第五十一話:ボタンの善意

「ゴタついてるねぇ」
「呑気すぎですよ隊長。ジンさんが居なかったら大変な事になってたかもしれませんよ!」

 昼間のリビングにて、キリヤナギの専属護衛たる特殊親衛隊の隊長。セシル・ストレリチアは、自身の隊のものを引き連れキリヤナギのリビングを細部まで調べ上げていた。
 それも昨晩キリヤナギが咳が止まらないことを訴え、呼吸困難に近い症状がでていたからにある。
 ジンはすぐさま医務室を経由してドクターを呼び出すと、先日から心配されていたアレルギー症状で、その原因が模様替えの際に変えられたシーツであることがわかった。
 セシルへと即座に連絡したジンは、ロバートが故意にやった可能性を踏まえ、彼を要注意人物として隔離して欲しいと申し出ていた。

「殿下のアレルギーは、アレルギーの中では軽度なんだよね。今回は吸い込んだ所為で咳がひどかったみたいだけど」
「そうですけど……」

 反論するセスナ・ベルガモットは、運び出されてゆくありとあらゆる家具をチェックし、布のものは触れて簡単に調べていた。
 わかりやすく感じたのはシーツのみで、セシルは尚更首を傾げている。

「この時期の我が国は、やはり何が住んでるのかな?」
「そう言うのはいいです……」

 キリヤナギが反応したのは、シーツの洗剤だと思われた。それは、主に賓客向けのシーツへと用意されているもので、洗浄メーカーによって夏場のみに利用されるものだと言う。

「夏用に洗浄されたシーツは、急な賓客の要望に応える為にある程度取り置かれていて、この時期は主に枚数が足りない場合にやむおえず利用されていたみたいだね」
「それってボタン組の皆様的には『仕事をしただけ』ってことです?」
「そうなる」

 つまり今回、ツバキ組が半凍結状態になったことで、ボタン組の彼らが誤って『普段使っている予備のシーツ』を持ち込んでしまったとも思われた。
 本来なら初歩的なミスで、キリヤナギの心象次第では許されるだろうとは思ってはいたが、それを「殺されるかもしれない」とセシルへ進言してきた騎士がいる。

「セスナは、ジンの肩を持つのかい?」
「逆に聞きますが何故隊長こそジンさんに懐疑的なのです? 殿下のアレルギーは、使用人の中でもかなり重要な秘匿事項です。それがわかった直後にこの事案は、たとえ殺害する気はなくともあってはならないことではないですか?」
「そこだよ。セスナ」
「はい?」
「殺害する気はない。つまり、故意ならば嫌がらせのレベルだ。本当にその気があるならアレルギーがわかった時点で飲料などに混ぜる方が効率がいい」
「それは、確かに……」
「タチバナのジンは、本来ならここまでの事は安易に考察出来るはずなんだよね。それをしなかったのは、やっぱりロバートに思うところがあったんじゃないかな?」
「思う所……、でもそれってどう考えてもいい感情ではありませんよね」
「ま、ロバートを謹慎させても、この荒れに荒れてる宮殿がさらに荒れるだけだから、明日までかな」
「ジンさん。納得していただけるでしょうか」
「わからないが、ジンに関しては手綱を握ってる殿下に任せるよ」

 ロバートによって変えられた家具は、ストレリチア隊の彼らによって全て元に戻され、部屋は以前の姿をとりもどしていた。
 グランジの話を聞きながら、音楽室へ移動されたベースも持ち出され、本棚にも漫画が戻って来る。キリヤナギの武器は未だメンテナンスへと出されているが、安全な部屋が戻りセスナはホッとしていた。

 一方で客室に移動されていたキリヤナギは、夜にシーツへ接触していた肌が腫れてきて、アレルギーの薬を飲んでリラックスしていた。
 今日も朝から登校するつもりだったが、薬剤の眠気で授業どころではなく、素直に寝て過ごす。
 宮殿の客室で眠るのはほぼ初めてで、自室とは違う壁紙や絵画、テーブル。ソファがあり新鮮さを感じていた。
 たまにはいいなぁと眺めていると、ノックからジンと共にセシルとセスナが現れる。

「ご機嫌よう。お目覚めでしょうか」
「セシル、おはよう……」
「お加減の方は?」
「今は、楽かな……」
「何よりです。先日模様替えされたベットのシーツへ、殿下がお持ちのアレルギー物質が含まれた洗剤が使われておりました。今回はそれに反応されたのかと思われます」
「そうだったんだ……」
「これにより我々特殊親衛隊は、殿下の身の回りへの管理義務を怠ったとして、現行使用人たるロバート・ボタンを反省室へ謹慎にしております」
「……! そこまでしなくていいのに」
「殿下、死ぬかもしれなかったのに……」

 ジンが口を挟んだ事に、キリヤナギは顔を上げていた。セシルは表情を変えず姿勢を正すジンを待って続ける。

「私の監修の元、お部屋を数日前の状態へお戻しさせていただきました。コタツは無理でしたが、安全にご使用頂けます」
「ありがとう」
「ロバート・ボタンの処遇に関しては、事件性には乏しく、殿下のお心次第とも考えております。ご要望を頂ければ即座に復帰は可能でしょう」
「わかった。僕の好きにする」
「畏まりました。それでは、私はこれにて失礼します。ジン、後は任せていいかな?」
「はい……。隊長、ありがとうございました」

 セシルは笑みで返し、キリヤナギに一礼してセスナと去っていった。残されたジンは、キリヤナギに手招きされて傍の腰掛けに座らされる。

「ロバートのことが嫌いになった?」
「わからないです。でも、あいつのせいで、殿下が……」
「僕死んでないけど……」
「でも、許せなくてーー……」

 ジンは両手で顔を覆い、何かを隠しているようだった。しかし、普段人へ殆ど興味を持たなかったジンが、ここまで感情を揺り動かしていることへキリヤナギは不思議に思う。

「ロバートを信頼してた?」
「わからないです。でも、アイツ、俺にもう一度同僚としてやり直すって言ったのに……っ!」
「それ信頼しようとしてたってことだよ」
「……!」
「裏切られたって、ジンはショックだったんじゃない?」
「俺は、辛そうな殿下を見る方が……いやで……俺がアイツをどうにかできてたら、苦しまなかったんじゃないかって……」
「ロバートは悪くない」
「……!」
「ロバートが来た理由わかる?」

 ジンは、一度深呼吸して考えを原点へと戻した。ロバートがリビングへ現れたのは、セオが謹慎になったからだ。

「ぼくはセオを謹慎に追い込んだ『黒幕』を今探してる」
「『黒幕』……?」
「ジンにはまだ手伝って欲しいことがある。だからその為にも、今の僕にはロバートが必要だ」
「なんで……。殿下は、アイツのこと嫌いなんじゃ……」
「嫌いだけど、謝られた時ちょっと親近感が湧いてさ」
「親近感……?」
「難しければ難しいほど燃えるって、僕と同じだから、付き合えない訳じゃないと思った。ジンは不服?」

 そんな事で? と思わず口に出そうになってしまう。しかし、キリヤナギ本人が必要だと話す相手をジンが否定する事は、他ならぬ主君の道を阻害しているようにも思えた。

「……納得ができないです。でも、ロバートさんのせいで起こったことは、確かにセオさえいれば起こらなかった……」
「僕はその元を断ちに行きたい。それまで、我慢できる?」
「……はい」
「ありがと」

 何故キリヤナギが笑えるのかわからず、ジンは溢れ出す感情を必死に抑えていた。客室で休んだキリヤナギは、屋内着に着替え、一度宮殿の事務所へと寄ってリビングへと戻る。
 そこにコタツはないものの、見慣れた空間にもどっていてキリヤナギはソファへ飛び込んだ。

「セシル、ありがとう……」
「お茶淹れますね」

 しかしツバキ家の査問会も間も無く実施される為、急がねばならない。

「今日、午後からも授業あってジンも付き合ってもらってもいいかな?」
「動けます?」
「今は落ち着いてるから、外に出て気分転換もしたい」
「分かりました」

 キリヤナギは外出用の衣服へ着替え、ジンと共に宮殿をでる。グランジは、昨晩のシーツに関しての調査に駆り出されていて夕方に結果を教えてくれるそうだった。

 王宮の敷地から外へ出るルートを目指すジンを、キリヤナギは方向転換して騎士棟の方を指さす。

「こっち」

 言われるがまま向かったのは、騎士棟の下層にあるストレリチア隊のフロアだった。
 昼休憩が終わり、皆が業務へ戻ってゆく最中、キリヤナギが向かったのは事務所で入ってすぐの机にセスナが仕事をしている。

「おや、殿下。ご機嫌よう」
「セスナ、さっきはありがとう」
「あら、ご機嫌よう」

 事務所にはヒナギクもいた。他の団員達も快く迎えてくれて、ジンは安心してしまう。

「ジンさん、お久しぶりです」
「え、その、どうも」
「コノハ・スギノです。応接室空いてるのでどうぞー」

 ジンは普段いないこともあってまだ顔と名前が一致していない。キリヤナギがセスナに用事があると話すと、彼は3人だけで応接室に案内してくれた。

「ふんふん、なるほど……」
「な、なんすか……?」
「読んでる?」
「殿下もなかなか策士ですね。いいですよ」
「ありがとう!」
「ちゃんと口で言ってもらっていいっすか……?」

 セスナの【読心】は、本当の意味で常時読んでいるようにも思えて呆れてしまう。
 彼は得意気な表情で、ジンと目線を合わせた。

「では、ジンさん向けにご説明しますね。今から貴方へ、僕の【読心】を貸与致します」
「はい??」

 思わず声が裏返っていた。その言動はあまりにも前触れがなかったからだ。

「どう言う?」
「ツバキの件で、殿下が街へでて調査されたいそうです。街の人からどこまで拾えるかは不明ですが、ヒントぐらいは手に入るのではないでしょうか?」
「それは、俺でいいんすか?」
「【読心】は、相手に警戒されると声がぼやけてて拾いにくくなります。よって無警戒の人を読むために知られていないことも重要なのですよ」
「な、なるほど……? でも規則的に大丈夫なんです?」
「その日の業務中に返却されるのであれば、報告は不要です。ほら、緊急時とか貸与できないとかあったらダメなので、日付跨いで数日に及んでも、報告さえあればまぁ問題はありませんね」
「へぇー……」
「夕方には帰ってくるつもりだけど、セスナは何時までいる?」
「そうですね。昨日今日で色々ありましたし、20時ごろまでは残業でいると思います。ただ奪取だけは控えて頂けると助かります。返却ではなく奪取は、私自身の異能の個数が減ってしまうので、貸与数の変更が必要になりますから」
「わかった」
「す、すいません」
「ジンさんは、当然の行動だと思うのでどうかお気になさらずに、それではお手を拝借」

 セスナに右手首を握られるとそこを通じてまるで意志のようなものが流れ込んできた。それは腕から伝い胸へと止まる。

「簡単に使い方をレクチャーしますね。『王の力』は、人間の能力を拡張するものです。これを大前提に心へ宿ったものへ『使いたい』と言う意思を伝えてください」

 ジンがセスナから手を離し、深呼吸をしつつ目を瞑る。胸にはまるで何かに寄り添われるような感覚があり、ジンはそこへ呼びかけるように願った。
 すると、周りから言葉にならない意志がながれこんでくる。

(ジンは使えるかな?)
(ジンさんなら大丈夫そうだけど、どうなるかなぁ?)

 音ではない言葉が流れ込み、顔を上げるとセスナは少し驚いている。

「どうですか?」(読めた?)
「読めます」
「よかったです」(よかった!)
「ジン、僕も読める?」(使えそうかな?)
「よめ、ます。使えそうです」
「その状態が【読心】ですね。では次はそれをオフにする方法ですが、同じく心へ呼びかけ『止めたい』とか『閉じたい』などの意思を伝えてください」

 セスナの言う通り、『止めたい』と願うと力はまるで収束するように閉じてゆき、周りの声が聞こえなくなった。
 【読心】はどんな相手に対しても心を読んでしまう異能だともおもっていたが、想像よりも読める範囲が狭く驚く。

「意外と聞こえないんですね」
「そうですね。あとやっぱり言語化されている声を優先的にひろってしまうので、近くの人よりも遠くの言語化されている言葉に引っ張られます」
「セスナさんて、これどうやってるんです?」
「僕ですか? 僕は生まれつきエンパスを持ってるので、同じとは言い難いのですが……」
「エンパス?」
「相手の心に強く共感して、対面数秒で相手の感情がわかっちゃう感じですね」
「それは、テレパシー……?」
「テレパシーちょっと違うんです。テレパシーは念力の部類ですけど、エンパスは、相手の感情を過剰に受け取ってしまう『特性』ですね。エンパスには感情を受け取った相手と、さらにそのやり取りした相手の心も読み取る、いわば第三者への「感情の伝播」も読み取る性質もあるのです。これが【読心】と噛み合うことで、その伝播から沢山の人の心を拾うことができる感じです」
「全くわかんないんですけど……」
「えーっと、人の心を媒介にしてその周辺の人の心も拾う感じ?」
「そんな感じです。僕が皆さんに人間レーダー扱いされるのは、エンパスの伝播特性から声の大小によってある程度の距離がわかるからですね。流石に離れすぎるとわかんないんですけど」
「す、すごいんすね」
「生まれつきの能力ですけど、褒められると照れます」

 少しだけ嬉しそうなセスナは、話し込んでしまったことに気づいてはっとする。

「ではお二方、僕もまだお仕事があるので、また後でで構いませんか?」
「うん。ありがとうセスナ。戻ったら返すね」
「分かりました。ではメッセージで連絡をお待ちしています。ジンさんは、護衛の方お一人で大丈夫です?」
「ジン一人で大丈夫、気にしないで」

 大丈夫では無いと、ジンは心でつっこんでいた。ヒナギクやコノハのいる事務所へと戻ったとき、ジンは徐に【読心】を使用する。そこで流れ込んできたのは様々な声だった。

(あぁ、殿下。今日も可愛らしい。久しぶりにおめにかかれて幸せです。もっとお話ししたいですが、仕事がぁ……)
(あれがタチバナさん? ビジュアルは普通だけど、案外好みかも……)
(アレルギーで倒れられたって大丈夫なのか? タチバナなんでとめないんだ?)
(タチバナさんって彼女いるのかな?)
(お茶出したけど、飲んでもらえたんだろうか)
(殿下かわいい殿下かわいい殿下かわいい)

「ジン、どうかした?」
「え、いや、なんでもないです!」

 読んではいけない声が聞こえて、ジンは聞かなかった事にした。首を傾げるキリヤナギをみると、確かに中性的な面持ちにも感じ、「かわいい」とも受けとれなくともない。

「何??」
「なんでもないっす!!」

 読み過ぎは良く無いと反省しつつ、ジンはキリヤナギと共で街へと繰り出す。宮殿の自動車ではなく、あえてタクシーを拾った二人は、コノハナ町の喫茶店にてお昼を済ませ、徒歩で周辺を散策する。

「ジン、【読心】を使って歩いてみて」
「ここでですか?」
「うん」

 キリヤナギの指示に合わせ、ジンは自身の異能を解放する。
 駅のある町で、多くの人々が行き交い自動車も沢山走っているのに、聞こえてくる声はノイズのような言葉ではない心と騎士服のジンとキリヤナギに対しての感想だった。

(騎士じゃん、こんなとこで何してんの?)
(あの隣の人王子? 珍しい)
(王子っておもったより小さ……)
(拳銃おろしてる。こわ、帰ろ)

 思わず声の主を探してしまうが、誰が誰だかわからない。

(写真撮らせてくれないかなー)
(赤いマントってやっぱカッコいいわ……アニメのヒーロー思い出す)
(王子様があるいてらっしゃる。今日も平和だの)

 好意的な声の多くが聞こえるが、声を意識すると周りへ注意が行かなくなり、ジンは危うく段差につまづくところだった。

「大丈夫? 休む?」
「平気です……」

 声ばかりに気を取られてはいけないと反省している最中、暖かな声の中へまるで矢のように痛みを感じる『声』があった。
 それは憤るような、言葉にはならない憎しみの感情で、ジンは立ち止まってしまう。

「ジン?」

 思わず周りを見回すが、不審な人物はいない。しかし、見上げるとガラス張りのビルの側面からこちらを見下ろすスーツの男がいた。

(ここは合法だそ? さっさと消えろ!)

 訳がわからない言葉にジンは首を傾げた。そして、その声は赤い花を連想し、とある建物の情景を写した。
 どこだ? と考えている間に声が消えビルの男も消えた。

「少し休もうか。【読心】を閉じて」

 キリヤナギに手を引かれ、ジンは素直に読むのをやめた。やめた瞬間、思考が統一されるとどっと疲れが来る。
 キリヤナギは人の少ない喫茶店を選んで、人目の届かない隅の席をとった。

「平気?」
「すいません。ちょっと疲れて……」
「【読心】は、いろんな方向からくる声を一気に拾うから慣れないとすごく疲れるみたい。セスナはすごいよ」
「あの人、化け物だったんすね……」

 甘い飲み物を飲むと、思考が冴えてきて拾えたイメージが明確になってくる。印象に残っていた景色は、周辺の街並みとは違うとてもしっかりとした建物だった。

「あの道路沿いには、サザンカグループが出資してるお店があってね」
「サザンカ?」

 ジンは思わず、周りを見て誰も聞いていないことを確認していた。声の小さくしつつ周りに聞こえない音量で続ける。

「特定できてるんです?」
「あくまでWebサイト頼りだけど、ここのお店さ、数年前にオーナーが貴族の奥さんと不倫してるのがニュースになってたんだよね」
「不倫……?」
「名前は伏せられてたから分からないけど……」

 頭によぎったタクヤ・ツツジと言う名前にジンは困惑した。ジンの元婚約者スイレンも浮気をされていたが、同一人物とするには情報が足りない。

「あのお店は僕がサザンカグループの店を探して見つけた物の一つで、今夜は営業日だから、誰か出勤してるかなって思ったけどどうだった?」
「声は聞こえました、でも、タクヤ・ツツジかも分からないですけど……、花と建物なら見えて……」
「花?」
「赤と黄色の……」

 キリヤナギはデバイスで検索し、とある画像を見せてくる。それを見た瞬間ジンは驚いた。

「これです、この花!」
「これは、ツバキ」
「え、」
「こっちが、ボタン」

 検索し直し、出てきたのは花びらが美しい同じ色の花だ。ツバキとも似ていて困惑する。

「に、似てる」
「それで、これがサザンカ」

 最後に出された画像は、ツバキと瓜二つの赤と黄色の花だ。三つともそっくりでジンは言葉に迷う。

「どれが近い?」

 わからない。
 そもそも全て同じに見えて悩むが、必死に記憶を辿ると最初に見せられたものが印象深い。

「ツバキ、ですかね……」
「……ジン、お手柄かもしれない」
「え?」
 
 キリヤナギは小さく笑いながら、テーブルに置かれた裏が白紙のアンケート用紙を取る。メモをとるかに見えた王子だが、彼はそこに書かれている質問を埋めているだけだった。

「騎士服のジンをみて王宮を思い出し、ツバキを連想したんだと思う」
「ちょっとこじつけが過ぎないです?」
「タクヤ・ツツジの可能性は分からないけど、ジンが読んだ人物が赤と黄色の花を連想したなら、近いとは思うんだよね。普通宮廷騎士の制服を着るジンを見たら、隣にいる僕に意識が向くと思うから」

 キリヤナギの推察は、ある程度当たっている。それは、さっきジンが【読心】を使った時、ジンだけでなく、キリヤナギを意識する声も多数あったからだ。
 ジンを見て『宮廷騎士が護衛する隣の王子の感想』ではなく、先に『「椿」らしき花』が連想されるのは、その意味づけが脳裏に焼き付いていると推察できる。

「僕はこの件について、いくら調べても黒幕がサザンカだと断定できる証拠に辿り着けないとも思ってる。敵は巧妙に合法的な方法で貶めようとしてるからね」
「……そんな奴ら、どうやって相手にするんすか?」
「別に潰そうとまでは考えてなくて、僕の目標はあくまでツバキの名誉回復かな。だけど、これを実現するには、世間に拡散された情報の早々な風化と上書きが必要になる」
「上書き……? 名誉回復なら疑いを晴らせばいいんじゃないです?」
「月曜日に発行されるあの週刊誌は、宮殿のスキャンダルが大好きだ。つまり、王宮にとって懐疑的な記事はだしても、肯定的な記事はおそらく出さない。でももし、このツバキの事案よりも濃い情報がだせれば、みんなどうでも良くなるんじゃないかと考えてる」

 キリヤナギはデバイスで、週刊誌の電子版をみせてくれた。縦長の画面でそれを追ってゆくと、ツバキの特集が組まれた後に、宮廷使用人の誰かが不倫したこととか、議員の賄賂疑惑なども取り上げられていて、つい興味深くて読み込んでしまう。

「これよりもすごいネタがあるんですか?」
「まだ無いから、もう少し調査はしたいかな……」
「協力します……!」
「頼りにしてる」

 ジンはふと、数年前にこの首都の様々な場所で走り回っていたことを思い出した。あの頃のキリヤナギは、今のように堂々としていて他者に付け入る隙を見せない。

「ジンって意外と【読心】使わないね」
「疲れるんで……、あと誰と話してるかわからなくなります」
「へぇー……」

 キリヤナギは感心しているが、王子はそもそも異能が発動しない特性があるのに異様に詳しく見える。

「殿下って、『王の力』に詳しいですよね?」
「僕の話は全部みんなの感想だよ。子供の頃からどんな感じか興味深くてしつこく聞いて回ってたから」
「そう言えば、そうでしたね」

 聞いて回っていた頃、ジンはたしかに横へ居た。騎士達は幼い王子を可愛がりながら異能を語らい、誇りを持っていたようにも思えた。

「そろそろ授業だ、学校行かないと……」
「タクシー拾いますね」

 ジンは、デバイスで配車を行い、キリヤナギを大学まで送り届け、自身もまた宮殿へと戻ってゆく。

 午後の授業から出席したキリヤナギは、放課後に合流した3人から同情するような目線で見られ意表をつかれた。

「ウェブで話題だけど、ツバキ? やばいじゃん大丈夫かよ」
「そう言えば報道出たんだっけ……」
「しってたのか?」
「うん。お陰でセオが謹慎になっちゃって……」
「犯罪に関与したのだから、当然の対応だろう。結局どうなるんだ?」
「まだ保留。今週末に査問会で色々決まるって」
「ただの解雇で済まないのは宮殿らしくはありますね」
「ツバキ家は、宮殿に使える使用人の中でも序列が高く歴史も古い。ここで解雇や追放に至ることは、歴史が変わり文化も変わることを意味する。慎重にならざる得ない」
「僕的には文化的に解決されるかなぁって思ってるけど、セオが戻るかはわからないのが怖いかな」
「サザンカの実歴がある以上、それに倣う可能性は多いにあるな……」
「サザンカ?」
「先輩、その件しってるんだ?」
「有名だぞ。庶民からみても宮廷使用人は、位が同じとする特権階級のような印象が根付いていた。サザンカの一件で『何をしても将来が安泰』という固定概念が根本から壊され、宮殿に支えても平民であることは変わらないと証明された。よって同じとしたツバキのみが不法から許されることはおそらく世間がゆるさない」
「はぁ……」
「お気持ちはお察ししますけど、貴方としてどうなの?」
「僕はどうしようもないかな。今回ばかりはお手上げ」
「保守的な結論がでるとするのなら、直系が犯したことではないと言い張るしかないと思うが……それが果たして通るのかどうかだな」

 ツバキの席を望むものは一人か二人ではなく、誰しも憧れ成り代わろうとする。宮殿はルールを設け、それは不動のものとしていたが、不祥事が起こればそれはゆるがざる得ないからだ。

「思ったほど凹んでいなくて安心した。話は変わるが選挙はどうする?」
「立候補の書類はもらってきたよ。でもマニフェストどうしようかなって」
「マニフェスト?」
「『何を目的に会長になるのか』と言う意思表示ね。生徒が選ぶ上で指針になるものよ」
「『抑止力』は、間違いないんだけど、多分伝わりにくいんじゃないかなって思っててさ」
「確かに、驚異がさった今、果たして何の為の『抑止力』なのか下級生には伝わりにくい」
「驚異? 不良?」
「違う。『王の力』だ」

 今年三回生となった三人が思わず眉を顰める。キリヤナギはある程度察していたことでもあった、それは『王の力』が、この大学に通う生徒に対しての絶対的な力の差として君臨しているからだ。

「私が入学したばかりの頃、この大学は【平等】を建前に、貴族達が『王の力』を使い平民を虐げる、いわば完全な異能力社会だった」
「お前の時と何がちげーんだよ」
「最後まで聞け。能力者達は萎縮する平民生徒達に対し、気に入らない生徒を退学へ追い込んだり、授業をうけられなくしたりなど、自身の正義を建前に数々の横暴をふるっていた。私は公爵家であるが故にその煽りを受けることもなかったが、一度貴族の反感を買えば、教師の見えないところで嫌がらせは繰り返される。ひどいものだ」
「まぁ、そうなるよね……」
「王子?」
「この大学って、生徒の大半がまだ貴族って概念をすごく大雑把に捉えてるんだよ。一般平民のみんなに寄り添える貴族って実はそんなにいないからさ。嫌な奴がいたら排除したいって思うのは人間として当たり前の思考で、『王の力』がそれに滑車をかけて、実現させてしまう」
「つまらない訳ではなかった。自分の派閥を守るために、腹の探り合いを行いながら駆け引きを行う。学生レベルの戦国時代だな」
「それはそれで面白そう……!」
「殴り合いは美しくはない。宮殿の騎士大会で賭けをしたり、体育大会での合法的な肉弾戦。文化祭での演説をだれがやるかなど、根回しを行なってやりたいことをやってゆく。私は最高に楽しかったが、その影で壮絶ないじめをうけて退学してゆく生徒も後を経たなかった。私は学生ならば、皆学びを享受すべきだと思う。それを阻む生徒を許してはならないと思った時、同じ思想をもって会長へ立候補していたのが、ハイドランジア卿だった」
「……!」
「あとはヴァルサス、貴様の知る通りだ。あらゆる派閥を吸収してゆく私は、さぞかし悪に見えただろう?」
「巨悪じゃねーか。でも、そんなやばかったんだな……」
「意志が弱く、使えないと判断されたものから追い出されてゆく。授業についていけないならまだしも、それが貴族達の判断で行われていたのだから、ハイドランジア卿が現れたんだ。私からすれば、卿は全ての生徒を救ったまごうとなき英雄とも言える」
「今はその英雄も卒業して、僕が先輩を倒したから、ひとまずは平和になったってことだよね」
「そうだ。しかし、その時代を知るものはもう私の世代しかいない。よって『抑止力』と言う言葉は下級生には響かないだろう」

 『王の力』による横暴がなくなった大学は、ツバサによって是正された。当たり前を当たり前に享受できる環境での『抑止力』は、やはり意味が薄くなってしまう。

「うーん、近い言葉ないかな……」
「貴方は何をするつもりなの?」
「何をするかって言うと治安維持みたいな? トラブル解決?」
「まるで騎士団のような生徒会ですね……」

 思わず呆然としてしまった。ククリールの言葉に間違いはなく比喩するならそうだからだ。

「それいい」
「騎士団?」
「僕は王子だけど、騎士でもあるから、みんなの日常を守ってくのが仕事になる」
「なるほど、『抑止力』としては伝わりやすい。明確な敵はいないが、騎士は戦うだけではなく、人々に寄り添いながら手助けをする意味にも取れる」
「クク、ありがとう」
「皮肉のつもりだったのだけど、本当に刺さらないですね……」
「姫……」

 早速、立候補の書類へ言葉をまとめてゆく。これまで誰にも話すタイミングはなく、持つことすら否定されてきた称号を示せることが嬉しくてキリヤナギは文面を考えることに夢中になっていた。
 三人に添削してもらいながら丁寧に書き綴っていると、後ろから足音が聞こえ、ヴァルサスが初めに振り帰る。
 思わず息が詰まり、ククリール、アレックスと順番に振り返ってフリーズしていた。キリヤナギは気づかないままペンを進める最中、高らかにそれは響く。

「キリ様ーー!! ご無沙汰しておりますわー!!」
「わぁぁあ!!!」

 条件反射で席をたとうとするが遅い。後ろから一瞬で飛び込んできたミルトニア・クランリリーは、キリヤナギの胸を締め付けるように抱きつき、頬擦りをしてくる。

「騎士大会はご招待に預かりありがとうございました。このミルトニア、年末の儀式も全て拝見し、キリ様が無事終えたこと大変嬉しく思っておりました。年の初めからカレンデュラへ視察にも赴かれその身を心から案じておりましたが無事に戻られて何よりです。こうして二回生となっても再び学生としてお会いできて幸せですわ! さぁ、今年こそ私と愛をーー…」

 気がつくとキリヤナギは動かなくなっていた。ミルトニアは「あら?」と首を傾げて続ける。

「キリ様の顔色が優れませんわ。ご安心ください、私が自宅にて看病して差し上げますわー!」
「合法的につれていくなー!!」

 キリヤナギを抱えたまま走り去ろうとするミルトニアを、ヴァルサスとアレックスは必死で正気を保ちつつ静止した。
 驚きすぎて気が遠くなったキリヤナギは、屋内テラスの長椅子に転がされるが、ミルトニアは自身の膝へ寝かせ、まるで語りかけるように続ける。

「キリ様、私ミルトニアは貴方が立候補されることを予見しておりました」
「だ、誰でも分かるだろ……」
「そこで私は考えたのです。貴方が会長へ立候補された時、私に何ができるのでしょうかと、貴族と言う枠組みから抜け出せない私に『対等でありたい』と語ってくださった貴方へ、何をして差し上げることが出来るのだろうかと!」
「……これは、いつまで続くんです?」
「ククリール嬢。クランリリー嬢に悪気はないんだ……」
「そう、『対等』とは、かの体育大会のように貴方の壁として、ライバルとしてそこにある事です。よって私、ミルトニア・クランリリーはこの桜花大学の生徒会長として立候補する決意を固めましたわー!」
「はぁーー!?!」

 ヴァルサスの叫びに、キリヤナギの遠のいていた意識が一気に引き戻された。飛び起きると、ミルトニアが待っていたかのように抱きついてくる。

「ま、まって、ミントが立候補!?」
「はい、キリ様! 先程書類を提出してまいりました。これで落選しようとも生徒会は私とキリ様の二人の物です。共に頑張りましょう!!」
「ま、まだ当選してないから?! と言うか、物じゃないから!!」
「クランリリーってやっぱり色々やばくね……」
「王子に対してはこれだが、本質は才女であらせられるぞ……」

 ミルトニアを慎重に引き離そうとしている最中、肩越しの屋内テラスの入り口にもう一つの新しい影が見える。メガネをかけ、数名の取り巻きを引き連れているのは、見覚えのある男性生徒だった。

「よもやもう当選した気でいるとは、聞き捨てならないな、王子!!」
「ルーカス?!」

 ズレた眼鏡をそっと戻すのは、ルーカス・ダリア。彼はこの大学の体育大会にて『無能力』チームを率いた。平民生徒達の筆頭でもある。

「ダリア先輩?! それ僕の言葉じゃないんだけど……」
「ごきげんよう、ククリール嬢、ご無沙汰しております」
「居たわね。貴方……」
「相変わらずキレが良く素晴らしい」

 ルーカスは何故か嬉しそうにメガネを曇らせている。ルーカスは去年の秋までククリールファンクラブと言う一般生徒に限定した派閥サークルを運営していたが、ククリール本人に嫌がられ、「打倒・王子軍」へ改名した所だった。

「ダリアか。久しぶりだが突然どうした?」
「マグノリア卿。またこうして語らえる事は光栄だ、ちょうど貴殿に立候補の意思を聞きたいと思っていた」
「悪いが出る気はないぞ。四回生で忙しくもなるからな」
「く、残念だ」
「四回に期待すんなよ。就活あるだろ?」
「この大学の選挙は、四回生の参加を禁止している訳ではない。単純に皆が忙しく、参加の時間が惜しいだけだ」
「へぇー、それで? 何がいいたいんだよ」
「は、ここまで話してまだわからないか? 『タチバナ軍!』」
「え??」
「打倒・王子軍代表ルーカス・ダリア。この大学へ圧政を強いようとする王子軍を打倒するため!! ここに生徒会長への立候補を宣言する!!」
「「はぁーー?!」」

 ヴァルサスが衝撃的な声をあげている。今季から四回生となったはずのルーカス・ダリアは、一般生徒という貴族達よりもさらに多忙な環境であるにも関わらず、生徒会長へ立候補すると言うのだ。

「圧政?! 何の話? と言うか立候補??」
「ハイドランジア卿を尊敬しているのだろう? ならば考えは明らかだ。この大学に、もうあのような政治は必要はない!! 私はこれまで虐げられてきた平民生徒達を解放し、本当の意味で対等な生徒会とするために尽力する。よって王子、貴様の好きにはさせん!!」

 思わず気圧されてキリヤナギは呆然としてしまった。ルーカスの言動は、まさに民衆のリーダーを象徴していて、すぐに返答が出てこない。
 それは、平民達の叫びだろう。彼らは庇護しようとする貴族達の手から脱し、自分達で環境を作っていくと宣言したのだ。

「僕の助けはいらない?」
「そんな物は必要はない。この大学は【平等】なのだ。『王の力』がどれほど猛威を振るおうとも、我々は寄り添いながら貴様らと闘う」
「僕は、ルーカス先輩や皆へ、平和な環境を作りたいと思ってる」
「それこそ傲慢だ。それは王子が我々を『支配』してるという心が見え隠れした言動ともいえる。我々にそのような庇護は不要だ。自分で戦い、望んだ環境を勝ち取る!」
「ふふ、かつて虐げられていた方々が、何をおっしゃいますの?」

 よく通る美しい声だった。すっと立ち上がったミルトニアは、カーディガンの懐から扇子を開き口元を隠す。

「この大学へ蔓延る『王の力』に、何一つ抗えなかった平民の貴方がたが、平和になったからと言って自分達でどうにかする、と? それこそ傲慢が過ぎますわ。この平和は一体誰のおかげで成し得たと思っておられるのです?」
「くっ」
「貴族による平和を享受しておきながら、我々を凶弾するその姿勢こそ、身の程を弁えた方がよろしいかと」
「ミント、言い過ぎ、この大学はそう言うのないから!」
「キリ様、ミルトニアはお優しい貴方のお考えを罵倒する彼らが許せなかっただけなのです。どうかお許しくださいませ」

 キリヤナギは、どうとも言えない状況に言葉に詰まっていた。絵面だけでみると状況は女性を侍らせる悪役だからだ。

「ならばあえて聞こう、クランリリー嬢、生徒会長へ立候補する、貴方のマニフェストはなんだ!?」
「私はキリ様の理想を実現する為に全てを捧げる覚悟です。でも、もし、もしも、ここに天命がおり、私が生徒会長へ抜粋されたのなら……」

 ミルトニアは、キリヤナギの手を離れ、高らかに宣言した。

「平民の皆様を完全なる庇護下へと迎えた。学生平民完全保護社会を実現させることをここに誓いますわ!!」
「ま、まてよ。それ、どう言う意味だよ。クランリリー!」
「アゼリア卿! ご安心下さい。全ての平民の皆様は私達貴族によって保護され、単位の管理や出席のアドバイス、テストに不安があればお勉強など、ありとあらゆることを管理、サポート致します。追い出す事は決して致しません。私が生徒会へいる限り、この大学の成績、またご卒業を保証致しましょう!!」
「ディストピアじゃねーか!! 絶対にいやだ!! 王子、こいつを止めてくれ!!」
「み、ミント。それは大分無理があるんじゃ……」
「ハイドランジア卿が2年で作り出せたのなら、私もきっと出来るはずですわ! いえ、会長になったからには成し遂げて見せます! どうかご期待下さいまし」

 ミルトニアの思想は、追い出されることもなければ逃げることも許されない、いわば完全な管理社会だ。各々の生徒会長候補の思想に緊張が張り詰める中でアレックスは一人高らかに笑い出す。

「はっはっ、これは傑作だな!」
「何笑ってんだよ、やべーぞこいつ!」
「いいじゃないか、これから選挙がある。今年の選挙で学生達がどのような社会を選ぶのか楽しみだ」

 大学の本来の【平等】を望む、ルーカス・ダリア。
 生徒会を執行部とし、騎士と言う言葉を用いて大学の治安を守る、キリヤナギ・オウカ。
 貴族による完全なる生徒管理社会を提唱する、ミルトニア・クランリリー。

 3人とも桜花大学の1年間を見据え、生徒を思う心は同じであり、それは統一されているともいえる。

「結果がたのしみだ……!」
「王子頼む、絶対負けんなよ……!」
「ぼ、僕にいわれても……」
「アゼリア、平民ならば我らが味方となるぞ!」
「アゼリアさんは、どちらかというと貴族ではなくて?」
「キリ様、私は選挙では対抗しようともずっと貴方の味方ですわーー!!」

 賑やかな屋内テラスは、通りがかる生徒たちの注目を集めその場を騒然とさせていた。

 キリヤナギを送り届けたジンは、残りの警護をミレット隊へと任せ、一人王宮へと戻ってきていた。
 【読心】を使い、初めて人の心を読んだジンは、初対面の人々が好意的な感情を持っていることに驚いていた。それは【読める】という事は、誰しも初めからある程度の心を開いており、マイナスの感情を持っているわけではないと気づいたからだ。
 またこの事でジンは改めて「無関心」が、どれほど残酷かも理解し反省もしていた。
 最初から人に興味がない「無関心」は、人が初見にてわずかに持つ期待すらも裏切り、蔑ろにしているとも言えるからだ。

 騎士棟へと戻る前、ジンはキリヤナギの送迎が完了した事を記録する為、一度リビング付近の事務所へと戻る。
 明かりのついていないそこは誰もおらず、ジンは記録だけをつけて騎士棟へ向かうつもりだったが、遅れて入ってきた一人の男性がいた。
 バトラーの制服に身を包む彼は、昨日以来のロバート・ボタン。
 午後にキリヤナギが、事務所に「出してあげて欲しい」と相談し、解放されたのだろうと思う。

 対面したロバートは、しばらく固まっていた。
 それはジンが、彼を疑って反省室へ送り込んだからだろう。何も言わないまま、ジンは答え合わせのつもりで【読心】を開いた。

(タチバナ卿がいる。怒っておられるだろうか? 当然だ、私が殿下を苦しめた)

 思わず意表をつかれた。

(何を話せばいい、許しを乞うか? いや、そんなことは許されない。私は白状ものだ。やり直したいといっておきながら、タチバナさんの大切な殿下を傷つけてしまった。何を言われてもいいと覚悟しなければならない)
「おかえりなさいませ。タチバナ卿、お茶を入れますので、お寛ぎ下さい」
「えー……」
(あぁ、私はどうしてこうなんだ? 結局機嫌をとることしかできないじゃないか。私は謝罪もできないのか? いや、ただ怖いだけだ。殿下の時のように、酷いことを言われるのが怖い)
「タチバナ卿」
「……ロバート、さん」
「私は、また殿下を傷つけてしまいました。申し訳、ございません……。貴方の言葉は全て受け入れる覚悟です。なんなりと」
「……」
(あぁ、私は正気を保っていられるだろうか。ここへいる事ができるだろうか。私は、いつまで空回っていればーー…)

 ジンは、全てを聴き終える前に【読心】を閉じた。そして無愛想に見えた彼が、誰よりも臆病で失敗を恐れ、かつ、こちらへ心を開いていることを知る。

「大丈夫です。ロバートさん、俺も動揺しててて……やり過ぎたと思ってます」
「……!」
「ミスは、誰にでもあるし、ロバートさんはここへ来たばっかりなのに無理言ってすいません。またサポートはするので……」

 ふと、ロバートの目を見ると彼の目からぼろぼろと涙が溢れていた。無表情のまま流される涙にジンは絶句してしまう。

「はっ、た、タチバナ卿。申し訳、ございません。私はーー」
「だ、大丈夫すか?!」

 ロバートは、差し出されたハンカチは受け取らず自分の物で顔を抑えていた。声をせき込むように、絞り出された声は少し震えている。

「私は、許されて……いいのでしょうか?」
「大丈夫です。頼りにして、ます」
「ありがとう、ございます」

 ジンは、ロバートに強く手を握られた。それは感謝するような、まるで救われたような表情でジンもまたほっとしてしまう。

「ジンさん、おかえりなさーい! 【読心】、どうでした?」

 ストレリチア隊の事務所へと戻ったジンは、午後と変わらず仕事をしていたセスナと共に応接室へと入っていた。
 そして一番初めに聞かれたことへ数秒考えつつ口を開く。

「えっと、面白かったです」
「ほぉ、よかったです。必要なら貸与届け書きますけどどうです?」
「それは、いいです。結構疲れると言うか、聞いちゃいけない声も聞こえてくると言うか……」
「あ、もしかしてうちの隊の人達の心を読みました? すいません、不純で……」
「不純ではない気が……」

 不純でもないが健全でもない。さっき流れ込んできた心は、キリヤナギに女の子の服を着せたイメージとか、王子に美味しいもの食べさせたいとか、ジンとキリヤナギの間に挟まれたいとか、理解しにくい心ばかりだった。

「では本題ですけど、何かつかめました?」
「少しは? 殿下には、お手柄って……」
「ほう? 詳しく伺えます?」

 ジンはセスナへキリヤナギと話していた事をかいつまんで話すと、セスナはとても感心する。

「流石殿下。よくご存知ですね」
「そうなんですか?」
「はい。【読心】で読んだ心のイメージは、そもそも読まれる側もイメージが固まって居ない事が多くて、伝えたくても伝えられないってことがよくあるのです。なのでそれを『画像』と言う形でみせることで、読んだ側のイメージを補完してヒントを導くのが基本なのですよ」
「へぇー」
「花はもう特定されたんですね。では花のほかに感じたイメージはありました?」
「建物がありました。何かのビルみたいな」
「ふむ、ちょっとお待ちを」

 セスナは一度席を立ち、事務所からファイリングケースのようなものを持ってくる。開かれたそれは、まるでビルの写真集のようなものだった。

「この写真は?」
「これはですね。我々が去年から集めた、かのホテルメーカーサザンカが出資して建てたと見られる店舗の外観の写真です」
「サザンカ?!」
「やはりご存知でしたか。これは殿下から、『いつ何をされるかわからないから抑えておきたい』って心で頼まれた物なんですよねー。ま、殿下に僕の声は聞こえないので、多分そんなつもりはないんでしょうけど、遠慮されなくていいのになー」
「心で頼んだ??」
「去年の夏頃でしょうか。お会いした際に考えておられて、忙しそうだから頼むのも申し訳ないと、そのうちご自身で調査されるつもりだったみたいです」

 思えば、今日のキリヤナギは迷わずジンを件の店舗へと連れて行った。あらかじめ店の情報を抑えていたのだとするなら筋も通る。

「殿下は、これを予見してた?」
「そうなんでしょうねぇ。セオさんがいなくなって、正直また誕生祭の中止もあるんじゃないかとも言われてましたけど、全くそんなこともなくケロッとしておられたので、そう言う事なんだろうなって僕は思いましたね」

 確かにキリヤナギは、報告を聞いた時も冷静だった。淡々とジンの言葉を聞き、事実確認をした後、動揺するこちらを宥めてくれたほどでもある。

「と言うか、ここまでわかってるのに摘発しないんです?」
「やだなぁ、僕ら宮廷騎士ですよ。宮廷騎士が、クランリリー騎士団の仕事をとったらダメじゃないですか」
「そう言う……」
「まぁ、本当は証拠がないんで難しいんですよねー。違法賭博はお金を使ってる実態を明確にしなければいけないし、実態がぼかされてこれはおもちゃだ! っていわれたら、ストップかかるし、あとサザンカはコノハナ町の地主さんに多額の納税してるって話なので、もしかしたらグルの可能性もあるし」
「闇……」
「カジノって儲かるんですよねー。だから違法なんですけど」

 写真には色分けされた付箋も貼られていて、出資元が怪しいものには赤の付箋が、逆に合法的なものは緑の付箋が貼られていた。合法的な店舗にはサザンカの名前が連なっているものもある。

「今日、この店の前にいったんです。中へは入らなかったけど……」
「ここはそれなりに人気のダンスバーですね。富裕層の会合によく使われているそうです」

 貼られている付箋は緑だが、サザンカの名前は付けられていない。ルールはないものかと丁寧に見ていると、埋まりきらない写真フォルダの最後、赤の付箋が貼られた店舗にぼやけていたイメージが明確になってゆく。

「この、通りです。多分こんな感じ」
「これですか。ではイメージを連想した方がこの店の関係者である可能性が高いですね」
「これで調査できるんですか?」
「実はできないんですよ。【読心】ってやっぱりイメージが曖昧だし、人の記憶って都合の良く改変されがちなので、ヒント止まりと言うか。でもここは以前から騎士団も警戒しているかなり怪しい店で、店長も公にはされてないし、まぁ黒でしょう。一応クランリリー騎士団へ報告させていただきますね」
「これで、うまくいったらどうなります?」
「やる時はガサいれるとは思いますけど……」
「セオは……?」
「うーん……」

 セスナは、バインダーへメモを取りつつ考え込んでしまった。店が摘発されることと、セオへの疑いが晴れることは別問題だからだ。

「すみません。そこまでは流石にわからないです。もしもで言うなら、この現場にソラさんと同じ境遇の女の子がいたら、騎士団はソラさんが騙されていた事を断定出来そうではありますが……この事案を掲載した週刊誌って、割と王室に懐疑的でそう言う『格を戻す』みたいな報道はしないと思うんですよ」
「……そうっすか」
「まぁでも、大衆には共有されずとも、騎士団の情報は一応は王宮に共有されますから、本人が騙されたと言っている以上それを踏まえた議論はされると思います」
「これ報告したらすぐ調査が入るんじゃないんですか?」
「直ぐには不可能ですね。時間をかけて着実に証拠を集めなければならないので、数ヶ月はかかると思います」
「そうっすか……」
「僕ができるのはここまでです。申し訳ない」
「いえ、細かい所までありがとうございます。あのこの写真コピーもらってもいいですか?」
「いいですよ。少しお待ちくださいね」

 セスナがファイリングケースから写真を取り出すと、裏側に小さなメモが見えジンは彼の手を止めた。

「そのメモは?」
「あぁ、これは撮影してくれた方の名前ですね」
「リーシュさん……?」
「はい。リーシュさん、ここをよく通るみたいなので、ついでに撮ってきて頂きました。隠れるのも上手な方なので相変わらずの手際ですよねー」

 セスナは事務所のコピー機で写真を印刷し、ジンヘそれを手渡してくれた。この写真は機密でもなく本当の意味でただの写真として管理しているらしい。

「騎士団に提出したら機密になりますけど、まだなので大丈夫ですよ」
「セスナさん。黒いっすね……」

 ふふっとセスナは楽しそうに笑っていた。その後【読心】を返却したジンは、事務所へと戻りグランジとも合流する。
 彼は今朝のシーツ事件の経緯のまとめ作業に入っていて、ジンにもそれを見せてくれた。

「ナツキ・シャクヤ?」

 ジンは、グランジに見せられた報告書から一番初めに目に留まった名前を読み上げた。
 ナツキ・シャクヤは、今回のツバキ組の凍結によって足りなくなった人員を埋めるための補充人員だった。しかし、キリヤナギの周辺に臨時の人員が投入されることは許されない筈で、関わっている事自体違和感がある。

「人員不足にしても杜撰ですね」
「急遽人手が必要となったことで、知り合いを集めたらしい」
「知り合い?」
「ナツキ・シャクヤは、現職ボタン組に所属する職員の学生時代の同期で、当時は宮殿へ仕える事を目指していた。面接で落ち伯爵家へ仕えていたが、この機会にと採用された」

 ジンの中へ嫌な予感がゾワゾワと湧き上がってくる。宮殿へ務めることを志し、夢が叶ったといえば聞こえはいいが、それは悪い意味にも捉えることはできるからだ。

「今回の殿下のアレルギー反応は、恣意的なものがあると思う」
「それはそうだと思います。このシャクヤさんは今どうなりました?」
「計画的に行われたとするなら、ロバートが疑わしい」

 グランジの推察にジンは驚いた。彼はロバートがナツキ・シャクヤへ責任をなすりつけたと考えているのだろう。しかし先程心を読んだジンは、ロバートにそんな事ができるとは思えなかった。

「あの人、そんなことできる人じゃないっすよ?」
「……!?」

 グランジが顔を上げて驚いていて、ジンは焦ってしまう。

「根拠は?」
「今日、殿下に頼まれてセスナさんから【読心】貸してもらったんです。読んだら臆病な人で……」

 ふーんと、グランジは半信半疑だ。それは話されていることに限らず【読心】を借りた事にも疑問を持たれているようにも見える。

「なんなら、殿下に聞いてください。そろそろ迎えだし」
「……わかった」

 心を読んでいなければ、ジンもロバートを疑っていただろう。共にいるだけで害を与えるように見えていた彼は、ただ役に立ち、褒められたいだけだったのだ。
 キリヤナギだけがそれを見抜き、褒められたいだけならここに居なくていいと怒りを露わにしたことで、ロバートの考えていた最良の仕事の概念が崩れ去ったのだろう。
 自身の指針がなくなり、彼は自分を酷く追い込んでいた。ジンは責める気もなくなり、疑ってしまった事を反省した。

 外出用の上着を羽織り、事務所を出てゆくグランジと入れ替わりでロバートが休憩から戻ってくる。グランジは、ロバートに一瞥だけしてすれ違い、何も言わずに出て行った。

「タチバナ卿、お疲れ様です」
「どうも、グランジさんがシーツの事調べてくれたんですけど見ます?」
「是非、拝見させてください。今後の反省と致します」

 ロバートは、しばらく資料を読み込みナツキ・シャクヤと言う名前へと行き着いた。

「この方は……」
「はい。知り合いですか?」
「えぇ、彼は元ツバキ組だと……」

 ジンは愕然とし即座にナツキ・シャクヤが所属する部署へと連絡をとる。が、そこはもう定時を迎え返答がなかった。

「ナツキ・シャクヤは、アルバイトの新人です。紹介はありませんでしたか?」
「それは、本当ですか? ナツキ殿は突然現れ、元ツバキの助っ人だとお話されていたので同僚だと……」

 人事管理があまりにも杜撰で、ジンは頭を抱えた。ロバートによると、使用人の人事はかつてはセオの父にあたるサーシェス・ツバキが全権を握っていたが、謹慎となった事で、その権限がロバートの父のルーファス・ボタンへと移動したと言う。

「サーシェス様と同じく、父も尽力しておりますが、まさかそのような……」
「嘘は【読心】でもないと、見抜けないすよ……。殿下のアレルギーの件は、話しました?」
「申し訳ございません。化粧水の事があり、すぐに話してしまいました……、シャクヤさんは、よく働く方で手慣れておられ、元ツバキと言われても違和感はなかった」
「多分逆です。ロバートさん、違和感がないとおかしい」

 ロバートはハッとしていた。
 ツバキ組とボタン組の仕事内容は、この数日間だけでも明らかに違い、それはボタン組であるロバートから見れば『違うもの』と認識される筈だからだ。

「失念しておりました」
「これがただのミスじゃなくて恣意的なら、本当の黒幕はソイツです。ツバキだけじゃなくロバートさんまで巻き込もうとしている」
「……!」

 ジンは個人の通信デバイスから、セスナへと連絡を取る。彼は残業で、まだ事務所にいて、ナツキ・シャクヤの件もある程度把握していた。

『それは一応こちらでもつい先程明らかになりました。ナツキ・シャクヤさんは、現サザンカの当主、スズカ・サザンカのお孫さんに当たります」
「マジっすか?」
『はい。しかし我々騎士団としては、シーツを間違えたことに対して『計画性』を疑うのも難しく、本日付で解雇することになりましたが……』
「……ロバートさんは、そのナツキ・シャクヤに騙されていたみたいです。元ツバキ組と名乗ってたって」
『なるほど、それは確かに計画性も見られますが、本調査を行うのであればボタン組も凍結させなければなりません……。現状それを行えば宮殿の業務が回らなくなってしまいます』

 ぐっとジンは唇を噛んだ。宮殿の業務は機密事項が多く、知る者が限られていて引き継ぎができる者が殆どいないからだろう。ここでボタン組にまで調査が入れば、一度所属する使用人全員の身元や経歴を洗う必要があり、とても一日では終わらない。

「そもそも宮殿にサザンカって入り込めるんですか?」
『結論からお話するなら可能です。何故なら彼らは「元宮廷使用人」と言う肩書きも何もない一般平民で、彼らに勤務を禁じることは特定の家の差別となるので出来ません』
「そうなんすね……」
『しかし今回は、採用に関しても問題があったのでしょう。使用人の人事は毎度、サーシェス・ツバキ殿が目を通しておられましたが現在は謹慎されているので……」

 宮殿の事情に最も詳しい人物が、今回の起用に関係しなかったのか。しかしラストネームが違っていれば疑えない気持ちもわかってしまう。

「セスナさんは、サザンカの目的って掴んでます?」
『どこまで「計画性」があったか、定かではないのでどうも言えませんね……』
「【読心】は?」
『すいません。僕、模様替えの方にいっててそっちには参加していませんでした。もともと使用人の方々への【読心】は、組織の不和と心身症を生みかねないので、我々も積極的には関わらないようにしているのです」
「そうだったんですね……」」
『今回の件は、今朝の時点だとロバートさんのケアレスミスの可能性の方が高くて、僕も失念しておりました。ごめんなさい』
「いえ、せすなさんは悪くないです。あとロバートさんも……」
「そうでしたね。失礼致しました」

 つまりジンは誘導されたのだ。ミスを繰り返すロバートへ、重大なミスの責任を取らせることでツバキだけでなくボタンまでも引き摺り下ろそうとしたのだろう。
 ツバキが堕ち、機能不全となる宮殿の特徴をよく理解していると、ジンは敵への意識を改めた。

『ジンさん?』
「いえ、セスナさん。ありがとうございます」
『お役に立てたなら何よりです。また気になることができたら連絡くださいね』
「分かりました」

 セスナの返事を聞き、ジンは通信を切った。そしてキリヤナギが、「ロバートは悪くない」と言っていた言葉が過ぎる。誰も知らないところで、キリヤナギは備えていたのだ。
 いつか来るであろうサザンカの猛襲の為に、彼らの情報をかき集め対策を考えていた。しかしそれでも難しいと話していたのは、それほどまでに相手の立ち回りが巧妙だからだろう。

「タチバナ卿……」
「ロバートさん。改めて疑ってすみませんでした」
「そんな、私もここに慣れることができず……サザンカとはあの、サザンカですか?」
「はい。でもまだ立件できないんで、話せないです。ごめんなさい」
「お気になさらずに、しかし、かの企業が出てくるのは驚きです。何がしたいのでしょうか……」

 ロバートの言う通り、側から見ればサザンカの目的は不明だからだ。王子を殺したい訳でも、宮殿をどうにかしたい訳ではなくただ引っ掻き回してたいだけのようにも見える。
 しかし、ジンはその目的をキリヤナギに一番はじめに話されていた。

 サザンカは、ツバキを憎んでいる。

 それは宮殿を追放され、栄誉を奪われたからだろう。彼らがやりたいのはおそらく「ツバキを同じ目に合わせること」だ。

@

 大学の授業を終え、立候補の書類を事務所へと提出したキリヤナギは、迎えにきたグランジと共に徒歩で帰路へと着く。
 グランジは相変わらず無口で、顔を合わせても頷くぐらいだが、その日は何故か興味深くキリヤナギを見ていた。

「何……?」
「ジンに【読心】を貸与したのか?」
「え、うん。なにか問題あった?」

 グランジは首を振っていた。その上で、「何かしている」ことを察したように見える。

「セオか?」
「……うん」
「協力する」
「え??」

 キリヤナギには想定外の言葉だった。驚きのあまり変な声がでて表情もおどけてしまう。それはグランジが、どちらかで言えば保守でキリヤナギの「悪い事」に関しては消極的だからだ。

「止めないんだ?」
「セオが居ないと困る」
「朝食は、ジンに作ってもらってるって聞いたけど……」
「足りない……」

 その表情はとても悲しそうだった。普段から大食いのグランジは、宮殿での食事は好きなだけ食べている。セオはそれを見越して六人分で作り、三人で食べた分の余りを全てグランジが食べていた。
 ジンが現れても全く問題なかったのも、この量があったからにある。

「最近イライラしてるの、もしかして空腹?」

 グランジはうなづいていた。沢山食べるのにも関わらずグランジは料理が苦手で、レシピをみても自分の欲しい量に合わせることができない。いつも量が足らず悲しい気持ちになるらしい。

「協力してくれるなら、今から行く先に文句言わないでね」
「わかった」

 即答する彼に、キリヤナギは何故か罪悪感が湧き、切実であることに驚いた。食が絡むとなんでもするグランジは昔からだが、それを利用しているのは良い気分ではないからだ。

 複雑な心境になりつつ、キリヤナギは宮殿への道から逸れて住宅街へと入ってゆく。舗装された美しい街並みは豪華な屋敷が並びまさに貴族街だろう。要人警護の騎士の目を避けつつ二人が向かったのは、突き当たりにある美しい屋敷だった。
 その家は、歴史的な趣きをのこしつつ、近代化され庭にツバキの木が植えられている。表札にもまた花があしらわれ「椿」と書かれていた。

コメントする