだけど……」
「うまく、やってみます、たぶん、大丈夫です。だめだったら、ごめんなさい」
「ダメなら素直にら諦めるよ。じゃあグランジ、あとはよろしく」
グランジは、一人喫茶店に残り手を振って見送ってくれていた。
日も完全にくれた夜の街に、黒のスーツは溶け合い三人は、闇に紛れながら店の前へふらっと現れた。
ジンとキリヤナギと同じく黒服の男たちが警備するカウンターは、金のドレスを着た受付嬢がおり、リーシュはまるでモデルのように堂々と歩みよる。
「こんばんは、こちらでとても面白いゲームができると聞いて伺ったのですが」
「ご機嫌よう。ようこそ、会員証をご提示下さい」
「それは持っていないの。友達から噂を聞いて興味が湧いたので来てみたのだけど、入れてくださらない?」
「ご友人、とは?」
「……ナツキ・シャクヤ」
受付嬢の顔が凍り付いたのを、ジンとキリヤナギは見逃さなかった。
ここでこの名前が出てくるのは、ナツキ・シャクヤの母、アヤメ・シャクヤが元サザンカの人間である事を知っていると言うことになるからだ。
「どのような、ご関係で……?」
「ナツキちゃんが前に勤めていた伯爵家がママの取引先だったの。ご挨拶に伺った時、ここの事を話してるのたまたま聞いたのです」
「それは、ご友人では、ないのでは?」
「あら、語弊がありました。ごめんなさい。とても興味があるのは本当なの、どうか私も混ぜていただけませんか?」
リーシュは、カバンに輝くバックチャームを受付嬢へと見せる。
その形をみて受付の彼女は驚いていた。そのマークはかのコルチカム商会を運営する、ツルバキアの家紋だからだ。
「その辺の貧乏人とは格が違うと思うのですが、如何です?」
リーシュは、更にカバンから大量の現金と黒のカードを取り出してキスをする。
「た、担当の者に確認致しますのでしばらくお待ち下さい」
駆け足で裏へゆく受付嬢を見送り、リーシュはエントランスにある豪華なソファを勧められる。
ジンとキリヤナギは、彼女を護衛するように真っ直ぐに立ち、こちらを訝しげに睨む男達と火花を散らしていた。
途中飲み物やお菓子なども出されたが、リーシュは手をつけず寛ぎながら返答を待っている。
「ツルバキア様。お待たせして申し訳ございません」
「遅かったですね。如何ですか?」
「はい。本日、当会の会員になることはできませんが、こちらの事は他言無用にする事を条件に、オーナーが是非参加されて欲しいとの事です」
「あら、嬉しい。楽しませていただきますね」
「ご案内致します。護衛の方もこちらへ」
リーシュは小さく笑い、女性に連れられて更に奥のカウンターへと案内された。それは現金をチップへと変える場所で、リーシュはカバンに詰められた現金を全てチップに変え、キリヤナギに持たせてホールへと向かう。
そしてまるでシアターのような扉が開けられた先に、煌びやかな空間があった。
金のルーレットや、ポーカー台だけでなく、純銀のスロットマシーンなど、リーシュのように高貴な衣服を纏った貴族達が、お酒を飲みながらカジノを楽しみ、笑い声が響いている。
「おい、あそこの台。地主が土地を賭けに出したとか」
「見に行くか」
キリヤナギは思わず首を捻りたくなるが、グッと堪え横目で見る。するとそこには青い顔をした初老の男性がいて、多くの貴族に囲われていた。
片方では歓声が上がったり、ブーイングが起こったりするカジノで、響いて来るあどけない歌声がある。
隅のステージで音源と共に歌うのは、ドレスに身を包んだ若い女性だった。キリヤナギは楽しそうに歌う彼女の目が純粋である事に、騙されている可能性をみる。
「ツルバキア嬢、こちらに初心者向けの台があります」
「案内してくださいな」
ボーイに手を取られ、リーシュは優雅にトランプの台へと連れてこられた。飲み物と共に座らされ、簡単にルールを受けたあとポーカーの練習が始まる。
ルールがよくわからないフリをするリーシュは、練習で数連敗して周りの鑑賞客に苦笑されていた。
「とても悔しいです!」
「まだ、練習されますか?」
「いえ、飽きてきたので本番でお願い致します。その方がスリルも出そうですから」
鑑賞客は笑いながら、高くつまれるチップに驚き、相手もそれに合わせて来る。配られているトランプを吟味したリーシュがカードを伏せる最中、相手もまたカードを伏せた。
そして、2人が同時に中身を見せた時、わずかな差てリーシュが得点を上回り初勝利を収める。そして、それがまぐれだと思った相手は更にチップを積みながら取られた掛金を取り返そうとする。しかし、そこから快進撃が始まりリーシュは連勝を重ね、対戦相手は真っ青になっていた。
「い、イカサマだ!」
「……! ひどいです。私は遊んでいただけなのに!」
「なん……」
リーシュは、怒鳴られたことにまるでショックを受けたような態度をとり、カバンから通信デバイスをとりだした。
そして、皆に聞こえるように大声で告げる。
「騎士様! 賭博会場でいじめられました、助けて下さい」
その場にいた顧客が、真っ青になり黒服の男達が一気に飛びかかって来る。
ジンとキリヤナギは向かって来る敵を上手く回避しながら足を引っ掛けたりカウンターを入れてゆく中、後ろへ大男がせまってくる大男を、リーシュは高いヒールをものともせず背中を取ってはそのままヒールで敵を蹴り上げた。
ジンは気づいている。彼女はこの三人の中で最も強い。
リーシュの応戦を確認したキリヤナギは、奥から向かって来る男達を掻い潜り、一人出口へと走り出した。受付の方から飛び出したキリヤナギを3名ほどの黒服の男が追跡する。
追っ手がいることを確認したキリヤナギは、帽子とサングラスを脱ぎ捨て、さらにネクタイも外して大ぶりに走った。
「助けて!」
その声は、その場にいた通行客を惹きつけ、キリヤナギは建物の間に隠れていたグランジと合流。
キリヤナギだけを通したグランジは、王子を追って来る数名の敵の前へと立ちはだかり、殴って止めてさらに威嚇狙撃で下がらせた。
「宮廷騎士団特殊親衛隊所属、グランジ・シャープブルーム。王子襲撃における国家反逆の現場に遭遇した、これより敵を殲滅する」
グランジがキリヤナギの敵へ対処する中、ジンはリーシュ共に黒服の男達に囲い込まれていた。
いくら2人でも多勢に無勢。どこから対処すべきかと考えた時、通報をうけたクランリリー騎士団が盾をもって入り口から攻め入ってくる。
黒服の男達は後ろから薙ぎ倒されてゆき、逃げようとした貴族達も全員通せんぼされていた。
「現行犯を確認しました。違法賭博店運営の容疑がかけられております。全員ご同行を」
現れたクレイドル・カーティスの言葉にその場の空気が氷のように固まる。騎士達がその声に合わせて一人一人丁寧に連れてゆく中、店のバックヤードで震えながら場を見据える男がいた。
彼は、ゆっくりと内ポケットから拳銃をとりだし、人の隙間を縫ってリーシュへと狙ってを定め撃つ。だが、それは密接していたジンの『魔術デバイス』に弾かれ、ジンは即座に前に出るが、気づいたリーシュが、ハイヒールの踵を緩め、蹴り上げるようにして靴を投棄する。
狙撃してきた敵は飛んできたハイヒールを腕でガード。視界が覆われた事でジンの接近を許した。
そのまま銃を持った手を掴み上げ床へ抑え込む。
「はなせ!! 俺を誰だとーー…」
「知らないっすよ」
「ヤマトだ! ヤマト・サザンカ! 無礼だぞ貴様ぁ!」
「……タクヤ・ツツジ」
「?!」
「アンタが使ってた偽名だろ?」
「よくしってんじゃねーか、誰だよお前」
「俺は、タチバナ。お前が唆したツツジのお嬢様の元婚約者だよ!!」
「ひぃ、打つな! 俺は悪くない!!」
取り上げた銃を突きつけられ、ヤマト・サザンカは怯えて大人しくなり、素直に騎士団へ連れてゆかれた。
終息してゆく違法賭博店での事件が折り返しを迎える中、キリヤナギは迎えにきたセシルとセスナに保護されて宮殿へと戻る。
「いやー、殿下大変でしたねー。お友達とジムへ遊びにゆかれている最中、黒服の男達から襲撃とは、本当世も末ですよー!」
「セスナ……」
「はは。殿下、ご無事で何よりです」
「グランジさんも『たまたま』逃げ出していた殿下と遭遇して対処とは、本当お疲れ様です。お手柄ですねぇ!」
持ち上げ方がわざとらしく、思わず笑えてくる。セシルもセスナも気に留めた様子もなくキリヤナギは、笑いを堪えられなかった。
「セシル、セスナ。今回もありがとう」
「火遊びは程々に……」
「ごめん……!」
「陛下も妃殿下も、心配されておられます! まず元気なお顔をみせて差し上げて下さいねぇ!」
ツボに入って笑いが止まらない。キリヤナギはどうにか宮殿に入るまでに笑いを抑え、両親へ無事を知らせていた。
夜に起こった違法賭博店のガサ入れは、ほぼ全店が同時に行われ、クランリリー騎士団はコノハナ町のあらゆる店の摘発を成功させる。
その中の賭博店には、ソラと同じく歌っていた女性たちが数名おり、彼女達もまた騙されていたことが事が確定したことから、査問会ではソラも巻き込まれた可能性を踏まえた話し合いが開始されることとなってゆく。
*
ガザ入れが入ったその日の早朝。サザンカグループの本社へ出勤してきたスズカ・サザンカは、朝のニュースをみて言葉を失っていた。
「ヤマトの馬鹿が、なんてことを……」
テーブルを殴りつけたは、騎士団によって自分の孫が捉えられたことに憤りを隠せない。
全ての手順を合法化し、それを徹底して行わせていたのに、たった一回の例外を通しただけで全て崩れたことが許せず、怒りが収まらない。
「アヤメに連絡しろ、イベリス卿に公爵へと掛け合ってもらいなさい」
「それが……」
違法賭博店摘発のニュースに続き、テレビではコノハナ町を収めるイベリス家が、多くの飲食メーカーから賄賂を受け取っていたとして家宅捜査が入ったと報道されている。その内容は多岐に渡り、賄賂の規模は数億にも及ぶ可能性を示唆されるもので、スズカはさらに絶句する。
「誰だ!? 誰のせいだこれは!!」
「わかりません……」
直後、理事長室の扉が強引に開かれ多くの騎士団が入って来る。彼らはありとあらゆる入り口を塞ぎ、令嬢すらも持っていた。
「サザンカグループ、取り締まり役のスズカ・サザンカ。貴殿に領主への違法収賄容疑を掛けられている。後同行を願う」
スズカ・サザンカは、舌打ちはしたが大人しく騎士団へと連行され、それは代々的に報道される。
これまで輝かしい栄花を誇り、多くの貴族達をもてなしてきたサザンカグループは、この不祥事によって信頼を大きく失墜し、メディアへ頭を下げる姿が報道される。
またスズカ・サザンカが騎士団へ捕縛されたことで、グループは息子たるキョウヤ・サザンカが引き継ぎ、これからは信頼回復に努め運営してゆくと謙虚な言葉で話していた。
そして、家宅捜査が入ったイベリス家は、過去の事故から重度の鬱病を発症しており、心身共を憔悴した傀儡状態であったことが判明する。これによりイベリス家の不法行為の殆どはアヤメが行なったもの推定される為、こちらも騎士団へ連行された。
またイベリス卿に統治能力はないとした王宮は、王命によりイベリス卿から自治権の強制買取を行うことでコノハナ町とイベリス町を一度宮殿の統治下へおき、後に自治権か再び競売へかけられることとなった。
木曜日に起こったガサ入れから、数日経った月曜日の朝。キリヤナギはロバートの朝ごはんを食べながら未だ流れ続けるコノハナ町のニュースをみる。
番組の中身は、今回問題になったイベリス卿が天涯孤独の伯爵であり、それをアヤメ・シャクヤによって利用された悲劇の人であったとも特集されていた。
「とんでもない事件ですね。騎士団はよく摘発できたものです」
「クランリリー騎士団すごいよね。僕も尊敬してて」
ジンは、しれっとロバートの会話を合わせるキリヤナギに戦慄していた。サザンカグループの信頼を根本から破壊したこの事件を、この王子はほぼひとりでやってのけたのだ。
それも、宮廷騎士ではないリーシュに通報させる事で、宮廷騎士団を挟まずその手柄の全てをクランリリー騎士団へと渡し、「王子は関与していない」と事実を誤魔化した。
「クレイドルは、僕もよくわがまま言っちゃうから頭が上がないや」
「それはそれは」
ジンは、宮殿とは管轄の違うクレイドルが、何故キリヤナギに協力的なのか不明だったが、今回の件で確信を得る。
キリヤナギはおそらくこれまでもクランリリー騎士団へ手柄を与えてきたのだ。
個人でできる限りの調査を行い、敵の捕縛や摘発の全てを騎士団へと任せる。つまり協力しない方がおかしな話で、クランリリー騎士団にとって王子は、手間をかける事なく手柄だけをくれる優良顧客なのだ。
「じゃあ僕、そろそろ出るね」
「はい」
カバンを持って部屋を出ようとするキリヤナギは、ふと足を止めロバートへと振り返った。
それは、金曜日の査問会にてツバキに責任はないとされたことで、明日にはセオが戻って来ることになったからだ。
ツバキが戻ることが決まり、ロバートもまたボタン組として元の場所へ戻ることから、彼は今日ここで最後の勤務となる。
「ロバート、行ってきます」
「……! お気をつけて」
ロバートの一礼から、ジンも頭を下げキリヤナギとリビングを出てゆく。グランジはセオが戻ると聞いて喜び、荷物持ちとして迎えに行っていて、ジンは少し呆れていた。
「グランジさんって、セオのこと気に入ってますよね」
「セオのご飯が好きだからね」
「??」
ジンは今一つ理解が追いつかず数秒考えてしまう。そしてあまり意識していなかったが、グランジの行動理由の殆どが『食』
であることに気づいて言葉がなかった。
「今日は17時に来て」
「分かりました」
大学は今日から選挙活動だ。正門にはルーカスが一般生徒を引き連れメガホンを持って演説を行い、同じく逆側にはミルトニアも準備している。
「王子! こちらですよ!」
エントランスの付近にはすでに選挙演説セットを準備したシルフィ・ハイドランジアとユキ・シラユキがいて、キリヤナギも肩から名前を掛けられてメガホンを渡された。
しかし、響いているのは二つの演説で、ここで話しても五月蝿いだけにも思える。
「ここはもう十分だと思うんだけど……」
「何をおっしゃるのですか、声をあげてこその選挙演説ですよ! 誰よりも大きく声を上げ耳を傾けて頂かねばなりません!」
「恥ずかしいですか?」
「少し……」
そもそも演説は得意ではない。誕生祭のスピーチは大体丸暗記だし、テンプレートはセオや使用人の皆が作ってくれているからだ。
何を言おうか迷っていると、目の前に少しずつ生徒が集まっていることに気づく、ルーカスやミルトニアにも聴衆が居る中、キリヤナギも何を話すか期待されていることに気づき、緊張が込み上げてきた。
「伝えたいことをお話下さい」
シルフィの後押しに答え、キリヤナギは一度深呼吸をして言葉を紡いだ。
「この大学は、かつて貴族が牛耳って一般の皆にとってはとても過酷な大学だった。だけどツバサ兄さんが全てを掌握する事で是正し、マグノリア先輩が引きつごうとした。でも僕は、その引き継がれるはずの治安を破壊しました」
『……』
「その時、ただ友達を助けたかっただけの僕は、壊してから全てを知って後悔もしたけど、この責任は僕がこの大学にいる限り果たそうと思ってる。今度は僕が全て生徒の皆を守り、助ける生徒会を作る。僕が会長である限り、皆の勉強の邪魔はさせない。どうか僕に、皆の学生生活を守らせて下さい!」
言い切った王子の言葉に、生徒から拍手が起こっていた。
そこから二限まで時間を潰し、教室へと向かうと、まるであらゆる場所から視線を感じて肩身が狭くなる。教室の付近まで向かったとき、待っていたヴァルサスに手を引かれて廊下の影へと連れ込まれた。
「ヴァル……! おはよう」
「王子、お前以外とやるじゃねぇか……!」
「何が??」
見せられたのは月曜日発売の週刊誌だった。そこにはシャツ一枚で夜道を走る写真があり見出しは「王子、夜遊び」と書かれている。
「う”っ」
「テレビでは放映されてねぇけど、ウェブは持ちきりだぜ?」
「夜にジムいってただけなんだけど……」
「じゃあなんで脱いでんだよ」
「ちょうど着替えてたから必死で……」
「マジか? 最悪じゃん」
記事を読むと宮殿は、「年頃であり人並みの人生を歩んでいる。これからも見守って欲しい」と肯定も否定もしない回答が出ており「遊んでいた」事に関して考察されているのがわかる。
「ジムって言うけどさ、本当は別のとこいってたんだろ? 正直に言えよ」
「ヴァルが期待するようなお店には行ってないよ……」
「なんだよつまんねーな。今度連れてけよ?」
「行ってないって……」
ようやく解放されて教室へ入ろうとすると、ちょうど授業を受けに来たククリールがいて目があってしまった。
周りの目線を彼女が受けているのは、おそらく週刊誌のことも気づいている、何を言われるだろうかと固まっていると目を逸らしたのはククリールだった。
「授業始まりますよ」
「え、おはよう」
「姫、こいつさー……」
ヴァルサスを無視して、ククリールは教室へと入って行く。少なくともククリールはスキャンダルについて「話すことはない」と言う事だろう。
反応として複雑だが、口を聞いてくれるのは「普段通り」とも言える。
「スピーチは悪くない。しかし、具体的な施策についてはもう少し話した方がいいと思う、クランリリー嬢とダリアのものも聞いたが、どちらも明確にやることを示しているからな」
「うーん。そうかも……」
アレックスにスピーチの内容を添削してもらう横で、ククリールとヴァルサスは退屈そうにお昼を過ごす最中、ヴァルサスの方が口を開く。
「王子、もうすぐ誕生祭だろ? 今年はどうなんの?」
「今年は騎士大会ぐらいかな? ヴァルも先輩も観にくる?」
「いくいく! いいのか?」
「個人戦はメディアが来ないんだよね。あと今年も僕が歓迎しようと思ってて」
「なるほど、それならば自由度は高いか。ククリール嬢は……」
「ご一緒させていただくつもりですよ」
「お、今度はいなくなるなよ」
ククリールがひどい形相でヴァルサスを睨みつけ、空気が凍りついていた。4人はその後一度解散し、キリヤナギはデバイスにてヴァルサスへと個人メッセージを送る。
その日の夜に、以前足を運んだガールズバーへ行く約束を取り付け、ジンと共に一度王宮へ帰宅した。
「また夜に外出されるのですか?」
「何が問題ある?」
「木曜日に至っては、外出をお伝えして頂けず大変心配致しました。おまけに週刊誌に撮影されるなど……清浄なる宮殿のイメージが汚れてしまいます!!」
「そんな理想、知らないんだけど……」
ウンザリするキリヤナギに、ジンはもはや突っ込む気も起こらない。しかし、王子の夜の外出は大体目的があり、かつ襲撃もされていることから『危険』であるのは間違いはない。
「ツバキ殿には、どう言われていたのですか?」
「え?」
想定外の言葉に意表をつかれてしまう。なんと言われていただろうと思い出すと、ロバートととほぼ同じだからだ。
「なんで止めるかって話した後に、やっぱり止める。かな?」
「では、お言葉を拝借して……」
咳払いしたロバートは、鬼の形相で話す。
「先日襲撃されたのですから、本日はお控え下さい!!」
「うるさいな! 僕だって行きたい場所があるし!」
セオと同じ態度が現れ、ジンは驚いていた。そしてキリヤナギの言動は、もうこれ以上言い返す言葉がない時に出てくる感情論でもあり、呆然とした。
セオは自前にしっかりと理由を口にすることで、キリヤナギへこちらは心配しているという大前提を伝えていたのだ。
キリヤナギはそれを余計なお世話として突っぱねていて、この場合はキリヤナギが相手の気持ちを蔑ろにしてることになる。そうなれば確かに気分は良くなくなり、わずかながらにブレーキをかけることができる。
「今日はヴァルと行く。約束もしたし」
「ご友人とですか? ではタチバナ卿とシャープブルーム卿の後同行をお願いします」
「……わかった」
言うことを聞いた。と、ジンは感動していた。感情論に訴えてブレーキをかけた後、妥協案を示して要求を通すのは、簡単な交渉を見ている気分にもなる。また、心配をかけない為に、キリヤナギから「約束をしている」と言う情報を引き出せたことは大きな進歩だろう。
「ジン、どうかした?」
「なんでもないっす」
そうして夕食後、キリヤナギがリビングへと戻るとロバートの姿が見えなくなっていてハッとする。彼は間も無く退勤で、今日がこのリビングの担当の最終日だからだ。
キリヤナギは外出する前に事務所へと顔をだし、荷物をまとめる彼と顔を合わせる。
「おや。殿下。如何されましたか?」
「ロバート、お疲れ様。一週間ありがとう」
「……! お役に立てたかは分かりませんが、とても良い経験となりました。またお見かけしましたらお声掛けください」
「わかった」
「それでは、タチバナ卿、シャープブルーム卿。あとはよろしくお願い致します」
「はい。ありがとうございました」
「……」
ロバートは一礼し、事務所を去ってゆく。彼との出会いは、セオ以外の使用人を知るいい機会になったとも言え、ある意味この部署の問題を浮き彫りにしたとも言えるだろう。
*
「へぇー、ここにもこう言う店あったんだな」
あかり輝く飲み街は、先日キリヤナギが来た時と同じく人が溢れ、人々は店からはみ出した席に座って料理を楽しんでいる。
下町ともいえるその場所は、ヴァルサスも馴染みがなかったのか興味津々に見渡していた。
「ヴァルの方がよく来てると思ってた」
「そんな1人で来るような勇気ねぇって」
客引きを断りながら進む中、キリヤナギは以前のようにメガネをかけて帽子を被る。
「メガネ?」
「変装」
「似合わねー」
容赦のないヴァルサスの声を無視し、キリヤナギは以前足を運んだビルへと入って行く。未だサザンカグループの事件から数日で、閉まっている可能性も考慮していたが、そのバーは今日も営業していた。
「あ、貴族さん!」
カウンターの女性からの第一声に、キリヤナギは意表をつかれてしまう。
「バレたかな」
「また来てくれたんですね。お友達ですか?」
「うん、大学の友達」
「ど、どうも」
「あの、俺たち別でー」
「はーい、2名様二組です」
ジンとグランジは、近場のテーブル席へと座りカウンターにはキリヤナギとヴァルサスが座った。
長い髪をお団子にするカウンターの彼女に、ヴァルサスは照れているようにも見える。
「ヴァル、緊張してる?」
「め、めちゃくちゃかわいいじゃねーか、むしろなんで緊張しねぇんだよ!」
「え??」
「あはは、ありがとうございます。あ、ちょっと待ってくださいねー」
店員の女性は、ポケットから通信デバイスを取り出し誰かに連絡を取っているようだった。通信を切ったのをみたキリヤナギは、出された水を啜りながら口を開く。
「変わらなくて安心した」
「そう見えます? 実は大変だったんですよー?」
「そうだよね……」
「やっぱり貴方のせいなんですね」
「半分? 全部じゃないけど」
「それ肯定してますって」
「何の話だよ……」
「私、違法なお店で働かされそうになったのを助けてもらったんですよね」
「王子、そんなことしてんの?」
あ、とキリヤナギの表情が凍り付く。ヴァルサスはキョトンとしているが、後ろにいた店員達も「え?」と顔を上げていた。
「貴族さんだとは思ってたけど、まさか王子様?」
「ヴァル……」
「え、わ、悪い……」
客は話を聞いておらず、辛うじてばれてはいない。キリヤナギは帽子を脱ぎ、メガネを外した。
「オウカ第一王子のキリヤナギ・オウカです。よろしく」
「礼儀正しい……! 只者ではない雰囲気ありましたけど、光栄です」
「気づいてた?」
「私は、わからなかったですけど、バトラーさんは普通の貴族の雰囲気じゃないって話してましたよ」
「あの人常連なんだ?」
「うちの固定客さんです。2日に一回は来られますよ」
頻度に驚くが、確かに通い慣れている雰囲気を覚えている。話題に入り込めないヴァルサスは、別の店員に声をかけられ、自己紹介をしていた。
「ここのオーナーが逮捕されたのご存知です?」
「そこまでは把握してないんだよね……」
「私が移動予定だった店舗が、騎士団のガサ入れで強制閉店になったんです。再開はもうしないんじゃないかな」
「……ごめんね」
「い、いえ、王子様をせめてないんです。むしろ行きたくなかったし、ありがとうございました」
「君の意思に添えたならよかった」
「口説き方がお上手ですね」
お酒がだされ口をつけようとすると、店の入り口が音を立てて開いて1人の男性が入ってくる。執事服を纏う彼は、息を切らしてキリヤナギを見ていて、ジンは警戒していた。
「あの時の貴族……」
「イベリス卿の……バトラーさん。だよね? こんばんは」
ヴァルサスもしばらく呆然としていたが、彼は何も言わず横に座り、酒を注文する。
「テメェのせいだろ?」
「え、はい。ごめんなさい」
「お陰で何もかも無くなった。ぼっちゃんは土地を失い、信頼も失い、妻も失った。もう何もない」
「……」
「ありがとうな」
「……!」
「騎士団に坊ちゃんの境遇を話したのもアンタだろ? 騎士団は丁重扱ってくれた……。自治権を買い取り? 普通没収だろ。ふざけてんのか……!」
「……暮らしていけそう?」
「領主じゃなくなったが、シャクヤもいなくなった。これで坊ちゃんは、義務に縛られずゆっくり養生ができる……ありがとう」
「僕は何もしてない。情報を買っただけだよ」
「そう、だな……」
男性バトラーは、出された酒を煽り何かを必死に堪えているようだった。向かいの女性店員はデバイスをちらつかせていて、連絡を取ってくれたことがわかる。
「アンタ、普通の貴族じゃねぇだろ」
「え?」
「その完璧な育ちの良さ、並の貴族じゃあ行きつけねぇ……」
「え、えーっとぉ」
「王子様ですって」
「はぁーー!! 何でこんなとこに……」
「まぁ、色々あって……」
「聞いて下さいよー、この王子、未だ女知らなくって」
「マジか?」
「は?! ヴァル!!」
「いいじゃねーか、そう言う場所だろ? ここは」
「王子様って初心なんですねぇ」
連れてこなければ良かったとキリヤナギはひどく後悔した。それから約数時間、店員やバトラーの彼としばらく話し、キリヤナギは日付が変わるまでに宮殿へと戻る。
ロバートが退勤したリビングは、少しだけ殺風景にも感じるが、グランジは機嫌を取り戻したのか、楽しそうにリビングで漫画を読んでいた。
「お風呂の準備できました」
「え? ジンって使用人だっけ?」
「ロバートさんの代わりにやってたので」
浴室はキリヤナギの自室に隣接していて、部屋へ入らなければメンテナンスができず、その埋め合わせは全てジンがやっていた。
キリヤナギがロバートへ「部屋に入るな」と、制約を作った事でロバートが率いる数名の使用人達も部屋に入れるわけには行かなくなったのだろう。
今日のその日まで気づいておらず、キリヤナギは酷く後悔する。
「ご、ごめん。負担かけてたかな?」
「ロバートさんは気にしてましたけど、俺は別に?」
ジンは、切れかけていた化粧品や洗髪剤などの補充や掃除、シーツの交換などもしていたらしく、キリヤナギは更に罪悪感が込み上げる。
「ごめん……」
「気にしてないんですけど」
ロバートがここにきて早々勤務状況に問題があると話していたのを思い出し、キリヤナギは心から反省した。
ジンに散々周りを見て欲しいと言ってきたのに、キリヤナギも結局周りを見れていなかったからだ。
「僕も気をつける……」
「何を……?」
ジンの淹れてくれるお茶は、先週よりも美味しくなっていた。三人だけのリビングの夜はその日も更けて行き、火曜日の朝がくる。
未だ誰もいないリビングに現れた男性は、あかりと空調をつけ、食材を持ってキッチンへと入った。
お湯を沸かし、卵を割り、パンを焼く。野菜を切って皿へ盛り付けていると、匂いに誘われたグランジが出勤し、テレビをつけていた。続けてジンも現れ、その数日ぶりの彼に安堵する。
「おはよ……」
「おはようございます」
リビングから出て、最初に響いた声にキリヤナギは一気に目が冴えた。そこには、以前のようにバトラーエプロンに身を包む、セオがいたからだ。
「セオ、おかえり!」
「セオ・ツバキ。ここに戻りました、どうぞよしなに」
「良い匂い……」
「トーストを焼きましたのでどうぞ」
まるで時間が戻ったような気分だった。ジンもまた安堵のため息をつく。
「落ち着く……」
「ジンも大変だった?」
「ジンが一番苦労したんじゃないかな?」
三人の中で一番疲れを感じている自覚はあった。
グランジは変わらず、積まれた3枚目のトーストをじっくり味わっている。
「さぁ、誕生祭。がんばりましょうか」
突然現実に引き戻されたキリヤナギは、思わずトーストをむせこむが、彼の爽やかな表情にとても嫌とは言えなかった。
「わかった……!」
大学は間も無く生徒達が新たな生徒会長を選ぶ、今年も迫る誕生祭に向けてキリヤナギはこの三人と再び一年を歩んでゆく。